第2話

 ホントかウソかもわからないネットの噂にかまけてる暇はない。


 でも、噂が本当だとしたら……?


 タカネの歌が、ヒト1人を燃やしたとしたら?


「あり得ない」


 コーヒーを飲もうとしたら、空だった。


 予備はない。近くにコンビニはあるけれど、わざわざ下りてまで買いに行くほどじゃない。


 さて。


 遺品整理の続きをやらなくちゃ。


 ここまでは簡単だったけど、ここからが問題だ。


 このいかにも高そうな物件に、わざわざ造らせた防音室が残っている。ここがタカネの仕事場で、きっと物が多いに違いない。わたしには価値が理解できないものもきっとある。


 時刻は午後5時過ぎ。


 このままだと夜通しやる羽目になるかもしれない。


 何度目かのため息が漏れた。


「……なんで死んだのさ」


 返事はない。あるわけがない。むしろあった方が怖いので、防音室へ向かう。


 1つの部屋を丸ごと改装したという防音室の扉は。コンサートホールとかカラオケボックスの扉みたいに、隙間がまったくない。アリの子どころか空気さえも入ることを許されなさそう。


 扉を開けると扉があった。


 さらに扉を開けば、そこは三畳ほどの狭い部屋。


 テーブルがあり、マイクとノートパソコンが置かれていた。テーブルの横には棚があり、そこには無数のCDが収められていた。


 1つを取り出してみる。タカネが好きだと言っていた歌手のアルバムだった。


「昔いっしょに聞いたっけ」


 一つのイヤホンを右と左で分け合って聞いていたのを思い出した。イヤホンなんかしないで聞けばいいのに、音質が悪いからってタカネが言ったからそうなったんだ。


 リズムに乗って頭を動かせば、イヤホンがピンと伸びて外れちゃう。だから自然と、くっつくことになる。


 ハイテンポなメロディとともに、タカネが笑う。――それが見えた気がして、わたしは頭を振る。


 暑い……狭いからだろうか。


 わたしは扉を開けっぱなしにして、ノートパソコンの電源を入れる。


 モニターがつく。エンターを押すと、勝手に先に進んだ。


 故人に言うのはアレだけど、パスワードはかけた方がいいよ……。


 とはいえ、そのおかげで中を調べることができるわけで。


 でも、何を調べるんだ?


 何を調べたらいいんだ?


 画面には大きな蝶――いや蛾が映っている。ヨナグニサンだ。そういや、いつだったか聞かれて説明したことがある。


 蝶と蛾の違い。


 簡単に言うと、止まったときに翅を立てているのが蝶だ。夜に飛ばないのも蝶だ。とはいえ例外もある。夜に飛ぶ蝶もいるし、蛾みたいに開いて止まる蝶もいる。


 ちなみにヨナグニサンはわたしが好きな蛾だ。まず名前がいいよね。赤いし模様もいい。


 はじめて見たタカネはびっくりしてたっけ。


「こんなの顔に来たら死んじゃうかも」


 そんなタカネにヘラクレスサンを見せたら、腰を抜かすんじゃないかって思ってたんだけど。


 もしかして、気に入ってくれたんだろうか。


「だったらいいな」


 好きなものを好きでいてくれるってやっぱりうれしいし。


 しばらくの間、壁紙をマウスででまわす。満足してから、ようやくファイルに取り掛かる。


 デスクトップ画面は整理されていて、ほとんどファイルがない。ゴミ箱とミュージックというファイルがあるばかり。


 唯一のファイルを開くと、ずらっと音声ファイルが並んでいる。タイトルには見知ったものがあった。


「She is fire」


 下の方までスクロールしていくと、最も新しいものがある。聞いたことのないタイトルだから、たぶん未発表の曲なんだろう。


「Ghosting...」


 その曲をクリックする。


 途端。


 爆音が鳴りひびく。


 からだを揺らし、耳をつんざくイントロは、デスクの下にあったらしいスピーカーから響いてきていた。


 だけども、わたしは止めることもできず。


 ただ、暴力的なサウンドに弄ばれることしかできなかった。






 タカネと出会ったのは、不法侵入した山だった。


 その山っていうのが、タカネが所有している山らしい。


 迷子になっていたところ、所有者に出会った。


 素っ裸で泳いでいるタカネに。


 思わず、目をこすった。蝶に導かれて、変な世界に迷い込んだかと思った。でも、目の前にいる美少女は学校ナンバーワンの姫浦ひめうらタカネその人で。


 タカネは「あれ?」と言った。


四十万しじまちゃんじゃん」


 冷静な言葉が返ってきて、わたしがおかしいのかなって思った。なんで裸を見られてるのに平然としてるんだろう。


「別に減るもんじゃないし」


「減るよ……」


「なにが?」


 言葉にはできなかった。黙っていたら、クスクス笑い声がやってくる。


 ザバンと川から上がったタカネがペタペタこっちへ歩いてくる。


 転がる石を、雑草をものともせずに。


 ハイキングルックのわたしの前へ。


「夏休みの自由研究中?」


「……ギフチョウを捕まえようと思って。そういう姫浦さんは?」


「ここ、私のものだから」


「へ?」


「不法侵入だね。いけないんだ……」


 ツンツンと濡れた指がわたしの胸をつついてくる。しっとりとした指からキラキラしずくがこぼれ落ちて、服に跡をつくった。


 わたしは動けなかった。正直言って、見惚みとれてしまっていたと思う。


 その裸の美しさ。


 この状況の異常性に。


 きっと――わたしは蝶と同じくらい、それ以上のものを見つけてしまったんだ。


「通報したら捕まっちゃうね。それがイヤだったら、私の言うことを聞いてほしいな」


 わたしは頷いた。頷くしか選択がなかったし、きっと脅されていなくてもそうしていたに違いない。


 ぼうっと頭が熱を帯びていた。


 もしかしたら、これは夢なのかもしれない。


 フワフワしていて、でも、目の前で微笑むタカネは、まさしくリアルだった。


「何をすればいいの……」


「歌を聞いてほしいな」


「歌?」


「そ、私、歌手になりたいからさ」


「どうしてわたしなの」


 たまたま居合わせたわたしなの。


 だからいいんじゃん、とタカネは言った。


 あなたみたいに変な人だからいいんじゃん、と。






 我に返った時には、全身が汗で濡れていた。


 目の前のノートパソコンは動きを止めていた。震える手で電源ボタンを押すけど、つかない。どうやら、バッテリー切れで落ちてしまったらしい。


 ということは……。


 わたしはスマホを取り出す。


 時刻は午後9時。


 夕方から、ずっと聞きつづけてたってこと……。


 認識するとともに、強烈な喉のかわきが襲ってくる。腹痛にも似た空腹に、逆に吐き気がこみあげてくる。


 わたしは壁にもたれかかるようにしながら部屋を出る。何度も転びそうになりながら、リビングを通り抜けキッチンへ。蛇口をひねって、そのままゴクゴク飲み干す。喉を伝い服が濡れるのも気にならない。


 火が燃え広がるように、塩素くさい液体が体中にしみわたった。


 おなかがちゃぽちゃぽ言うくらい飲んで、蛇口から離れる。


 サーっと水がシンクに落ちて流れていく。


 テレビが目に入る。


 焼死体、全国で50人。


「は――」


 ヨタヨタとテレビに近づき、その画面の両サイドを掴む。


 つけっぱなしになったテレビでは、報道番組がやっていた。今の時間、ドラマがやってるはずなのに。ってことは特番か。


 アナウンサーがハンカチで額の汗を拭っていた。


 画面が切り替わり、映像が映る。


 空へ飛び立つ光。


 海にかかる橋をバックに、優雅に空を舞うその光は蝶のかたちをしている。


 わたしは窓へとちかづいて、カーテンを開く。


 トリップしていた間に暗くなった空。


 そこには無数の光が飛び交っている。その光はどこかへと向かっている。闇の中にぬっとそびえる山の方へ。


 タカネと出会ったあの場所へ。

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