第5話ニャルラトホテプの罠 ①必然の迷子と出会い



 駅ビルの地下通路で。

 サラは生き物が行き交う流れを見渡していた。


 ショッピングエリアはいつも通り賑わい、天井から電車が過ぎ去る振動が伝わる。

 どこを見渡しても、ヒト、ヒト、ヒト。

 だが、明確な“意思”を持って、サラを見ている者が紛れていた。

 どこを歩いても向けられ続ける視線。

 追いかければ、距離を取られる視線。

 それが今、この中にいる。

 サラの目が鋭く光る。



 そこだね。



 一人だけ。

 たった一人だけ、サラを見ていない男がいる。

 サラが一歩踏み出した瞬間。

 その男の影が不自然に膨らんだ。

 逃がさないと、サラは瞬時に距離を詰めていく。


「いい加減出てきなよ。なにか用があるんでしょう?」


 サラの声が、低く響く。

 声を投げれば地下通路の床で黒い影が蠢いた。影は膨らみ、生き物の影を奪っていく。

 なのに誰も気づいてなどいない。

 影の中から、男が現れた。

 人間にしか見えない男は、黄のマフラーをなびかせる。

 サラは、なぁんだと、胸を撫で下ろす。


「どうしたの? もっと素直に出てきたらいいのに」

「サラ様、申し訳ありません」


 開口一番の謝罪。


「俺は、セイ・カボルトを守ります」


 男の声は震えていた。

 けれど、何かを決意して、どうしようもない現状の中彼なりに動くようだった。

 彼は目を合わせることもできず、苦しそうに言葉を吐き出す。


「ですが、ヤツを止めることはできません」


 ヤツ。


「ねぇその子って」


 次の瞬間。広告の電子画面にノイズが走る。

 強い香水の香りが脳を揺さぶった。

 サラは息を飲む。

 俺は“弾かれた”んだ。

 ゲームが始まる前に、俺は排除された。

 俺をゲームへ呼びたくない存在の名が、ここで確定した。


「そのヤツって、“ニャルラトホテプ”、だね?」

 

 冷えきった赤い目が空気を凍らす。


「俺を誘き寄せたんだね?」

「申し訳、ありません」


 男は影の中へどぷんと逃げた。

 影は床に溶けていき、姿も気配も群衆に紛れていく。


 サラが走り出す。

 電子画面が開く。


「コウ! 座標は!」


 音声波形が表示され、激しく揺れ動く。


「特定した! ごめんなサラ! 目を離したら迷子になりやがった!」

「相手はニャルラトホテプだ。必然だよ」


 そう、これは必然。

 全て仕組まれた必然だ。




▼▼▼




 やばい。

 何がやばいって?

 

 地下モールで辺りを見渡す。


 こんなところで、コウとはぐれてしまったことが。


 駅ビル地下の整った繁華街。

 絶えず生き物が靴を鳴らし、どこを見ても店や広告が目に入り視界がうるさい。

 こんなところでヒト探しなんて無理だ、かといって連絡手段なんて無くて。


 あーもう!


「あんのしらが覚えてろ!」


 声を張り上げても、俺を見る人は居なかった。

 それほど騒音に包まれ、誰も何も気にしていない。

 仕方ない、一旦あのファミレスへ戻ってみよう。


 ───迷った。

 はい、もっと迷いました。


 気づけばヒトの気配が薄まり、知らない表の道へ出てしまった。

 日はすっかり暮れ、居酒屋の看板に色が着く。

 この辺りは大通りから一本外れたエリアなのか、飲食店の他にも個人商店らしきこじんまりとした店が並ぶ。

 偶然視界にはいった店の外で、商品が乱雑に並んでいた。

 キラリと輝くガラスのサイコロ、動くジオラマ、カードゲームの束。


「なにここ。ビデオショップ?」


 店内の眩しすぎる電灯は漫画ばかりの棚を照らしている。

 天国にもこういうのあるんだ。


 周りを見渡す。

 コウの姿は、もちろんない。

 ……少し寄り道しよう。


 ふと、店内BGMにマイクのノイズ音が混ざる。


 何だ?

 辺りを見渡せば、お試しコーナーで黒山羊を見つけた。

 同時に、耳を動かしていた黒山羊はセイの気配に気づき、振り向く。

 オレンジの四つ目を持つ黒山羊。

 私立の小学生のようなキッチリとした服。

 明らかな異形の存在に体の筋肉が強ばった。

 足が、後ろへ引いた。


 わ、悪魔。


 黒山羊は一生懸命おいでおいでと両手で招いて、山羊にしては長い尻尾を犬のようにぶんぶんと揺らしていた。

 その動きは同じ年代の子供と変わらず、よく見れば、顔が丸くて幼い。

 なんで呼んでるんだ。

 そうかお試しコーナーか。

 遊ぶ相手がいないから、俺を誘っているんだ。

 なにも気にしていない体で近づく。

 近づくと、黒山羊はパッと笑顔を咲かせた。


「やった! やろうやろう! 俺今すぐ買ったのやりたくてさ!」


 机上を眺める。

 まだ開けてもいない新品のボードゲーム。

 足元には、随分と大きなアタッシュケース。

 黒山羊はさっそく袋を開け、尻尾を揺らしていた。


「俺今天国旅行中だからさ~、友達とやれるの一ヶ月後で、ちょっと待ちきれなくて」


 黒山羊の気持ちに頷く。

 わかるぞ、欲しいゲームをてにいれたところで一緒にやれる友達が居なかったら、意味はない。特にボードゲームなんて相手がいるからこそ成り立つんだ。

 知らないゲームに戸惑いながら、正面に腰かけた。


「やりたいけど、ルールわかんない」

「俺も。まぁまぁ、こういうのは雰囲気でやるもんでしょ」


 黒山羊は説明書を開きルールを説明する。先行として、サイコロを二つ振った。


 内心、楽しみだった。

 コウとはぐれてしまったけれど、少しぐらいいいよね。

 黒山羊は問う。


「名前教えて」

「セイ」

「俺チャド」


 チャドは桃色の肉球がついた手で説明し、真似して同じ動作を行う。


「お前度胸すごいね、悪魔と遊んでくれるんだ、嬉しい!」


 黒山羊の悪魔チャドは無邪気に笑った。

 二人はお互いの種族関係なくゲームをはじめる。


 ───その時プツリと、店外の騒音が消えていた。



次回11月6日21時33分

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