火のないところに蝶は舞わない
藤原くう
第1話
燃えるところを見せたげる――。
あまりにも自然な言葉に、サイリウムを振る手を止める観客はいなかった。
サードシングル「She is fire」のAメロとBメロの間の長い間奏。
揺れるからだが燃えはじめた。
どこからともなく現れた炎がタカネに絡みつく。
誰もが演出だと思ったに違いない。曲はタカネの声を待つように流れていたし、彼女のからだは
タカネはうめき、もだえ、歌詞にはない絶叫をほとばしらせる。
陸に上げられた魚のように。
床を転げまわるマリオネットのように。
それでもなお、視聴者はタカネを見ていた。
ただ見ていた。
肉の焦げる匂いも、蝶をイメージさせるフリフリの衣装が
のぼる黒煙も。
鳴りひびく火災報知器も。
雨のように降りそそぐ消火剤だってそうだった。
誰もが、タカネを見ていた。
その形をした炎から、無数の蝶が飛び出していく瞬間を見ていた。
火の粉のような赤い蝶は、カメラへと殺到し――。
手にしていた、スマホがが一瞬、眩く光った。
まるで、パシャリと写真を撮られたみたいに。
目の前で花火が
その光によって、誰もが正気に戻った。
舞台上で動かなくなった黒い物体。線香のような細い煙が上る物体にピントが合って、映像が途切れる。
画面に自分の顔が映ってやっと、視聴者は演出ではないと気が付いた。
わたしもその一人だった。
タカネの家は高級マンションの最上階。
下を眺めると、吸い込まれそうになるほどの高さ。
ひょいっと手すりを乗り越えて、遥か彼方の地面にキスしたくなる。
ため息を吐き捨て、わたしはタカネの家に向き直る。
オートロックの綺麗な扉へ合鍵を差し込み、中へ入る。
真っ暗な玄関に、光が灯る。
きらびやかな床には、無数のスニーカーが並んでいる。
タカネはバッシュが好きだった。
――ルリちゃんにも似合うと思うけどな。
そう言ってくれたタカネはもういない。
靴を脱いで、リビングに向かうと、ズンと沈んだ静寂がわたしを包みこんだ。いつも出迎えてくれる言葉はなく、部屋には冷たさしかない。
ここも、カップ麺が転がるキッチンも、寝室も、わたしが綺麗にしなければならない。
タカネの遺品を整理するために、わたしはやってきたんだから。
仕事用に使っていると言っていた防音室以外の整理を終わらせて、わたしはリビングで休憩する。
つけっぱなしにしていたテレビでは、タカネの死について話していた。
人気上昇中の歌手が死去。
チャンネルを変えても、同じことを言っていた。
消すと、黒い画面にわたしの顔が映りこむ。
ひどい顔だった。
頭が熱っぽい。ちょっと疲れてるのかもしれない。わたしはぬるくなった缶コーヒーを胃の中へ流し込む。
わたしが遺品整理をすることになったのは、わたし以外に連絡がつかなかったかららしい。
タカネの両親が、ずっと前に亡くなっていたことは知っていた。でも、友達はたくさんいると思っていた。
人懐っこい笑顔が頭の中に浮かんで消える。
連絡してくれた市の職員も困惑していたみたいだった。
――噂で聞いてたのと違いますね。
「噂、ね……」
思わず、呟いた言葉がわたし以外にだれもいないリビングに溶けていく。
その噂のせいで、タカネは死んだのかもしれないのに。
手元でべコリと音がする。見れば、コーヒーの缶がへこんでいた。思わず握りしめていたらしい。わたしはため息をつく。
と。
テレビから垂れ流されていた音が、騒がしくなった。
見れば、画面に速報という文字が浮かんでいる。
スクランブル交差点内で、突然人体が燃えだしたと通報が――。
カンペを受け取ったアナウンサーがまくしたてた。
この○○にお好きな悪口を打ち込めば、ネットに流れているアンチコメントのほとんどになる。
そんな根も葉もないうわさが流れ始めたのは、タカネが歌手として有名になりはじめてからのこと。要するに有名税ってやつだ。
有名なやつには何を言ったっていい。
それが当たり前みたいな風潮ができあがりつつあって、タカネもいちいち否定しなかった。
なんでだろうとわたしは思う。実際、目が腐ってしまいそうなものもあって、一度聞いてみたことがある。
そうしたらタカネはどうしたと思う?
タカネは笑って、わたしの頭を
「そうじゃないってこと、ルリが一番知ってるでしょ?」
そう言われてしまうと、わたしも何も言えなかった。
言えないまま、タカネは死んでしまった。
だからこそ、噂を流したやつらが憎かった。
殺してやりたいとさえ思った。
そう思っていたら、本当に死人が出てしまった。
被害者は会社員の男性らしい。そう分かったのは、スマホが燃えずに残っていたから。
SNSでは決定的瞬間を撮影した動画がバズっていた。一時間もせずに運営によって削除されたその動画には、スマホ片手に歩くスーツが映っていた。首を曲げ、スマホをタップし続けている。
撮影者は外国人観光客なのか、まわりにそびえるビルを、歩く人々を、やかましいほどの広告などにカメラを向けている。
不意に悲鳴が上がった。
カメラがその方を捉えれば、ボッと音を上げ、炎を上げる人の姿があった。
よたよたと四肢を振り回しながら歩く炎。
いくつもの悲鳴。逃げる人々。撮影者もまた、逃げる。逃げながらもカメラを向ける。
ガタガタと揺れる映像。
炎が足を止め、倒れた。
ラクレットのようにとろけたアスファルト上に倒れる黒い塊。
それは、ライブ上に倒れたタカネの亡骸そっくりで。
不意に、外国人が驚愕の声を発した。
地面から空へと移動していく。まるで、撮影者が空を見上げたかのような動き。
映し出された空には、彼岸花みたいな赤が広がっている。
それで、映像は停止した。
この短い動画は削除された。しかし、コピーされたと思われるものが、別の投稿者によって何度も投稿された。
同時に、SNSでは様々な憶測が飛び交った。
その中でも主流の考えは、タカネのしわざ、というもの。
あくまで噂は噂で根も葉もない――とは今回ばかりは言えなかった。
人体が発火した瞬間に居合わせた目撃者が、こんなことを言っていたから。
被害者はタカネの歌をうわごとのように呟いていたと。
その歌というのが、タカネが死んだその瞬間に流れていた「She is fire」だった。
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