14話 地獄の働き方改革
十王裁判所、第五審。
午前の裁判が終わり、閻魔帳と書類の山が積み上がる。硫黄の匂いと、朱の印章の熱気がまだ残っていた。
地獄行きの門が重苦しい音を立てて閉まると、閻魔はぐっと伸びをした。
「あー、これで午前五十七件目終わり!」
「おつかれ」
「午後どんくらい?」
「六十三件」
「地獄だねえ」
「地獄だぞ」
閻魔は筆を置き、首を回す。
その時、一通の封筒がふわりと目の前に現れ、机の上にぽとり。
宛名は「地獄庁 十王裁判所第五審 宛」。差出人欄には小さく、金文字でこう記されていた。
――天界労働基準監査局。
「……あ?」
封を切る。中から折り畳まれた通達書。淡い金の紙に整然とした文字。
『貴庁の勤務実態における長時間労働および過重業務の疑いについて、是正指導を行う』
「……」
閻魔が無言で手を止めた。炎獄が横目で覗き込む。
「なんだそれ」
「“長時間労働の疑い”だってさ」
「……労基?」
「うん」
「やべえじゃん」
閻魔は額を押さえる。身に覚えがありすぎた。書類の下をよくよく見ると、さらに追記があった。
『特に閻魔庁補佐官・炎獄鬼においては、休憩時間の確認が取れず、休日の連続勤務が常態化している』
「おい、名指しなんだけど。お前通報した?」
「は? してねえよ。するわけねえだろ」
「じゃ普通にこき使ってんのバレたかあ」
「自覚あんのかよ」
「俺も休めてねえもん。年二回しか休みねえんだぞ」
「って言ったってどうすんだよ。ただでさえ間に合ってねえのに」
「そーなんだよなー……」
閻魔は目を閉じ、しばらく黙考した。そして、静かに口を開く。
「……この通達に従えば、地獄は成立しない」
「知ってたけど、どうかと思うぞ」
「でも従わないと俺が指導対象」
「大王なのに?」
「大王だから」
閻魔大王とて、ワンマンではない。厄介な仏の序列で言うならほぼ中間。天界の書類を「知りませんでした」で捨てられるほど、この世界は甘くない。
硫黄の煙の向こうで、印章が赤く滲む。閻魔のため息が、地獄の鐘の音に混ざった。
「……よし、わかった。やるぞ」
「何をだよ」
「地獄の体質改善だ。ホワイト地獄にしてやる」
「もう字面が嫌だな」
「まず残業は禁止。定時退社徹底、完全週休二日」
「ほう」
「ワークライフバランスの確保だ」
「もうライフ終えたやつしかいねえよ」
「うるさい。お前を休ませないと俺が処分されんだよ。地獄補完計画、開始だ!」
「嫌な予感しかしねえ」
翌日。五審の裁判が開廷される。地獄の王である閻魔大王の最も公平な裁判。そしてそれを補佐する鬼。が、今日は居なかった。有給休暇である。大真面目炎獄はキッチリ申請して休んだ。
「いけるいける。別にあいつ居ない期間とかあったし。五百年くらい前」
閻魔は意気揚々と筆を取る。浄玻璃の鏡に人生を映し、閻魔帳と照合して罪の量刑を定める。
「で、え――――――っと、どこに書いてあるんだお前の罪は」
「閻魔大王許してください!」
「だから何の罪を許せばいいんだっつの……えんっ……居ねえんだった。えーっと」
「閻魔大王様!」
「ちょ、ちょ黙ってわかんなくなるから。俺マルチタスク苦手なタイプだから」
一方その頃炎獄は
「休みってやる事ねえなあ」
家で耳かいてた。
「出掛けるか……? 天望……仕事か。」
煙草の煙を吐き出しながら炎獄は気付く。
普段やってる事といえば、仕事、仕事、仕事、天望、天望、仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事天望天望仕事。
――もしかして俺、趣味もなければ友達も天望しか居ないんじゃねえか……?
「……俺……すげぇつまんねえ男……?」
炎獄鬼、焦る――
急に部屋が広く感じた。何も変わっていないのに、空気の密度だけが薄くなった気がした。休みの日何してるんですか、の回答がこんなにも出てこない。
「料理……とか、すっか」
天望が次に家に来る時にサッと出せる一品でも仕込んでおこう。そう思って冷蔵庫を開ける。唐辛子漬けしかない。閉める。開ける。増えてない。
「……何だ……? 時間ってどうやって使うんだ……?」
料理がダメなら掃除だ。と部屋を見回す。が、この部屋は常に天望が来る想定の上で生活しているので、大して汚れていなかった。かろうじて戸棚の上の埃だけ取ってみるが、三秒で終わった。
ベッドに転がり、寝返りを打つ。
「……苦ってやつか、これが」
なんだか釈迦の説法が浮かんで腹が立った。
窓の外の業火が揺れる。小さく煮え立つ音がする。地獄の釜。今日も元気に地獄している。世の中はちゃんと回っているのに、自分だけ止まっているような感覚。
「……“暇”って地獄だな」
ついに口にして、少し笑った。
本職が何言ってんだ。責苦にしたろかな。
昼。二時間寝てた。寝る予定はなかった。なんかすごい無駄にした気分になった。
テレビをつけた。“極楽放送”の電波が入る。流れてきたのは、人気アイドルの歌だった。
『まんてんBENTEN! ときめき満点っ!』
「……」
しばらく見て、チャンネルを切った。静かになった。逆に寂しくなった。“賑やか”って便利な音だなと思った。
また煙草に火をつけた。灰皿に放り込む。火がゆっくり弱まって、消えた。
……ていうか、静かすぎねえ……?
ふと、窓を開けて外を見てみる。地獄はいつも騒がしいのだが、なんだかいやにしんとしている。
「俺が暇だからそう思うだけか……?」
何本めかわからない煙草に火をつけながら窓の外に身を乗り出すと、ちょうどこちらに走ってくる獄卒と目が合った。
「あっ炎獄様!! お休みのところ申し訳ございません!!」
「なんだ、どうした」
「地獄の釜が停止しました!」
「は?」
*
第五審。閻魔が裁判をどうにかこなした時、ふとあまりにも静かな事に気がついた。いつもなら責苦の悲鳴が壁を震わせ、地の底で釜の音が響く。
それが、全くない。耳に届くのは、筆の擦れる音だけだった。
「……なんか……今日……音なくね……?」
書類を一枚めくる。
地獄庁稼働状況一覧表――すべての項目が「停止中」。
焦熱地獄:釜火未点火。
血の池:水温二十三度。
衆合地獄:密回避のため営業自粛。
無間地獄:責苦申請審査中(担当者不在)
「うんうん、みんな休んでて偉い偉い」
そう言いながら、閻魔はふぅ、と息を吐いた。机の上の飴玉をひとつ口に放り込んで、ガリガリ音を立てて噛み砕く。
そしてその稼働一覧表を片手で掲げ、勢い良く振り下ろした。
「地獄が死んどる!!!!!」
机に小気味の良い音と共に一覧表を叩きつけると、書類の山が揺れた。
押印用の朱肉が倒れ、じわりと赤が広がる。その色だけが、やけに鮮やかに見えた。
そこへ、通信鏡が震える。焦熱地獄の現場からだった。
「報告! 現在、全釜18時をもって自動消火済み! 復旧担当が定時帰宅しました!」
「は!? 誰か再点火しろ!」
「残業禁止です!」
「付けっぱで帰れよ!!!!」
「安全装置作動するんで無理です!!!」
「地獄に安全とかいらねえ!!!」
再び通信。
「大王、血の池、温度下がりすぎて亡者が“湯加減ちょうどいい”と喜んでおります!」
「血の池で血行促進すな!!」
「また、責苦の待ち行列において“先着順”を廃止した結果、亡者同士で自主的に順番を譲り合う事案が発生!」
「地獄で徳積んでんじゃねえ!!生きてる時にやれ!」
閻魔の喉が鳴る。赤い印章を見つめながら、呟いた。
「俺……俺は閻魔……閻魔大王だぞ……地獄の……」
閻魔の冠がずり落ち、机の上でコトンと音を立てた。
「俺の地獄が……壊れる……」
泣き声と罵声と嘆きがない地獄なんて、ただの倉庫だ。
閻魔は机に突っ伏すようにして倒れ込む。
沈黙の中、ふと壁の時計がカチリと鳴った。十八時。地獄庁全体の灯が一斉に落ちる。定時退庁、完全施行。
「あ、待て!! 判決文ドラフト保存してねえ!! 自動シャットダウンやめろ!!」
闇の中で叫ぶ閻魔の声だけが、虚しく反響した。山積みの書類、明日の準備など何ひとつできていない白紙の閻魔帳、スリープする浄玻璃の鏡。
「なんだこれ……なんだこれ……俺は……これを……明日までに1人で……?」
その時、執務室の扉が勢い良く開いた。扉の向こう、光の先に、角のシルエット。
「焦熱地獄の釜の再点火! 血の池現在追い焚き中! 針山地獄取扱申請許可及び無間地獄の申請許可願い承認済! 明日の被告人データは浄玻璃のファイル68からだ閻魔帳よこせ!」
「え、えんごぐぅ――――!!!!!」
いつも通り、いや、いつもより妙に生き生きとしたバディの姿を見て、閻魔は転がる様に炎獄の足下に飛びついた。
「離せバカ!! あぶねえ!!」
「炎獄ゥウ――――ッ!!!」
「やってる場合か!! 働け!!」
「いや待て、ダメだ、お前が休まねえと俺が処分されんだよ! 帰れ!」
「休んでんだよ」
「え?」
炎獄は、閻魔帳を広げ、筆を指先で回して言った。
「俺は休みの日に“遊びに”来た」
「えぇんごぐううううううう!!!!!」
閻魔は思った。こいつめっちゃ便利、と。
炎獄は思った。もうこれでいいや、と。
一ヶ月後、地獄の労働環境のデータは驚く程改善した。残業時間も大幅減、有休取得率も例年の倍以上という成果だった。
なおかつ、地獄はしっかりと稼働し、亡者の列もスムーズに進んでいく。天部に提出する書類も完璧。
「閻魔大王の御前だ、控えろ」
「さあ地獄か極楽か、判決の時間だ」
裁判も滞りなく回っていく。閻魔大王の隣には、常に信頼の炎が燃えている。
「炎獄、今日あと何件だ」
「三十五」
「地獄鳥鳴くまでには終わるな」
「今のうちに閻魔帳の用意させとくか」
「頼むわ」
「あ、十八時だぞ」
「よし打刻だけしてくる」
「俺のもやっといて」
「おう」
労働環境のデータは改善している。
そう、データは。
十八時以降、地獄庁には誰も居ない。という事になっている。浄玻璃の鏡は、一度明かりを落とした後、静かに再起動する。
地獄は回る。舌を抜かれない嘘つき達の働きで。
――
十王裁判所第五審【公式】
【お知らせ】働き方の見直しを進めています。なお、責苦は計画的に。
――
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