19話 そんな醜いもん愛じゃねえよ

 最初に顔を合わせたのは、もうずいぶん前の話だ。天望がまだ極楽に来たばかりの頃、研修で地獄に来た時。真新しい薄木蘭色の袈裟を掛けて、地獄の熱気に半歩引きながらも、目だけはまっすぐ前を向いてた。

 またずいぶん気の強そうなのがいるな、と名簿に目を落とした時、「天望」という字が目に入り、胸の奥がざらついた。


 ――あの僧侶の、娘か。


 父親を裁いた時の記録は、まだ手の中に焼き付いている。その娘が、極楽の職員になって地獄に来ている。因果だな、と思った。それだけだった。


 それからしばらくは忘れていた。地獄の時間は仕事と喧騒で削れていく。毎日、同じようで、少しずつ違う罰が回る。

 それでも、三途の川の観覧席へ上がった午後、ざわめきの中で聞こえた声に、俺の記憶は勝手に戻る。


「あの罪人、先行潰れる。差しで拾いに行く」


 観覧席の喧噪の中、新聞を抱えて本気で予想を立てている女がいた。

 天望。

 顔つきが違った。真剣そのもので、周囲の歓声にも動じず、鉛筆を口に咥えて睨むように数字を追っている。 賭け事なんて、極楽職員には似合わないはずなのに。その目の奥が、地獄の鬼より熱かった。


「天望吏、何してんだこんな所で」


 天望は少しだけ目を丸くして、すぐに口角を上げた。


「研修の」

「覚えてたのか」

「そりゃあ、閻魔様の隣なら」


 へえ。適度に図太い。

 俺は監視の紙束を脇へやって、川の向こうのパドックを眺めるふりで横目に天望の赤ペンを追った。


「四番、脚運びが軽い。九番は末脚がありますよ」


 亡者に脚質を付ける仏。素行悪ぃな、と言うと、彼女は「褒め言葉として受け取りますね」と返した。音の切り方が気持ちいい。


 合図が鳴る。喧騒。天望が身を乗り出し、上唇を噛む。俺はその横顔を眺めながら、地獄の午後にやっと風が通った気がした。


「行っけええええええ差せ差せ差せええええええ!」

「声でっけ」


 結果、狙った罪人は惜しくも二着。肩が小さく落ち、すぐに次の欄へ赤い印が入る。その切り替え方が、仕事人のそれに似ていて、妙に好感が持てた。


「当たりそうだったのにな」

「“そうだった”は当たりじゃないんです」

「厳しい。……飯、食うか」

 俺がそう言うと、天望は短く迷って「肉で」ときた。図々しい。いい。

 

 熱い鉄板と冷たいハイボールの店に入る。唐揚げを頬張って「熱っ」と言いながら笑う顔が、さっきの真剣な目と同じ器に入っているのがわかって、やけに納得した。俺は氷を回して、何気なく訊く。


「研修、どうだった」

「地獄は地獄でした。……でも、思ったよりみんな働いてるんですね」

「どういう偏見だよ」


 俺は笑って、唐揚げを一つ皿に寄越した。沈黙が落ちる。またすぐ軽口が乗る。間の取り方が合う。合う、と気づいた瞬間の体温の上がり方は、俺にもまだあった。


 それから、天望が地獄に来るたび顔を合わせた。庁舎裏の屋台で、酒と焼き鳥。煙草を勧めたら、次の週には自分の銘柄を見つけてきた。

 休みの日になるとダービーで有り金全部スっては飯をたかってくる。やべえ女だと思った。けど、それが心地よかった。

 天望はよく笑った。地獄の景色を怖がらない。亡者を見ても怯えない。この場所に“生”を持ち込むように、軽く笑って息を吐く。


「だってもう極楽に来たんですよ? 清廉潔白である必要あります?」


 煙を燻らせながらそうのたまったときは、流石に笑った。こいつは過去なんて引きずっていなかった。釈迦に救われた魂が、自分でしっかり折り合いを付けて、自分の足で極楽に立ちやがる。強い。

 

「仲良しじゃん。同情?」


 閻魔が片眉を上げて聞いてきた。


「同情させてくれる女じゃねえよ」


 即答してた。閻魔は扇を口元に当てて笑った。


 「へえ、そりゃ本物だな」


 その一言が、妙に重く響いた。

 自分でも知らなかった何かに、手を伸ばした気がした。

 

 ある夜、地獄の安居酒屋の酒の質が悪かった。雑に割られた強い酒で天望が案の定潰れた。仕方なく家まで連れて帰る。

 「お前無防備すぎだろ」って呆れたら、寝ぼけた声で笑って言った。


「炎獄さまは、そんなことしないので……へへ」


 あれで落ちた。落ちたっていうか、戻れなくなった。


 春。庁舎の裏で灰が舞ってた。

 天望がそれ見て「花びらみたいですね」って言う。「灰だろ」って返したら、「灰色の花です」って笑った。花見の代わりに焼き鳥食って、煙の中で咳してた。たぶん、あの笑い声が春っぽかったんだと思う。


 地獄の夏は釜の湯気が熱気を倍にする。天望が「溶けそう」って言うから氷菓を奢った。食べながら並んで歩く。割とすぐに氷菓がドロドロに溶けた。二人して手をベタベタにして、三途の川で洗った。濡れた指を弾いて水飛沫を掛けてくる天望にやめろと言ったら、子供みたいに笑っていた。


 秋、麻雀を覚えた天望が、初めて俺にロンを決めた。「いただきました」って、えらく嬉しそうに言う。点棒を数えながら、煙草の火を分けてやる。「鬼なのに優しい」って言われた。「仏なのに図々しい」って返した。煙が重なった。


 冬は決まって鍋をつついた。白菜が煮えるまで2人で鍋の中を見ていた。豆腐を箸で取ろうとしてボロボロに崩した天望に、なにやってんだってよく言った。締めはいつも米と卵で雑炊にした。「これのために鍋やってんですよ」なんてしみじみ言っていたから、「流石に言い過ぎ」って返したら笑われた。


 そういえば、こいつと会ってから一度も虚しくなってねえ。小さな日常を盛り足すたびに満ちていく。

 不思議だった。前なら女なんて出会ったその夜には終わってた。それで埋めてた。空っぽを。でも天望とは違った。触れたら全部壊れる気がして、何もしたくなかった。

 地獄が少しだけ、明るく見える。天望が笑うたびに、焦熱がやわらぐ気がした。仕事して、天望と飯食って、くだらない話して、次の朝がちゃんと楽しみで。こんな感覚、もう何百年も無かった。

 呼び方が、炎獄様から炎獄に変わって、敬語もたまに崩れて、俺の家に入り浸るようになって。生まれて初めて思った。


 ――ああ、俺、幸せだ。


 釈迦の教えでも、閻魔の言葉でも届かなかった所に、天望が入ってきた。ただ、こいつが笑ってくれたら、それで救われた。


 だから俺は怖い。何もかもを焼き尽くすのが。救われた分だけ、弱くなった。あいつを、焦がしたくない。


 ――違うな。本当は焦がしたいから参ってる。


 一緒に燃え尽きて欲しいと思ってしまった。過去も未来も全部欲しい。ずっと笑っていてくれと思っているのに、泣かせたい、乱したい。その全部を俺に向けて欲しい。そんな醜いもん、愛なんて呼べるかよ。


 美しい金色の世界で、天望は永遠に近い時を生きる。俺はいつか輪廻に還る。何も残さず、ただ灰になる日が来る。結ばれない。結ばれたとしても、何にもならない。子を成す事もない。痕跡が残る事も無い。残されるのは、天望ただ一人だ。だから離れなくちゃいけない。そうだろ、俺。嫌だ。駄目だ。相反する心がずっと堂々巡りしていた。

 

 あいつが俺の過去を知ったと聞いた時、率直に、終わったと思った。取り繕って固めた優しい炎獄のガワが崩れたら、きっと天望も俺から離れていく。


 それでも、一度温もりを覚えてしまった。風を含んで燃え盛る心地良さを知ってしまった。ならいっそ、この手で――馬鹿か。考えるな。


 ……好きだ。だからさよならだ。


 俺は地獄で。お前は極楽で。元に戻るだけだ。正しい所に帰るだけ。

 

 置きっぱなしの天望の形跡を、箱に仕舞って閉じる。戸棚の奥へ押し込んで、見えないようにした。捨てるのは出来なかった。ただ隠す事しか。見えないように、見ないように、戸棚の扉を閉めた。

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