第10章 新たな始まり
屋上での告白の翌日、私の目に映る世界は、昨日までとはまるで違って見えた。 教室の窓から差し込む朝日がいつもより眩しく、廊下を歩くクラスメイトたちの声も、楽しげな音楽のように聞こえる。全てが輝いて見えるのは、きっと私の心が、今まで感じたことのない幸福感で満たされているからだ。
「――紗菜」
廊下で不意に名前を呼ばれ、心臓が大きく跳ねた。 そこに立っていたのは、少し照れくさそうに笑う陽太くんだった。昨日までの「相葉くん」という響きが、もう遠い昔のことのようだ。
「お、おはよう、陽太くん」 「おう、おはよう」
ぎこちないけれど、二人だけの特別な挨拶。それだけで、頬が熱くなる。 周りの生徒たちが、好奇心と驚きの混じった視線で私たちを見ているのが分かる。でも、不思議と怖くはなかった。彼の隣にいられるなら、もう何も。
「放課後、美術室、行くから」 「……うん、待ってる」
短い約束を交わし、彼は友達の輪の中へ戻っていく。その背中を見送りながら、私は自分の胸に芽生えた確かな自信を感じていた。もう、日陰で俯いているだけの私じゃない。
その日の放課後、私が美術室で昨日の出来事を美香に報告すると、彼女は自分のことのように喜んでくれた。 「やったじゃん、紗菜! 信じてたよ!」 美香は私の両手を握りしめ、ぶんぶんと振る。他の仲間たちも「おめでとう!」と祝福してくれて、美術室は温かい空気に包まれた。友達の笑顔が、こんなにも嬉しいなんて。
陽太くんが来るのを待っていると、美術室の入り口に、思いがけない人物が現れた。 佐倉詩織さんだった。 一瞬で、部屋の空気が張り詰める。美香が、私をかばうように前に出た。 でも、詩織さんは私をまっすぐに見つめると、静かに近づいてきた。そして、ポケットから何かを取り出すと、私に向かって無造作にそれを放り投げた。
放物線を描いて飛んでくる、あの日、私から奪ったペンダント。 「危ない!」 美香が私をかばうように前に出て、その手を掴もうとする。でも、私はその腕をそっと制した。そして、自ら一歩踏み出して、投げられたペンダントを、落ちる寸前で両手でそっと受け止めた。
詩織さんの表情は硬く、視線はどこか遠くを見ている。 「別に、あなたのためじゃない。私には、もう必要ないものだから」 「佐倉さん……」 「一つだけ、勘違いしないで。私が負けたのは、こんなガラクタなんかじゃない。……屋上で陽太に想いを伝えた、あなたの、その言葉によ」
それは、謝罪の言葉ではなかった。でも、彼女なりの、敗北宣言であり、私の勇気を初めて認めた言葉なのだと分かった。 詩織さんはそれだけ言うと、踵を返し、一度も振り返ることなく去っていった。 彼女もまた、ここから新しい一歩を踏み出すのだろう。
詩織さんが去ったのと入れ替わるように、陽太くんが美術室にやってきた。 「よっ。……あれ、詩織、来てたのか?」 「うん。でも、もう大丈夫」
私は彼に微笑みかけると、手のひらのペンダントをそっとポケットにしまった。 もう、この不思議な力に頼ることはないだろう。
「陽太くん、約束、覚えてる?」 「もちろん。俺のこと、描いてくれるんだろ?」 「うん」
私はイーゼルの前に立つと、新しい画用紙をセットし、鉛筆を握る。 「じゃあ、そこに座って。世界で一番かっこよく描いてあげるから」 私の言葉に、陽太くんは一瞬きょとんとした後、嬉しそうに破顔した。 「……おう!」
夕日が差し込む美術室で、私たちの、そしてみんなの、新しい時間が、静かに始まろうとしていた。
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