15話 満点の極楽アイドル

 極楽の夜は、地獄よりも静かだ。

 雲より高い光のホールに、星屑みたいな照明が浮かんでいる。舞台の中央には、金色のマイク。

 その周囲を囲むように、スタッフたちが慌ただしく動いていた。


「講話イベントの動員、五人……?」


 炎獄が書類を見て固まる。


「関係者含めてだそうです」


 天望が苦笑する。


「スタッフの方が多いな」

「はい。もはや内部研修会です」

「……はっず……」


 閻魔がソファにどっかと腰を下ろした。


「まあ、ぶっちゃけ“閻魔大王による地獄講話”って地味だもんなあ。アイドルとか呼んでトークイベントにしたら? 観光客ウケしそうじゃん」

「地獄講話とアイドル……?」

「“アイドルと学ぶ死後の世界”みたいなさ」


 炎獄が呆れ顔をしながらも、資料に目を戻す。


「一ヶ月切ってんだぞ。今から呼べるタレントなんているか?」

「極楽芸能部所属なら……ギリいけるかもしれません」

「……弁財天とかか?」


 先日テレビでチラッと見たアイドルが頭に浮かんだ。その名前が出た瞬間、閻魔が乗り出した。


「マジで!? 弁天ちゃん!? いけるの!!」

「弁財天さん人気ですからね……ダメ元で確認だけでも出してみますか?」

「お願い! 会いてえ!!」


 そして一週間後、極楽ホール。ステージ中央に、七色の衣が降り立った。


「みんなの好き! が私の生きる証! 言霊満点! かわいさ百点! みんなのアイドル弁財天! よろしくお願いしまーす!」


 その瞬間、スタッフからため息のような歓声があがる。光が跳ね、舞台が咲く。炎獄でさえ、思わず口を半開きにした。


「マジで来た……」

「やば!!!!! 弁天ちゃんだ!!!!」

「スケジュールねじ込んでもらいました」

「奇跡だろ。俺でも知ってるアイドルだぞ」


 弁財天は、アイドルそのものだった。華やかさと完璧さをまとい、指先の動き一つで場を掴むその姿に、極楽の風までもが頬を撫でるように止まる。

 その脇を、にょろりと細長い陰が通る。


「本日はよろしくお願いします。極楽芸能部所属、弁財天マネージャーの宇賀神です」

「あ、ああ、どうも……」


 細く長身のマネージャーが、長い指で名刺を差し出した。弁財天の可愛いキラキラ名刺と対象的な、無骨でシンプルな宇賀神の名刺。


「控室はどちらでしょうか」

「あ、は、はい、ご案内します」

「弁天ちゃんあとで閻魔帳にサインちょーだい」

「あははー! いいですよー!」

「別のもんにしろタコ」

「タコ!?」


 *

 

 控室。弁財天はメイクを済ませ、アイドル衣装に身を包む。


「弁財天、今日はリハーサルですから、やり過ぎなくてよろしい」

「わかってるよ宇賀ちゃん」


 弁財天は鏡に映る完璧なアイドルを真っ直ぐ見据えて言った。


「でもいつでも全力でやりたいの。あたしは弁天ちゃんだから」

「……よろしい」


 ステージの照明が灯る。中央に立つ弁財天が照らし出される。曲の始まりと共に顔を上げた彼女の瞳は、光をいっぱいに浴びて瞬いていた。

 シンセサイザーとピコピコ音。王道アイドルソングと言えるメロディがホールに響く。


「みんなー⭐︎ 極楽してるぅ〜? みんなの好き! が私の生きる証! 言霊満点! かわいさ百点! みんなのアイドル弁財天! まんてん♡BENTENパラダイス! いっくよー!!」


 アイドル弁財天の代表曲、“まんてん♡BENTENパラダイス”。

 極楽チャート三十週連続一位の化け物ソング。極楽どころか地獄まで、極楽から地獄、釈迦から閻魔まで全員歌える大ヒット曲だ。

 

 ♪

 まんてんBENTEN! きゅんきゅん宣言!

 あたしが一番かわいいって言ってよ

 世界の真ん中で 輝くんだ

 みんなのアイドル弁財天っ☆


「言いたいことがあるんだよ! やっぱり弁天かわいいよ! おんそらそばていえいそわか! 極楽浄土に行く理由! 地獄で一番愛してる!」

「俺こんな上司見たくなかった」

「閻魔様のガチ恋口上、変な栄養素ありますね」


 ♪

 きらきらリップに願いを込めて

 鏡の前でスマイル練習中!

 うまく笑えた? ねえ、ちゃんと見ててね?

 君に“好き”って届けたいんだ♡


 まんてんBENTEN! ときめき満点!

 みんなの視線で輝くSTAR⭐︎

 この花びら散る瞬間は

 ちゃんと笑っていられるのかな

 みんなのアイドル弁財天っ♡


「思ったより歌詞重いな」

「ありますよねそういうの」

「まんてん!!!弁天!!!!愛してる!!!!」

「るっせえ」

 

 最後のサビが終わる。弁財天はマイクを胸に当て、笑顔のまま息を整えた。

 光がまぶしくて、客席は見えない。だけど、その見えない先に、誰かの“好き”が確かにある。それを信じて、彼女はもう一度笑った。


「ありがとー! 満点アイドル!弁天ちゃんでしたーっ♡」


 音楽がフェードアウトする。

 舞台袖に戻った瞬間、照明の熱がすっと消える。肩にかかった光の重みが、急に軽くなる。

 宇賀神がタオルを差し出した。彼女はそれを受け取って、小さく呟く。


「……やっぱり、みんな“弁天ちゃん”の事大好きだよね」

「当然。あなたは“弁天ちゃん”ですから」


 宇賀神の声は淡々としていた。その指先に、ほんの一瞬、薄い鱗が光った。


 *

 

「弁財天さん、お疲れ様です」

「お疲れ様でーす! ありがとうございましたぁ!」


 衣装から私服に着替えた弁財天がにこやかに微笑む。舞台裏でも笑顔は忘れない。ライブやファンサービスも大切だが、スタッフの評価はアイドルにとって命だ。


「リハーサル、すごく良かったです。本番もよろしくお願いします」

「もっちろんです! 今日この後ってトークの打合せですよねっ」

「はい、軽く台本をご用意しましたので、NGなど無いかご確認を……」

「はぁーい」

「トークのメインは、“地獄で閻魔大王がしている努力とは”みたいな感じで……」

「努力かぁ」

 弁財天は少しだけ笑って、資料に目を落とした。

「努力って、報われるのかな」

「え?」


 天望は思わず顔を上げた。弁財天は、鏡越しに自分を見つめていた。一瞬ではあったが、その表情にステージの明るさはなく、ただ真っ直ぐだった。


「なんでもない! 打合せしましょっ!」

 ぱっ、と弁財天はまた完璧な笑顔を見せる。スキップするように控室を出た弁財天を、天望は追いかけられなかった。

 その時、にょろ、と宇賀神が天望を覗き込んだ。


「すみません、台本、見せていただいても?」

「あっ! ああ、そうですよね、すみません!」


 台本を受け取る宇賀神の手の甲がきらりと光る。それはまるで鱗のような輝きで、部屋の照明をつるりと反射していた。


「この内容ならよろしいかと。事務所からは特にNGはございません」

「ありがとう、ございます……」

「天望天さん」

「は、はいっ」

「“弁天”をよろしくお願い致します」

「……はい……」


 宇賀神が続いて控室を出て行く。

 なんとなく、さっきの弁財天の様子が気になって、鏡を見た。天望の姿が映る。彼女はここに映る自分の姿の、何を透かし見ていたんだろうかと思った。


 弁財天は閻魔との打合せを終え、車に乗り込んだ。

 宇賀神がハンドルを握る。シートベルトの嵌まる音で、完璧アイドル弁天ちゃんから、弁財天に戻る。


「ねえ、宇賀ちゃん」

「はい」

「あたし、今日も“弁天ちゃん”でいられたよね」

「もちろん。あなたは愛されるべきアイドル、弁天ちゃんですから」

「だよね」

「この後は?」

「さっき、拍取りちょっとズレた。反響がライブ会場と違ったから違和感あったかも。調整するからレッスン室行って」

「わかりました。それと」

「何?」

「スタッフさんの前では、笑顔を絶やさず」

「……わかってる。ごめん」

「よろしい」


 車の外を夜景が流れて行く。2人を乗せた車は、静かな道へ消えて行った。


 *

 

 イベント当日。極楽ホールの照明が再び灯る。

 舞台袖には天望と炎獄、そして弁財天の姿。

 開場のアナウンスが流れるたびに、観客のざわめきが波のように押し寄せる。


「まさか本番で立ち見出るとはな……」

「弁財天さん効果ですね」

「……閻魔様、緊張してません?」

「してるに決まってんだろ! 推しの前だぞ!」

「この王ほんとダメだ」


 軽口を交わす二人の横で、弁財天は静かに息を整えていた。ステージ前のざわめきよりも、心臓の鼓動の方が大きく感じる。

 宇賀神が袖口を整えながら囁いた。


「弁天、笑顔」

「……満点っ!」

 

 トークイベントが始まる。司会の天望がマイクを握り、柔らかく声を響かせた。


「それではお待たせしました、“アイドルと学ぶ地獄講話”。本日のゲストは、みんなのアイドル弁財天さん、そして地獄代表・閻魔大王です!」

「どうも〜閻魔で〜す」

「満点アイドル! 弁天ちゃんです! よろしくお願いしまぁす⭐︎」


 弁天の一言で、場内がぱっと華やぐ。閻魔の売れない芸人みたいな入りも、観客は一瞬で忘れた。


「では最初のテーマ。“努力”とは?」

「はいっ! 弁天ちゃん的にはぁ、努力は信仰ってかんじ♡」

「信仰……?」

「そうっ♡ 見えなくても、いつか信じた光に届くって思うから努力できるんです!」


 弁天ちゃんの声は澄んでいた。


「“好き”って言葉も信仰のひとつだと思ってて。みんなの“好き”があるから、私は立っていられるんです」


 観客が一斉に拍手した。閻魔が口を開きかけて、言葉を飲み込む。弁天ちゃんはその一瞬の間も見逃さず、にっこり笑った。

 どんな空気も、どんな相手も、彼女は完璧に支配する。その光の中で、天望は小さく息を呑んだ。弁天ちゃんの笑顔は、まぶしすぎて、どこか寂しかった。

 トークショーはつつがなく進行し、結局“地獄で閻魔もなんやかんや頑張ってる”という至極フワッとした着地で落ち着いた。

 袖に戻ってきた閻魔に、炎獄が声を掛ける。


「お疲れ」

「ねえ、俺何喋ってたかあんま覚えてないんだけど」

「閻魔帳の端っこに描いた落書きは妙に上手く描けるって言ってましたよ」

「うそ。マジ覚えてない」

「台本フル無視だったぞ」

「やべー適当喋ったわ」

「弁財天さんがプロでした」


 ホールのライブ準備のため、十五分の休憩が挟まる。

 弁財天は控室で衣装を着替え、鏡の前でにっこり笑う。口の端を指で押し上げ、固定したまままるで呪文のように唱えていた。


「できる、できる、できる」

「弁天、水を」

「宇賀ちゃんありがとう。ねえ、あたし愛されてる?」

「ええ、あなたは弁天ちゃんですから」

「……だよね」


 控室にノックの音。扉を開けると、天望が立っていた。


「お疲れ様です。プレゼントボックスお持ちしました」

「わぁっ! ありがとうございます!」


 衣装ケースに弁財天宛のプレゼントが、溢れんばかりに詰め込まれている。宇賀神がそれを受け取って手早く仕分けを始める。


「すごいですね、いつもこんなに?」

「えへへ、今日は少ない方ですよぉっ⭐︎」

「へ、へえ、すごい。みんな弁財天さんの事好きなんですね」


 弁天の口元が、笑顔のまま固まる。


「天望さん、違うよ」

「え?」

「みんなが好きなのは、“弁天ちゃん”」

「……え」

「みんなが見てるのはアイドルの弁天ちゃんで、弁財天じゃない」

「弁財天さん……」

「ねえ、天望さん、好きな人、いる?」

「っえ、あ、え」

「……いいなあ。あたしは弁天ちゃんで居なくちゃいけないから。みんなのために。」


 弁財天の表情は、笑顔のままだった。だが、キラキラしたステージの上の“弁天ちゃん”はどこにもいない。ただ1人、等身大の弁財天がそこにいた。


「あたしね、わかるよ。天望さんって愛されてる人なの、わかるの。だって、あの人だけ、この間のリハーサルからずっと、弁天ちゃんを一度も見なかった」

「え……?」

「いいなあ……なんでだろう、何が違うんだろ……あたしと、あなたと……」


 弁財天の声は消え入りそうな程に小さくて、最後の方は殆ど何も届かないくらいだった。

 天望は、膝の上で硬く握られた弁財天の手を上から包んだ。弁財天の手は驚くほど冷え切っている。


「あなたは、偉い」


 弁財天が顔を上げる。涙はない。泣いてしまうとメイクが崩れるから。涙で浮腫んだ喉では歌えないから。


「私は、愛する勇気も、愛される勇気も無いんです。だから私は……ずっとずるい事をしている」

「……天望さん」

「でもあなたは違う。愛されようとした。努力をした。天性のものもあるだろうに、更に努力をした。その努力をしたのは、“弁財天”さんでしょう」


 弁財天の喉が上下する。息を呑む音がした。


「“弁財天”が歩いた道を、“弁天ちゃん”が輝きで証明した。どちらもあなた。どちらのあなたも、見ている人が絶対に居ます」

「……そんなこと、初めて言われた」

「あと、多分、すごく近くにも」

「え」


 弁財天の座る椅子を伝い、一匹の白い蛇が弁財天に寄り添った。二股に分かれた舌が伸びて、弁財天の頬に触れる。


「……宇賀ちゃん……?」

「マネージャーさん、袖でも、控室のモニターでも、ずっと弁財天さんの事見てました。仕事とはいえ、ずっと先回りして、水を用意して、タオルを用意して。それってきっと、恋ではなくても、愛ではあると思います」


 蛇の姿が、ゆっくりと人の形になる。

 白い鱗が光に溶けていく。蛇にはなかった腕で、弁財天の肩を抱いた。


「弁天」

「宇賀ちゃん、あたし、あたし」

「泣かない」

「っ、うん。泣かない」

「笑顔」

「満点っ!」


 弁財天が、完璧に笑う。ステージの灯りが再び灯った。

 

「みんなーっ! お待たせーっ!」


 ふわふわのスカートが揺れる。照明を浴びて、めいっぱいにキラキラ瞬く。


「弁財天と私は、元は同じなのです」


 ステージ脇で宇賀神が言う。


「宇賀弁財天。あの子がアイドルとして独立した存在となった時、私とあの子は分離しました」


 宇賀神は天望を見ない。視線の先はずっとステージだった。


「弁天が愛される女神である限り、私はこうして人の形を保ちます。逆にあの子が不安に呑まれ、自信を無くせば、先程のように蛇となります」

「……そういう事だったんですね」

「私は、あの子の影でいい」


 宇賀神の縦長の瞳孔に、光が瞬く。


「弁天が笑えば、世界は勝手に輝く。私は、あの子の輝きの証明たる、影でありたい」

「……そんなの、立派な愛じゃないですか」

「依存かもしれません」

「“よろしい”と思います。私は。だって、誰も困りませんから」

「……言いますね」

「私、天女にしては治安が悪いんです」

「……なるほど、それもよろしい」


 ステップを踏む。汗が飛び散る。磨き上げたパフォーマンスで光る、完璧な偶像。


「愛って、手を伸ばせばそこにあるよね!――笑顔満点っ! かわいさ百点! みんなのアイドル弁財天っ!」


 最強アイドル、弁天ちゃんは、愛という光を反射して、誰よりも輝いた。


 後日、第五審執務室。閻魔の机には一冊の閻魔帳が立てて置かれていた。


「うわー、マジで弁天ちゃんのサインだ。うれっしー」

「タコ。他のにしろって言っただろ」

「これまだ未使用のやつだもん、いいだろ」


 閻魔帳の表紙には、「えんまサマへ♡ 満点アイドル弁財天♡」のサインが入っている。閻魔はニヤニヤしながら、それを眺めていた。


「ていうか、そんなにファンだったとか知らなかったな」

「え? いや、めっちゃにわか」

「は?」

「なんか、音源とか買うほどじゃないけど、歌番組とか出てたら見ちゃうなーみたいな」

「……なんでその熱量であの口上やれんだよ」

「頑張ってる子って応援したいじゃん? そういうもんだろ」

「そうかよ……」

「だーいたいな、ファン歴ってのは長けりゃ偉いとかじゃねえの。大事なのは愛の深さよ、愛の」

「にわかなんだろ?」

「うん」

「クソジジイだな」


 かくして、地獄・極楽共同イベント、閻魔の講話は無事終了。極楽では、閻魔一人では集客力不足だった報告が上がっていた。

 地獄は、ちょうど昼時だった。

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