最終話

 大丈夫ですか、とタクシーの運転手に心配された。


 わたしは軽く手を振り、目的地を伝える。ちらりとミラー越しの眼が揺れていたけれど、まもなく車は走り出した。


 シートに沈みこんだからだが重かった。


 数時間も曲を聞いていたからか、ひどくだるかった。カップ麺を2つほど食べて空腹感はない。


 頭に触れると、熱かった。


 病院に行かなきゃかもだけど、今はそれどころじゃない。


 あの謎の光。


 光る蝶。


 あれは、タカネだったものから現れたものにそっくりだった。


 演出の一環だと思ってた。CGとかエフェクトとかその類だと。


 そうじゃないとしたら?


 プロジェクションマッピングでも錯覚でもなく、本当にタカネのからだから蝶が出ていたとしたら。


 そう考えると、SNSで見たあの映像の意味も分かった。


 最後、急に空を見上げていたのは、死体から出ていく蝶を追いかけたから。


 わたしは首を振る。


 確かめたらわかるかもしれないけど、それだけの余裕はなかった。


「なんだか変な病気が流行りはじめたらしいですね。なんでも体が燃える病気だとか」


 運転手が話を振ってくる。


 でも、わたしは返事ができなかった。


 疲れた。


 口を開くのも面倒。目を開けている事さえも億劫だった。


 あの山につくまでまだ時間がある。ちょっとだけ寝よう。そうしたら、だるいのもマシになるはずだ。


 夜が迫ってくるようにやってきた睡魔に、わたしは身を任せた。






 ねえ。


 そう言われて、わたしは目を開ける。


 目の前には蝶が浮かんでいる。


 ヨナグニサン。


 いや、あれは光らない。


 この蝶は人魂みたいに光っている。


 その蝶はふわふわと右に左に揺れながら、言葉をつづけた。


 ――どう?


 どうって何が。


 言葉にする前に、言葉がやってくる。まるで、わたしの考えていることが相手に筒抜けになっているみたいに。


 ――私のことを忘れないでいてくれる?


 頷く。


 蝶が嬉しそうにはためき、わたしへ向かってくる。額に触れ、溶けて、その中の脳のシワにしみこんでいく。


 脳がカッと熱を帯び――わたしは目を覚ました。


「お客さん?」


 目の前には、蝶ではなく運転手の怪訝そうな顔。


「つきましたよ」


 わたしは頷く。


 そして、じっとりとした暑さに覆われた世界へ踏み出す。






 タクシーが走りさると、あたりは真っ暗になった。


 スマホを取り出し、ライトをつける。あまりに頼りない光だ。これなら、途中でコンビニに寄っていけばよかったかもしれない。


 見上げた空では星がキラキラ踊っている。


 月のない空。


 光る蝶のない真っ暗な空。


 あれだけの量の蝶がいれば煌々こうこうとして目立つはずなのに、山は闇に包まれている。


 でも、ここにいるはずだ。


 何が?


「……何考えてるんだろ」


 タカネがいると考えるなんてどうかしてる。






 事情が事情であったため、警察が捜査を行った。


 他殺か自殺か。


 結局、それはわからなくて、不審死、ということで片づけられることになった。


 間違いないのは、黒焦げになったのはタカネに間違いないということだけ。


 それ以外は何もわからない。


 蝶が飛び出した理由も、同じことがほかの人間でも起きている理由も。


 きっとSNSでは、不確かな憶測が飛び交ってるんだろう。


 タカネは魔女だ。


 タカネが蝶をばらまいたんだ。


 アンチに復讐するために。


 とかね。


 ――魔女だって、変なの。


 くすりと笑う声が聞こえた気がして、こっちまで笑いそうになってくる。


 光のない山を登るのは非常につらい。登山道はあるんだけど、柵とか階段があるわけじゃない。ただ、人が通っているから道となっているだけの、簡素なもの。


 右側にがけ。すべり落ちたら絶対死ぬ。


 そんな場所になんで道があるのか。


 裸で泳ぐためだけじゃないよ、とタカネは茶目っ気たっぷりに言ってた。


 誰が家族ぐるみで川遊びをするか。


 ――そうかもしれないじゃん?


「じゃあなんなの?」


 ――ひ、み、つ。


 今や声だけじゃない。制服を着たタカネが目の前にいる気がする。いや、いるんだ。少なくともわたしはそれを知覚している。


 死んでいるはずなのに。


 ――どうしてでしょ?


 わかるわけがないでしょ、と荒い息まじりにわたしは答える。


 からだを覆う熱っぽさが関係している気がする。


 もしかしたら、わたしは死にかけているのかも。


 頭の中が焦げて、タカネみたいにカリカリになるのかも。


「そっちがいい?」


 気がつけば、目の前にタカネの顔があった。


 それはリアルだ。VRなんかよりもずっと。


 わたしはその変わらない瞳を見つめ返して、首を振る。


「……死にたくない」


「だよね。私もルリちゃんには死んでほしくないかなー」


「わたし以外ならいいの?」


「当たり前じゃん」


 タカネが歩きはじめる。崖となっている道の右側を。


 何もないはずの闇の中を。


「おっと失礼」


 音もなく、タカネは道に戻った。


 地面に光を向ければ、足跡はなかった。


「エッチ。ローアングルから撮るの禁止ね」


「撮ってない」


「撮ってないんだ? 残念」


 そう言ったタカネめがけ、わたしは石ころを蹴っ飛ばす。


 石ころはコロコロ転がっていって、タカネをすり抜けていった。


 イテッと遅れて声がした。






 タカネは、わたしをその場所へと的確に案内してくれた。


 わたしはその場所がどこにあるのか知らない。


 だから、目の前にいるのは幻じゃなくてタカネそのものなのかもしれない。


 だとしたら、タカネは死んではない……のか?


「ちゃんと見たでしょ、死体」


「まあうん」


「だから死んでまーす」


 カラカラとタカネが笑う。タカネにはこういうところがあって、だから友達が少ないんじゃないかって思ったりもする。


 そうしたら、こう返ってくるんだ。


「ルリちゃんがいるからいいもん」


 現に想像していた通りの回答が返ってきた。やっぱりわたしの想像上の存在なのかも。


「そんなのどうでもいいじゃん。ほらついたよ」


 目の前にはあの日、タカネと出会った川が広がっている。


 その川が、マグマのように煮えたぎっていた。


 川辺に並ぶ、数十匹の赤い蝶。


 そのただ中へタカネは歩いていく。


 蝶たちは逃げない。むしろ、女王様の帰還を喜ぶ国民のようにはねをパタパタ動かしていた。


「タカネのしわざなの……」


「そ。でも、復讐のためじゃないよ? あんなやつらどうでもいいし」


「じゃあ、なんで」


「ルリちゃんに忘れないでいてもらうためだけど?」


「それだけのために……」


 それだけのために、ここにいる蝶と同じ数だけの人を燃やしたの。


 タカネは大きく頷いた。


「ルリちゃんにはわたしのことだけを思っていてほしいの。勉強するときもご飯も食べてるときも、ほかの人のライブは……ちょっと見てほしくないけどさ。まあ、許すよ」


「だから、死んだの」


「うん。ずっとルリちゃんの中にいられるように」


 タカネが頭を指さす。


 さっき見た夢がフラッシュバックする。


 頭の中に入ってきた蝶。


 あれは――。


「安心して。こんがり焼けたりはしないからさ」


「そっか」


 安心はしていない。


 ただ、同時にどこかホッとしているわたしもいる。


 命の危険がないから?


 そうじゃなくて。


「……そんなことしなくてよかったのに」


「安心できなかったからね。じゃなきゃここまでしないって」


 タカネがわたしの後ろを指さす。


 振り返れば、木々の間から街の様子が見下ろせた。


 燃え上がる街。いつになく赤く染まったビルの間から、いくつも黒煙が上がっていた。時折、音がする。なにかが爆発したような音、サイレン、サイレン、サイレン。


 赤い光に包まれた街から無数の光が舞いあがり、こちらへと近づいてくる。


 蝶の群れが、一直線にこちらへとやって来る。


 振りかえると、タカネが笑っている。


 その笑顔を見ているうちに、蝶の群れに包まれる。


 世界が真っ赤に染まる。


 たくさんの熱が。


 たくさんのタカネの記憶が。


 笑顔が。


 姿が


 声が。


 脳に焼き付いた音がした。

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火のないところに蝶は舞わない 藤原くう @erevestakiba

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