第13話 働いた分だけ届く未来 ― 桜貨と市民議会の成立
朝の空気は、まだ冷たい。
港に吹き下ろす風は、木の皮と湿った土の匂いを連れていた。夜にしとしと降った小雨の名残が、屋根と道のあちこちに、まだ小さな銀粒を散らしている。
ユーマは、まだ人の少ない広場に立っていた。
露台の石は、完全に整っているわけじゃない。大きさの違う石と石の隙間を、砕いた砂と小石がゆっくりと埋めている最中だ。靴底がこつりと鳴るたびに、その隙間から朝の光が細く滲む。
この街は、完成していない。
だからこそ、息をしている。
広場には、長机が一つ。上には帳簿と、木製の小さな札が並んでいる。
札には三行。
みんなが呼吸できる税
だれでも来られる議会
桜貨は、暮らしを渡す道具
「……言葉はこれでいい。」
ユーマは、札をそっと手で撫でた。
金でも石でもない。木の札は、触れば手の体温が移る。
制度は、触れるものじゃないといけない。
そう考えていた。
とん、と石畳を小さな足音が走った。
妖精のティリルだ。花弁を散らしたみたいに、髪の先が薄桃色に光っている。
「ユーマ、席、あっちに置いた! ちょっと斜めだけど!」
「斜めのままでいいよ。斜めの方がみんな座る。」
「そっか!」
ティリルは胸を張る。
その後ろで、エルフの青年セリオが、桶を二つ抱えて歩いてくる。朝いちばんに井戸で汲んだ水だ。
「茶の用意はまだですが、喉が乾いた人用に。」
「助かる」
人は、会議の前に水があるだけで落ち着く。
会計士として働いていた頃もそうだった。
数字の前に、まず人が飲む水がいる。
それを忘れると、人は決めごとで壊れる。
そこへ、パン屋の女将が大きな籠を抱えてやってくる。
「黒パンと、今朝の干し肉入り。お腹空いてたら言いな」
「ありがとう。みんなで分けよう」
女将は肩をすくめた。
「分けるのがあんたの悪い癖だよ。そのくせ皆に食わせて、自分は茶ばっかり飲んでる」
「人は茶があれば生きられる」
「パンだって食え!」
広場にくすくすと笑いが広がる。
まだ議会は始まっていない。
でも、街はすでに会話で回っていた。
⸻
■ 市民議会が始まる
日が高くなるにつれ、人が増えてくる。
鍛冶屋のフォルテ、宿屋の女将、川漁師、子を連れた若い母親、畑の世話をする老夫婦。
冒険者も二組、少し緊張した顔で広場の端に立った。
「始めようか。」
リシアが言うと、ざわつきがすっと引いた。
ユーマは広場の中央に立ち、机に手を置いた。
「今日決めることは三つです。」
指を一本ずつ立てる。
「一つ目。日々できるだけ軽い、暮らし税の形。
二つ目。街を守り育てるための、桜貨の流れ方。
三つ目。誰でも参加できる議会のやり方。」
フォルテが腕を組んで言う。
「……税は、上から降ってくると嫌なもんだ。」
「うん。」
ユーマは即答した。
「だから、ここは下から決める。
“払える日には払う。払えない日は払わない”。
そのかわり、何に使ったか全部見えるようにする。」
女将が手を挙げる。
「払えない日、ほんとにあるよ。」
「あるね。疲れた日、子どもが熱の日、天気の悪い日。
だから、免除印を木札に押す。誰にも咎められない。」
「咎められない……ほんとに?」
ユーマは微笑む。
「ここは、息の街にする。
呼吸みたいに、出せる日は出す、苦しい日は出さない。
人は、毎日強くなんていられない。
それでいい。」
広場の空気が、少し揺れた。
緊張が、ほどけるときの揺れだった。
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■ 税は「壊さない」ためにある
ユーマは、布の下から一枚の板を出した。
売上推移と人口推移の板だ。
「ここ一年で、人口は村の倍以上になってる。
けれど、ここに来た人の多くは“逃げてきた人”だ。
前の土地で、働きすぎて、心と体を壊した人たち。」
自分の過去の痛みが、少しだけ胸に浮いたが、ユーマは言葉を止めなかった。
「だから、ここだけは、壊さない形を選ぶ。」
老人がぽつりと言う。
「……税ってのは、街が育つための土か。」
「そう。
人にかけるんじゃなく、街にかける。
街が育てば、人は息がしやすくなる。」
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■ 街の未来をひらく、今日の三つ
ユーマは、板の端に三つの印を描いた。
・道に砂利を補充する
・市場の隅に木陰の休み場をつくる
・夜警の人数を少し増やす
「今日からやるのはこの三つ。多くしない。
街は、ひと息で育たない。
少しずつ、毎日。」
女将が笑った。
「それなら、あたしたちにも手が出せるね。」
「そういうこと。」
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■ 夜の街は、静かに灯が増える
会議は終わった。
でも輪はほどけず、人はそのまま話し、笑い、パンを割り、水を回した。
それぞれの手に、桜貨があった。
小さな銅の音が、ささやかに鳴る。
夜になり、街灯に油が注がれる。
灯りがひとつ増えるたびに、人がひとり、安心して夜を歩ける場所が増える。
港の暗がりに浮かぶ灯りを眺めながら、ユーマは静かに息を吸った。
焦らなくていい。競わなくていい。
でも、止まらなくていい。
息は続いていた。
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Ⅰ 家の台所で決まる、一日の税
朝。粉だらけの手で、若い母親ミナが食卓に桜銅貨を三枚並べた。
薄いパンに蜂蜜を少し。子の頬に蜂蜜の筋ができる。ミナは布で拭き、銅貨を一枚、木皿の上へ移した。
「今日は暮らし税を桜銅1。息に余裕がある日ね」
隣の家では、老夫婦が井戸端でうなずき合う。
腰が痛む日なので、免除印を木札に押した。
「出せる日に出す、でいいそうだよ」と、老夫は笑った。「今日は休む。明日は道の砂利を運ぼう」
パン屋の女将は店を開ける前に、帳場の引き出しから桜銅3を取り出した。
「今日は焼き増やし。夜警が増えるから、夜の軽食も用意する。……払える日は払っとく」
税は罰ではなく参加。
その言葉は、家の台所の高さで、すっと腹に落ちていた。
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Ⅱ 桜貨が回る瞬間 ①(市場と買い取り)
市場の回廊に、買い取り所の木札がかかる。
冒険者の少年が狼皮を抱えてやって来る。まだ慣れない手つきだ。
「狼皮十。傷少なめ。桜銀五でどう?」
担当のアーデンが皮の縁をめくり、ゆっくり笑う。
「いい。……指を少し切ってるね。解毒軟膏は桜銅2。要る?」
「いる」
少年はうなずく。
受け取った桜銀から桜銅の薬代が抜け、残りが宿の前払いに回る。
手のひらの桜貨が、危ない日々を安全な夜へ変える。
観ていた子どもが、母親の袖を引っ張る。
「お金、どこ行ったの?」
「夜の灯りとご飯に変わるのよ」
「ふーん……灯りは食べられないのに」
「食べられないけど、お腹がすくのを遅くしてくれるの」
子どもはよくわからない顔でうなずき、屋台の焼き林檎を覗き込む。
林檎の甘い匂いが、税の話よりもずっと早く、人を納得させた。
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Ⅲ 桜貨が回る瞬間 ②(宿と夜警)
宿では、宿泊税の小箱が帳場に置かれる。
宿泊のたびに桜銅2が落ち、女将が夕刻に束ねて夜警詰め所へ持っていく。
灯油が樽から壺に分けられ、見回りの男たちがそれぞれの見回り灯へ注ぎ込む。
灯に火が移ると、顔がほっと緩む。
——夜に歩ける街は、朝の商いを増やす。
数字にするより、明るい路地を一本歩く方が説明が早い。
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Ⅳ “顔の議会”の運用(やり方が決まる)
午後、広場の輪は一度ほどけ、また組み直された。
今度は「どうやって毎回これを続けるか」を決める番だ。
「順番を決めよう」
ユーマは短く言った。「議長じゃなくて、順番」
輪の内側に敷いた布の上に丸い木片を一つ置く。
木片の裏には、小さな桜の印。
「木片が回った人が、ただ真ん中に座って、話をつなぐ。
話す順序を手渡す役。それだけ」
フォルテが笑った。「真ん中のやつが偉くないのは、助かる」
「偉いと疲れるからね」
ユーマが肩をすくめると、笑いが輪をなでた。
帳簿局の若い書記が手を挙げる。
「記録はどうする?」
「紙は薄く。言葉も薄く。——“誰が何を言って、明日何をやるか”だけ書く。
怒りや悪口は記録しない。人は変わるけど、紙は変わらないから」
輪の端にいた老夫婦が、顔を見合わせてうなずいた。
紙に怒りが残る街は、人が暮らしにくい。
笑いと約束だけ残ればいい。
⸻
Ⅴ 小さな不安がほどける場面
帳簿局の前で、人だかり。
保健税の相談に来た若い父親が、額に汗をにじませている。
「今月、桜銀が足りない。子が生まれたばかりで……」
リシアが静かに間に入る。
「産後三ヶ月は全免除。それに食料と薬の支給がつく。——顔の議会で決めたことだよ」
父親の目に、じわりと水がにじむ。
横で、ふらりと現れた女将がパンを紙に包んで渡す。
「昼に食べな。冷えるよ」
制度は、台所の高さに降りてきて、はじめて制度になる。
ユーマは、少し離れたところからそれを見守っていた。
ここに自分の名前はいらない。
欲しいのは、暮らしの手触りだけだ。
⸻
Ⅵ 広場掲示の“赤と黒”
夕刻、輪が再び集まる。
ユーマは、赤と黒の二本の短冊を掲げた。
• 黒:砂利搬入 3 樽完了/見回り灯 2 基増設/解毒薬 補充良好
• 赤:井戸東の踏み板 1 枚割れ/瓶口の欠け 1 件
「赤は明日の朝に埋める。踏み板はフォルテの工房、瓶口はベイル班。
黒は、よくやった。……灯りが二つ増えたから、夜に通路が一本増えたね」
子どもが手を挙げる。
「黒って、いいやつ?」
「うん。“うまくいったやつ”。
赤は**“明日やるやつ”**」
子どもは満足げにうなずき、焼き林檎の列に戻っていく。
赤と黒は、怒りと罰ではなく、明日と今日の合図になった。
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Ⅶ 家計の一日(サンプル三家族)
1)鍛冶屋フォルテの家
• 朝:暮らし税 桜銅2
• 仕事:修理×4/釘束×3/鎌×1 → 売上 桜銀5+桜銅8
• 週〆:**工房税(3%)**へ積立/街道税 桜銀1の小袋を作る
• 夜:見回り灯の芯を打ち直し(桜銅2受取 → 夜警へ寄付)
→ 「出した分が灯りになって戻った」が、夕食の会話。
2)ミナ(子育て世帯)
• 朝:暮らし税 桜銅1(体調見て免除も可)
• 市場:牛乳と麦粉 → 桜銅3
• 夕:子の熱、下がらず → 診療無料(保健税スライド)/解熱薬支給
→ 「払わない日があっても、責められない街だ」と夫が言う。
3)冒険者二人組
• 買い取り:狼皮10 → 桜銀5
• 宿:宿泊税 桜銅2/泊(宿経由納付)
• 消費:保存食・手当て薬 → 桜銀2+桜銅6
→ 次の依頼に向かう前に、公園予定地のベンチで少し寝る。「休める街は、戻りたい街だ」
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Ⅷ 公園の最初の一本の木
市場の隅、公園予定地に一つ影ができた。
ティリルとセリオが、若い樹を一本植えたのだ。
周りには、粗く削った丸太のベンチが三つ。
まだ日除けは布一枚。それでも、陽は少し柔らかくなる。
「名前は?」
子どもが聞く。
「休み場」と、ユーマは答える。
「公園って名前は、たくさん休めるようになってからでいい」
子どもたちは木の下で鬼ごっこを始めた。
靴跡が土を踏み、土が靴を受け止める音が、柔らかく続く。
広場の端で見ていた老夫婦が、手をつないだ。
休み場は、若い足だけでなく、古い足も受け入れる。
⸻
Ⅸ 心配性の商人と、短い会話
夕方、王国貨の袋を下げた流れの商人が、ユーマを捕まえた。
「桜貨九割って、本当かい。王国貨は?」
「外との出入りと、国への支払いに使うよ」
「切り替えが怖い。価値は大丈夫か?」
ユーマは、彼を港の倉庫へ連れていく。
塩と穀物が封印され、医薬の束が目録と一緒に積まれている。
倉庫の梁に、精霊印が光る。
「桜貨は、ここに戻る。
宿・食・医・洗・灯に、いつでも変わる。
暮らしで裏付けてるから、空っぽにならない」
商人は目を細め、息を吐いた。
「……紙の言葉より、倉庫の匂いの方が信用できるな」
「それでいい」
ユーマは笑う。「数字は匂いの説明だから」
⸻
Ⅹ 夜の会話
夜が落ち、港の灯りが低く、台所の灯がもっと低く灯る。
ユーマは二階の窓辺に腰を下ろし、膝に会計台帳を置いた。
そこへ、いつの間にかリシアがやってくる。
茶の湯気が、ひとすじだけ上って消える。
「今日、泣く人がいたね」
「うん。産後の免除を伝えたとき」
「泣くのは、安心が入ってきたからだよ」
リシアは窓の外を見た。「ここは、泣ける街になるといい」
「泣ける街?」
「うん。我慢ばかりだと、いつか暮らしが割れる。
泣いても許される街は、割れにくい」
ユーマは小さく笑い、茶をすする。
静かな夜に、遠くで瓶の口を削る音がした。
昼に上がった赤を、明日の黒に変える準備の音だ。
「焦らなくていい。競わなくていい。
でも、手は止めない」
リシアは頷いた。
「それが、この街の速さ」
二人はしばらく黙って灯りを見た。
灯りは数えるほどしかない。でも、昨日より二つ増えた。
それで十分だ。
増えた二つが、誰かの夜を救っているのを、二人とも知っている。
⸻
Ⅺ 広場の掲示板(週末見本|住民向け“見える決算”)
今週の黒
・砂利 3 樽搬入(街道税)
・夜灯 2 基増設(宿泊税)
・解毒薬 40 瓶補充(保健税)
・休み場の布日除け 1 張(緑地税)
今週の赤(明日やる)
・井戸東 踏み板 1 枚割れ → フォルテ工房
・瓶口欠け 1 件 → ベイル班
お願い
・夜、子どもは灯の下を歩かせてください
・砂利の上で走ると転びます
お願いの行に、ティリルの丸い字で小さな絵が添えられていた。
灯の下を手をつないで歩く、親子の絵だ。
字が読めない人にも、何が大事か伝わるように。
⸻
Ⅻ 終幕 ——都市前夜
遅い時間。
港の潮騒と、遠くの笑い声が重なる。
ユーマは桜金貨を一枚、指先で転がした。
金の色が、夜をほんの少し押し返す。
通貨は、勝つための道具じゃない。
暮らしが続くための道具だ。
窓を閉める前に、ユーマは広場を見下ろした。
布の下で眠る丸い木片。明日、また別の誰かの手を通って、輪の真ん中に置かれる。
誰でも座れる真ん中がある街は、きっと、壊れにくい。
「——働くって、悪くない」
声にはしなかった。
けれど、灯に照らされた街は、ゆっくりとその言葉を頷き返した。
(第13話・厚増し完全稿 了)
⸻
併載:運用用の“手元資料”アップデート(差分)
1) 週次“赤と黒”テンプレ(掲示板用)
• 黒:〔項目/個数/財源(税種)〕×4〜6行
• 赤:〔項目/担当/予定日〕×2〜3行
• 注記:お願い 2行(絵付き)
2) 税の免除運用メモ(帳簿局)
• 産後3ヶ月/病気・怪我週/高齢・障害 → 即日免除
• 記録は人数のみ(個人名は書かない/顔の議会で確認済)
3) 公園(休み場)整備・初期仕様
• 布日除け(雨天は外す)
• 粗丸太ベンチ 3
• 水壺 1(午前・午後に補給)
• 樹 1(ティリル・セリオ管理)
• 清掃当番:市場班の輪番制(桜銅2/班/週)
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