4話 地獄観光、ネオンと共に
極楽が極楽であるために、その運営側は忙しい。
上級官房の天部が極楽の制度と理を整え、極楽治安執行局・明王部が治安維持を担っている。
極楽観光課はといえば、窓口のベルが律義にちりんと鳴るたび、魂の娯楽を提供する。
天望は申請書の束を両手で抱え、デスクに腰をおろした。机の上には、観光客向けのパンフレットの見本が散らばっている。白と金の紙面に、やわらかい極楽の光が反射した。
端末にはガイドを担当する明日のツアー予定。極楽蓮池、蜘蛛の糸モデルコース。一番人気のルート。
「天望吏、来シーズンからのコース案が届いています」
「あ、もうあるんですか?」
「先ほどメールで」
「ありがとうございます。そしたら今日それの下見行けるかな……」
確認する。どうせ既存ツアーの焼き直しと、ちょっと法話の内容が変わるくらいだろうと高を括りながら、来期極楽観光ツアーコース案のファイルを開く。
「極楽観光ツアー、お試し地獄付き……」
*
「駄目だろ」
「私に言われても」
第五審執務室、炎獄が帳簿に目を落としたまま一蹴する。天望の手元には、カラフルなグラデーション文字で作られたツアー原案のプレゼン資料。
「あのな、地獄は見せ物じゃねえ。極楽様をおもてなししてる暇なんかねえよ」
「でも、
「知ったこっちゃ……おい、なんだそのダッセェ資料は」
「頑張って作ったんですが」
「無駄に文字をアーチにするんじゃねえ」
「ツアーに関して閻魔様の許可はいただいてるはずですが」
「……なんだと?」
炎獄が振り返ると、部屋の奥の豪奢な玉座に腰掛けた閻魔が、扇子をぱたぱたとさせながら答えた。
「あー、なんか、この間釈迦と話してた時ノリで言ったかも」
「おい……」
「ま、でもそれ本決まりじゃないでしょ? とりあえず天望ちゃんが地獄見てみて、極楽視点で無理そうだなって思ったら俺からも
「ありがとうございます。では、見学させていただきます。焦熱地獄のあたりから順に……」
天望が頭を下げた時、炎獄が筆を置いた。
「待て待て待て。お前、地獄ひとりで歩く気か」
「そのつもりですが……」
「危ねえ。ダメだ。地獄で事故は洒落にならねえ」
「……でも」
「炎獄着いてってあげればいいじゃん」
何でもないように閻魔の声が飛ぶ。
「それは私も安心ですが……」
「閻魔。午後裁判あんだぞ」
「閻魔帳まとめてあるだろ? そしたら俺1人でもなんとかなる」
「でも」
「こっちは気にすんな。てか、天女怪我させて帰したら俺がなんか言われんじゃん。というわけで案内と護衛を命ずる」
「…………チッ、了解」
「ねえ上司に舌打ちやめれる??」
*
地獄庁・焦熱地獄方面。低くうねる熱風の中、視察許可証を掲げて歩く天女が一人。後ろには、腕を組んで渋々ついてくる鬼。
「これが焦熱地獄ですか」
「ああ。ここで亡者が茹でられてる。俺も最初はここで現場積んだし、ま、オーソドックスなわかりやすい地獄だな」
「へえ……熱消毒みたいな感じで合ってます?」
「合ってるわけねえだろ。哺乳瓶じゃねえんだぞ」
足元の岩は赤黒く、遠くで釜の音が鳴っている。それを聞きながら、天望は端末を構えてメモを取った。
「“見学者の安全を確保するため、一定距離を保ちましょう”……うん、注意は必須ですね」
焦熱地獄を抜け、血の池へ。天望がメモを取る手を止めた。
「……意外と、静かですね」
「昼はな。夜は地獄鳥が鳴く」
「地獄鳥?」
「でかい鳥。うるさいぞ。あと臭い」
「……観光向きじゃないですね」
「地獄だからな」
血の池を抜けた先の岩に腰を下ろす。天望はメモ用の端末を膝に乗せ、ぱたぱたと手で仰いでいる。
「道ぼこぼこで……結構疲れますね」
「まあな。暑いか?」
「いえ、大丈夫です」
ふたりの間に、ほんの一瞬だけ風が通る。炎獄が少し視線を落として言った。
「……怖くないか」
「何がです?」
「何って……刑場だぞ、ここは」
「ああ、確かにそうですね……でも、炎獄が居るでしょう?」
天望が遠くの血の池を見ながら言う。それがどんな表情だったのか、炎獄には見えなかった。
その言い方が、妙に胸の奥に残る。ここは炎獄が一番“鬼”である場所なのに。
「……俺だって地獄側だぞ」
「わかってますよ。でも炎獄がいると安心するので」
「……」
安心なんて地獄には一番必要無いはずなのに、否定したくない自分が居てしまった事に炎獄は動揺した。
「こうして二人で地獄を歩いてるとなんていうか……そうですね……」
天望の髪が地獄の風で揺れる。その横顔に、憂いも恐怖も無かった。
「修学旅行っぽい……」
台無しだよ、と炎獄は思った。
「お土産とか買って帰れますかね……」
「ねえよそんな店は」
「欲しかったんですよねパワーストーン抱いてるオコジョのストラップ……」
「やかましい。行くぞ」
衆合地獄。殺生、盗み、邪淫の地獄。焦熱や血の池が原罪を洗い流すための“罰”であるなら、衆合はむしろ“欲”の成れの果てそのものだった。
無数のネオンが昼夜問わず瞬き、無秩序に光を散らしている。上空には黒煙が渦を巻き、天井のない夜が続く。
「なんか、派手ですね」
「亡者の性質がな。要は金とか性とかの欲に溺れた奴の地獄なんだよ」
「へえ、それでなんか、繁華街っぽくなってるんですね」
「おう。ぼったくりした奴はここで逆にぼったくられ続けるし、女を騙して金を得たホストとかはヘルプ席で一生テキーラを飲み続ける責苦を受けてる」
「最悪だ」
「鬼とかは普通に飲みに来るけどな、ここ」
「へえー……」
手元の端末にメモを残す。昼のはずなのにまるで夜のようなこの地獄は、白と金の極楽に慣れた目には眩しかった。
よく見れば露出の多い女の鬼も歩いているし、亡者が駐車場で鬼にカツアゲされている。
「治安悪し……と」
「地獄に治安の良い場所はねえ」
呼び込みと安い音楽が混ざって、昼のはずなのに夜より騒がしい。
その時、炎獄の端末が震えた。
「……閻魔? 悪い。二分だけ電話。そこにいろ」
「はぁい」
「絶対だぞ」
炎獄が人波の向こうに消える。天望は柱に背を当て、端末に《視線注意喚起/誘惑型の勧誘多》と打ち込む。
しばらく端末を操作していると、地獄庁のSNSが更新された通知が飛び込んでくる。
――
十王裁判所第五審【公式】
今日は忙しいので全員地獄にしま〜す
――
「……またやってる……」
閻魔がアカウントを間違えたのか本気なのか、ギリギリわからない公式のつぶやき。案の定不謹慎だとか公式で言うななどの返信がついていて、炎上とまではいかないがボヤ程度になっていた。“あ、電話これの件か”と予想がつく。
画面から目を離して上を見上げると、空は暗く、ネオンの光が反射して、極彩色がじわりと映っている。知らない空だ。
「え、お姉さん天人じゃーん! めずらしいねー!」
ぬるっと声が滑り込んできた。声の方を見ると、そこにはやたら歯が白い男の鬼。髪は過剰に艶、スーツは無駄にきらきら。
「……すみません、仕事で来てまして」
「何時終わり? 俺すぐそこの店に居るんだけど初回なら五千円! でも俺お姉さんと飲みたいから、初回料金俺出すよ」
「タダ酒……」
「そー! 行こうよ!」
ホスト鬼が馴れ馴れしく天望の手を引こうとする。天望は端末を抱えたまま、少しよろけた。
「あの、私連れがいて」
「マジ? じゃその子も一緒に行こうよ。うちけっこうイケメンいっぱい居るからさ」
「いや、その」
背中に影が差す。路地の熱が一段だけ冷えた。
「条例違反だ」
男の動きだけがぴたりと止まる。炎獄が音もなく間に入っていた。視線は男の手元に落ち着いたまま、声だけが低く届く。炎獄は胸元の身分証をほんの一瞬、角度だけで見せた。光が走る。
「十三条。担当亡者の責苦以外での客引き禁止。知らねえは通らねえ」
「い、いや、補佐官、今のは——」
「名刺出せ。処分は後で閻魔庁から通達する」
言葉より先に、炎獄が半歩だけ前へ出る。距離が詰まった、という事実だけが男の喉を固くした。笑顔の白い歯が、少し乾く音。
震える手で名刺を差し出す男から受け取ってポケットに入れる。
「天望。こっち」
炎獄は天望の端末を持つ手とは反対の手首をぐいと引いた。勢いで足が揃う。路地の暗がりから灯りの方へ。通りの空気がすっと通る。繋いだ指は、そのまま離れない。
「補佐官、あの、初回五千円は、善意で……」
「善意なら路地でも掃け。あと店頭の看板撤去。口上は歩道に出る前に飲み込め」
「……はい」
周囲で見ていた呼び込みが肩をすくめる。炎獄は振り向かない。天望の歩幅に合わせて、そのまま通りへ押し出す。
ネオンの明滅が背中へ回ったところで、天望が小さく息を整えた。
「……すみません。助かりました」
「いや、一人にした俺が悪い」
そこまで言って、ずっと掴んでいた手を離す。手のひらにまだ温もりが残っていた。
「ついてったらタダ酒飲めましたかね」
「お前な。これ以上金使う趣味増やそうとすんな」
「冗談です。行きませんよ」
天望が顔を上げて、にっと笑った。
「飲むなら炎獄の家でいいんで」
「……あ、っそ」
他意なんてない。言葉通りの事しかこいつは言わないとわかっていても、炎獄の心臓は跳ねる。
*
翌朝、十王裁判所の小会議室。白い蛍光灯と書類の山、紙コップの茶。
「——“お試し地獄付きツアー”、中止でいいな」
開口一番、閻魔がさらっと言う。くるりと椅子を回して、茶をすすった。
「えっ、決まりですか」
天望が資料を抱えたまま固まる。炎獄は横で腕を組んだ。
「早いに越したことはねえ。昨日の時点で“想定外”が出た」
「想定外……って、客引きの事ですか?」
「安全導線の外から接近が入った時点で、見学ルートは再設計。で、再設計コストかけるほどの公益はない。以上」
「炎獄、会計の人みたいですね」
「地獄は事務が命なんだよ」
閻魔が資料をひらひらと指先で揺らす。
「“衆合ブロックは時折の呼び込みあり。想定はしていたが、現場制御の限界が露呈”……って炎獄が書いてる」
「そんなことまでメモらなくても……」
「メモるのが仕事」
観光課の課長が咳払いした。
「極楽側としても、昨日の報告で“スタッフ及びツアー参加者のみで歩ける環境には至っていない”と判断します。精神衛生面でも、観光地の基準には合わない」
「ま、釈迦には俺から伝えとくわ。“客引きに絡まれた”で通るだろ。あいつ“駄目なもんは駄目”って言うし」
「でしょうね……」
炎獄が指で机をとん、と叩く。
「代替案は出す。映像資料+出張講話。“地獄は見せ物ではないが、無知は危険”のラインで。“見る”のはスクリーン、“感じる”のは温度だけ」
「温度?」
「VR釜。開発室が作ってる。低温版」
「低温……“ぬるい責苦体験”」
「言い方他にあるだろ」
課長がペンを走らせる。
「では、タイトル案、“地獄安全入門・第五審補佐官特別講話”。会場は極楽ホール。持ち時間四十五分」
「長えよ」
「質疑応答込み」
「長え」
結局、ツアーはこれにて没となり、天望は抱えていた派手な資料を、名残惜しそうに伏せた。
「頑張って作ったんですけどね」
「無駄に文字をアーチにするなって昨日言っただろ」
「次はシンプルにします。極楽ベージュで」
「白地に薄い色の文字は罪だろ」
一区切り。会議散会の空気が流れる。椅子が引かれ、茶が片づく。
廊下に出て歩き出して数歩、天望が足を止める。
「でも、ちゃんと見に来てよかったです」
「そうだな」
「じゃ、また仕事で」
「ああ。仕事で」
扉が閉まる。静かになった廊下で、炎獄はポケットから昨日の名刺を取り出し、裏に《B-1条例違反 金髪の鬼は厳重注意※殺さない》と覚え書きを入れて、仕舞った。
その日の夕方。極楽観光課の掲示板に新しい紙が貼られる。
《お知らせ:来期“地獄付き”プラン中止 代替として“地獄安全入門(第五審補佐官講話)”を開催予定。詳細は後日。》
窓口のベルがちりんと鳴る。天望はいつもの笑顔で応対しながら、端末のスケジュールにひとつ予定を打ち込んだ。
《第五審・炎獄鬼:講話打ち合せ(仮)》
ただの業務連絡。そう画面に言い聞かせるように、指先で確定ボタンを押した。
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