第11章 夏祭りの約束
季節は巡り、夏が来た。 陽太くんと付き合い始めてから、私の毎日はきらきらと輝いていた。まるで、世界から灰色が消えて、全てが鮮やかな色を取り戻したみたいに。
「紗菜、あのさ、今週末の夏祭り、一緒に行かないか?」
陽太くんからの誘いは、あまりにも突然で、心臓が飛び出しそうになった。夏祭り。デート。その響きだけで、頭が真っ白になる。 私がこくこくと頷くと、彼は「よっしゃ」と嬉しそうに笑った。
そして、約束の当日。 私は、タンスの奥にしまってあった淡い水色の浴衣に袖を通そうとしたものの、一人では帯の結び方すらおぼつかない。助けを求めると、美香が「任せて!」と飛んできてくれたのだが、彼女もすぐにギブアップ。結局、美香が頼れる友人として呼び出した、羽鳥美鈴さんにも手伝ってもらうことになった。 私の部屋で繰り広げられたのは、まさに格闘だった。 「美鈴、動画と違う! この紐どこにいくの!?」 「落ち着いて、美香。スマホの画面だと、その紐は一度、帯の下を通すみたい」 冷静にスマホで着付け動画を解説する美鈴さんと、それに合わせて悪戦苦闘する美香。私は二人の手によって、くるくると回されながら、なんとか浴衣姿になっていった。 ようやく着付けを終え、鏡の前に立つと、そこにいるのは見慣れない自分だった。 「めっちゃ可愛いじゃん、紗菜!」と美香が目を輝かせる。 「うん。よく似合ってる」と美鈴さんも静かに頷いてくれた。 二人の言葉に背中を押され、私は待ち合わせ場所の神社へ向かった。
鳥居の下、人混みの中で、彼はすぐに私を見つけてくれた。私と同じように、慣れない浴衣姿の彼が、少しだけ照れくさそうに駆け寄ってくる。
「……ごめん、待った?」 「ううん、今来たとこ」 「そっか。……あのさ、浴衣」 「へ、変かな……?」 「いや、逆。すげー、似合ってる。綺麗だって、思った」
まっすぐにそう言ってくれる彼の言葉に、夏の夜の熱気とは違う熱が、私の顔に集まっていく。
二人で歩く境内は、提灯の赤い光と、人々の賑やかな声で溢れていた。りんご飴を半分こにしたり、射的に挑戦してはしゃぐ陽太くんを応援したり。全てが初めてで、全てが夢のように楽しかった。 一年前の私なら、こんな人混みの中にいることさえ、きっとできなかっただろう。陽太くんの隣で、こんな風に心から笑える日が来るなんて、想像もできなかった。 私は、自分の足でちゃんと前に進めていたんだ。その事実が、じんわりと胸を温かくした。
そんなことを考えていた時、ふと、見慣れた人影が目に入った。 人混みの向こう、友達と笑い合いながら金魚すくいをしている、詩織さんだった。彼女も浴衣姿で、以前のような刺々しい雰囲気はどこにもない。とても楽しそうだった。 一瞬、視線が合った気がした。彼女は少しだけ驚いたように目を見開いたけれど、すぐに小さく頷くと、また友達との会話に戻っていった。 それは、和解でも、友情でもない。ただ、お互いがそれぞれの場所で、新しい時間を歩み始めているという、静かな確認のようだった。
「どうかしたか?」 「ううん、なんでもない」 私は陽太くんに微笑みかける。もう、彼女の存在に心を乱されることはなかった。
やがて、夜空に大きな花火が打ち上がり始めた。 私たちは人混みを離れ、少し小高い丘の上から、二人きりでそれを見上げることにした。 色とりどりの光が夜空を飾り、大きな音が体に響く。その美しさに、私は思わず息をのんだ。
「綺麗だね」 「ああ」
隣にいる彼の横顔が、花火の光に照らされて浮かび上がる。 私はそっと、お守りのように持ち歩いていたペンダントをポケットから取り出した。
「ねえ、陽太くん。これが、全部の始まりだったんだよ」 手のひらの上のペンダントを見せると、彼は不思議そうに首を傾げた。 「これがあったから、私は陽太くんと話すきっかけができた。……ううん、きっかけを掴む勇気が、ほんの少しだけ持てたんだ」
その時、ペンダントが最後の力を振り絞るように、私の手のひらで一度だけ、ぽっと温かくなった気がした。そして、その光が消えるように、温もりはすっと引いていく。もう、ただの銀のロケットに戻ったのだ。役目を、終えたみたいに。
「でもね」と私は続けた。 「本当に私を変えてくれたのは、魔法なんかじゃなかった。陽太くんがくれた言葉と、美香たちがくれた優しさ。それだけだったんだよ」
言い終えると、陽太くんは何も言わずに、私の手をそっと握った。 大きな花火が、ひときわ明るく夜空を照らす。その光の中で、彼は私の名前を呼び、そして、私たちは初めて、唇を重ねた。
二人の絆を祝福するように、花火はいつまでも、夜空に咲き続けていた。
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