第7章 失われた魔法

体育館から逃げ出した後、私は無意識に屋上へと向かっていた。 あの日、この場所でペンダントを拾ったことから、全ては始まったのだ。淡い期待と、ほんの少しの奇跡。でも、それは全部、私の幻想だった。 ポケットの中を探っても、もうあのペンダントに温かさは感じられない。ただの冷たい銀の塊。まるで、希望を失った私の心のようだ。 フェンスに寄りかかり、夕暮れの空を眺める。陽太くんの困ったような顔、詩織さんの嘲るような瞳が、瞼の裏に焼き付いて離れない。もう、何もかも終わりにしたい。


「やっぱり、ここにいた」


その声に、びくりと肩が震えた。振り返ると、詩織さんが腕を組んで立っていた。どうして、この場所が。


「陽太のこと、諦める気になった?」 「……」 「だんまり、ってわけね。本当に、往生際が悪い」


詩織さんはため息をつくと、まっすぐに私を見据え、言い放った。 「あなた、何か変なものでも持ってるでしょ。お守りか何か知らないけど」 心臓が凍り付く。彼女は、ペンダントのことに気づいていた。 私が咄嗟にポケットに手をやったのを見て、詩織さんは確信したようにフッと笑う。


「それ、見せなさいよ」 有無を言わせぬ口調で、彼女は私に詰め寄る。私は後ずさり、ポケットをかばった。 「何するの……!」 「いいから!」 詩織さんは私の抵抗をものともせず、乱暴に私の腕を掴むと、ポケットからペンダントをひったくった。チェーンが絡まり、私の指先を掠めて、それは簡単に彼女の手に渡ってしまう。


「……なにこれ。ただの古いロケットじゃない」 詩織さんはペンダントを手のひらの上で転がし、鼻で笑った。「何よこれ。あなたに似合いの、安っぽいガラクタじゃない」 彼女はそれを指先でつまみ、ゴミでも見るかのように無造作に振り回した。


「返して……! 乱暴に扱わないで……!」 私の悲痛な声に、詩織さんは心底楽しそうに口の端を吊り上げる。 「もう陽太に近づかないって約束するなら、返してあげてもいいけど?」 挑発するような彼女の言葉に、私は唇を噛みしめる。 「……できない」 「そう。じゃあ、これは私がもらっておくね」 詩織さんはそう言うと、ペンダントを自分のポケットにしまい込み、私に背を向けた。 「忠告しといてあげる。陽太は、もうあなたのことなんて見向きもしないから」


その言葉の意味が分かったのは、翌日のことだった。 廊下で、陽太くんとすれ違った。私は思わず足を止めたが、彼は私と目が合うと、ふいと顔を逸らし、何も言わずに通り過ぎていったのだ。 一度だけじゃない。何度かそんなことが続いた。彼は、明らかに私を避けていた。 詩織さんの最後の言葉が、呪いのように現実になった。私の淡い恋は、魔法と一緒に、完全に失われてしまったのだ。


その日の放課後、美術室の隅で膝を抱えて蹲っていると、心配そうな声が降ってきた。 「紗菜、大丈夫……?」 顔を上げると、美香が私の顔を覗き込んでいた。その優しい表情を見た瞬間、堪えていた涙腺が、決壊した。


「う……っ、ひっく……!」 しゃくりあげて泣く私を、美香は何も言わずに、ただ隣に座って背中をさすってくれた。他の美術部の仲間たちも、遠巻きに、でも心配そうに私たちを見守っている。


「何があったか、今は聞かない。でも、私たちは紗菜の味方だから。それだけは、忘れないで」 美香の温かい言葉が、凍り付いた心にじんわりと染み込んでいく。 魔法は失われた。陽太くんにも避けられている。もう何もかもが最悪だ。 でも、たった一つだけ、私にはまだ、温かいものが残されていた。 それは、魔法なんかよりもずっと確かな、友情という名の光だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る