第12話 桜貨の信用と自治の始まり
第一幕 — 「街」に変わり始めた朝
朝の空気が違っていた。
湿り気は薄く、香草と焼き立ての黒パンの香りが市場を撫でる。
通りを行き交う人の声が、以前よりも柔らかい。笑い声が絶えない。馬車の荷台には、木箱が積まれ、箱の側面には丁寧な焼き印が押されていた。
《サクラ総合商会》。
この名が刻まれた木箱は、いまやこの街のどこにでもある。
薬草、香料、小麦、乾燥された果物、蜂蜜、石鹸、化粧油。
品目は日々増え、どれも質が高く、手に取りやすい価格だった。
道を掃くのはエルフの青年で、荷物を運ぶのは人間の少年。
樹の影から、小さな妖精がそっと声をかける。
「そっちは市場に運んで。香草は日向に干すと香りが飛ぶよ。」
「了解ー!」
そんな会話が、まったく特別ではなく街に馴染んでいる。
ユーマは店先の帳場で、朝の記帳をしていた。
**《会計台帳》**のスキルは、必要な情報だけを簡潔に示す。
売上、仕入れ、粗利、在庫回転、信用残高。
——どれも安定して上昇している。
そのとき、見張り台から鐘が鳴った。
「ユーマさん! 領都から使節が来ました!」
ざわり、と市場の空気が揺れた。
緊張ではない。
正面から向き合うべき時が来たのだと、街の人々が理解しただけだった。
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領都からの馬車は、古いが手入れされた車体だった。
装飾は控えめだが、質は良い。
つまり——偵察でも武官でもない。交渉に来た者たちの乗り物だ。
御者台から降り立ったのは、三人。
「初めまして。私は領都財務局所属、バルド・エインズと申します。」
背が高く細身。
目は計算をするときだけ鋭く光り、普段は静かだ。
「交易連絡を担当しております、ロゼット・カリヤンです。
本日は対立ではなく、理解のために参りました。」
柔らかな笑み。場を整える外交型。
「き、記録係の、キーファですっ……! よ、よろしくお願いします!」
小柄で緊張しいの文官見習い。
ユーマは礼儀正しく頷いた。
「こちらこそ。ようこそ、サクラの街へ。」
街、と言った。
もう「村」という言葉は似合わなかった。
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三人はまず市場を視察した。
人と、人ではない種族が、自然に肩を並べて働いている。
並べられた商品はどれも鮮度が良く、種類が多い。
建物は統一された寸法で並び、無駄がない。
バルドは小さく息を呑んだ。
「……偶然ではない。これは——計画された拡張だ。」
「はい。」
ユーマは否定も誇示もせずに答える。
「仕事をした人間と、働きたい種族が、無理なく生活できる街を作る。それだけです。」
「しかし……桜貨はまだ正式な貨幣ではない。」
バルドが切り込んだ。
ユーマは静かに首を振った。
「認可は求めません。」
「……は?」
「桜貨は、この街で暮らす人が便利だと思えば流通します。
貨幣に必要なのは強制ではなく、利便性です。」
ロゼットの目が細くなる。
「つまりあなたは、こう言うのですね。
“使った方が得だと、人は自然にそちらを選ぶ” と。」
「はい。」
ユーマは笑わなかった。
ただ、言葉を正確に置いた。
「信用は、日々の生活の中で積み上がるものです。
証明は、街がしてくれます。」
沈黙。
バルドは気づいた。
これは商売人の理屈ではない。
国家を動かす経済の理屈だった。
了解。
**第12話:第二幕〜終幕(文体C=知性×人間味のバランス)**を、このまま続けて書くね。
(※すでに提出した冒頭〜第一幕の続き。章としては十分な厚みになるよう、交渉・制度・暮らしの三本柱を絡めて進行させる)
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第二幕 — 裏付けのかたち、利便の姿
視察の動線は、市場から奥の棟へと移った。帳簿局、両替所、買い取り所。一歩進むごとに、紙の白さと木の色が入れ替わる。数を扱う場所は、空気が乾いている。
ユーマは両替誓約板と裏付一覧を机上に並べた。
木枠に入った誓約板には、短い文が刻まれている。読み上げると、文字が音ではなく約束の匂いを立てた。
「桜貨の裏付は、四つです。
一つ目。金・銀・銅の実物保管。純度はここに記載。桜金貨は王国金貨より金の比率をわずかに上とし、刻印は精霊印。
二つ目。薬価指数。主要医薬の基準価格を束にして、常に三ヶ月移動平均で評価。
三つ目。穀物と塩。保存可能なロット単位で倉庫封印。封印は相互立会いです。
四つ目。暮らしの換金性。——宿・食・医・香・洗で、桜貨は常に実需に戻る。」
バルドが紙面に目を落とす。
「……四番目は、通貨理論の範疇ではない」
「理論に暮らしを合わせるのではなく、暮らしに理論を合わせます」
「逸脱では?」
「逸脱が無駄を減らすなら、成果です」
ロゼットは誓約板に触れ、精霊印の細かなひっかかりを確かめた。
「偽造は?」
「ゼロ。印は子どもでも判るようにしました。
——困るのは、大人だけです」
ユーマの口調に柔らかな皮肉が混じった。ロゼットは笑みをこぼし、真顔に戻る。
「桜金貨はやや上。王国税は?」
「王国銀で立て替えます。両替所に王国銀窓を併設。損失は会計台帳に記録、期末総括で請求」
「誰に?」
「誰にも請求しません。——成長で吸収します」
「……その“余裕”は、本当に?」
ユーマは窓の外を示した。市場を横切る荷車の列、石鹸を抱えた少年、夜香を選ぶ母親、買い取り所へ急ぐ冒険者。
「余裕は数字ではなく動線にあります。同じ場所で買って、食べて、泊まって、治す。桜貨の滞留時間を短くする設計が、余裕です」
バルドは唇の端を引いた。
「理屈はいい。崩れるときはどこから?」
「水と火です。——衛生と火事が通貨を壊す」
「対策は?」
「井戸の共同管理、台所の標準化、耐火壁。保険は相互扶助型。保険料は桜貨小額で日払い」
「保険……」
ロゼットが目を見開く。「通貨の信用を保険で裏打ちするの?」
「暮らしは事故で傾く。事故を予算化すれば、通貨は傾かない」
バルドの筆が止まる。「……認めたくないが、筋が通っている」
ユーマは首を横に振った。
「筋が通っていなくても、日々が通う街は滅びません。筋はあとから付いてきます」
キーファが震える手で紙を整え、勇気を振り絞るように口を開いた。
「あ、あの……わたし、この街の台所を見て回ってもいいですか。香りが……家ごとに違って」
「行こう」
ユーマは即答し、案内の妖精を呼んだ。「家を十軒。昼と夜の香の差を見せてあげて」
「交渉の最中に?」とバルド。
「交渉は台所で行うのが早い」
ロゼットが肩をすくめた。「今日はあなたの勝ち筋が多い日みたい」
視察は人々の暮らしへ溶け込んでいった。台所で酢が艶めき、石鹸が白く乾き、瓶が光る。子が泣かず、年寄りが手をこすって笑う。
信用は、計算ではなく繰り返しの隅に宿る。それを見せるだけで、言葉は半分で足りる。
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第三幕 — 共にやること、やらないこと
午後、会合室。
机は広く、椅子は多く、窓は高い。壁には物流線を描いた地図、水源と倉庫と火除の位置が印で示されている。
ユーマは三枚の紙を取り出した。提案が三つ。
「一。失業者受け入れ。領都で仕事のない手を、季節契約で受けます。宿・食・洗は桜貨の前借で賄い、返済は工房と畑と買い取り所で。犯罪予防を兼ねます」
ロゼットが即座に反応する。「治安上の負担は?」
「夜香と灯と湯。仕事の後に眠れる場所を必ず用意します。眠りを確保すると、人は暴れません」
バルドが短く笑った。「数字のようでいて、生理の話だな」
「二。道路整備の共同出資。——街道のぬかるみと橋の補修。荷駄の事故が減れば、税の取りこぼしが減る。出資は桜と領都で折半。効果測定は両替所で流通時間を計測します」
「測れるの?」
「測ります。遅延は赤が出ます」
「三。教育と医療の無償支援。——孤児院と掃除小屋に薬と石鹸と読み書きを。教育は労働損失を減らし、医療は賃金を守る。桜貨は明日の稼ぎを前から手に入れる道具です」
静かな沈黙。ロゼットが窓の外へ目を遣り、やがて戻した。
「——あなたたちは独立したいのではなく、暮らしを独立させたい」
「そうです。国に喧嘩を売るつもりはありません。
ただ、台所に口を出されたくない。台所は政治より偉い」
バルドが喉の奥で笑い、真顔に戻る。
「税は?」
「納めます。桜で回し、王国銀で納める。両替の手間はこちらで負担します」
「通貨主権に触れない、ということか」
「触れません。暮らしの主権だけ守ります」
バルドは三枚の提案を重ね、手のひらで押し整えた。
「——反対する理由がない。問題は王都の面子だけだ」
ユーマは肩をすくめる。
「面子は暮らしには不要です」
「だから面倒だと言っている」
ロゼットが笑い、キーファが慌てて書き留める。
「では、条件を」
ロゼットが前に出る。「一ヶ月の試行。失業者受入は三十名を上限。道路出資は一里分から。教育・医療は孤児院二軒と掃除小屋三つ。効果測定は数で。桜貨は市内と職人街に限る」
「十分です」
「武具は?」
「出しません」
「いつまで?」
「街が眠れるうちは、ずっと」
バルドが腕を組み、ユーマの目をまっすぐ見る。
「自治は求めないのか」
「呼び名に興味はない。暮らしが先です」
「……王都は呼び名にうるさい」
「王都の机に台所を載せてください。匂いがわかれば、呼び名は変わります」
ロゼットは息を吐き、うなずいた。
「交渉成立。一ヶ月で見直し。桜の灯が消えないように」
「灯は暮らしが守ります」
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第四幕 — 暮らしの会議、顔の議会
日が傾く頃、広場で集会が始まった。
議会と言っても、壇も法衣もない。長机が二つ、椅子が十脚、地面に座る者が輪を作る。顔が見える距離で話すのが、この街の決まりだ。
ユーマは最初に赤を読み上げた。
「遅延二。医の補給がひとつ、瓶の口が割れ一。——明日の朝に埋めます」
次に黒を読む。
「両替、流通時間短縮。冒険者滞留は増。夜泣きは減。手荒れも減」
笑いが起きる。笑いは、議論の潤滑油だ。
バルドたち使節団も輪の外に腰を下ろし、黙って聞いた。
織物のテルマが「糸が足りない」と言い、鍛冶のフォルテが「石炭の運賃を見直したい」と言い、宿の女将が「夜の灯を二刻延ばしたい」と言う。
ユーマは可否を即答しない。会計台帳の一日の波を把握してから、妥当と優先を当てる。
「糸は先に瓶口。灯は事故率と足の転倒を見てから。石炭運賃は道路試行の区間に合わせて再計算」
顔の議会は、約束だけで終わらない。作業割まで決める。
明日の朝には、瓶の口が揃い、倉庫の封が点検され、街道のぬかるみに砂利が撒かれる。やる人の名前まで決まっているから、やらないという選択肢は最初から存在しない。
輪の外で、キーファが目を丸くした。
「これが……議会……? 規則も、鐘も、印章もないのに」
ロゼットが微笑む。
「顔が規則で、暮らしが印章だよ」
バルドは黙っていたが、最後に一度だけ口を開いた。
「数字が感情を消しているのではなく、数字が感情を受け止めている。——不思議だ」
ユーマは首を振る。
「普通です。怒っているときほど、数字が助けます」
⸻
終幕 — 焦らず、競わず、でも動く
夜。港の灯が高く、台所の灯が低い。
ユーマは二階の窓辺で、会計台帳を閉じた。今日の黒は細く長く、赤は短く鋭い。赤は明日埋める。黒は明日も伸ばす。
扉が叩かれ、仲間が入ってくる。ベイル、フロル、アーデン、そしてリシア。
卓上には、塩漬け肉の薄切りと、甘い根菜の煮込み、黒パン、薄めたワイン。特別じゃないが、よく眠れる食卓。
「一ヶ月の試行、通ったわね」
リシアが椀を置く。
「顔の議会も、上出来」
フロルが頷き、夜香の蓋を少しだけ開ける。
「眠るための香りは、戦わない」
アーデンが笑ってパンを割る。
「道路に砂利を撒く契約、明日から動く。荷がこぼれない道は、税がこぼれない道だ」
ユーマは椀を手にし、短く言った。
「焦らない。競わない。でも、動く」
ベイルが椀を掲げる。「動かない鍋は焦げるからな」
笑いが落ち着くと、皆が静かに食べ始めた。食べる音は、街の心臓の鼓動だ。規則正しく、温かい。
食後、ユーマは小さな布袋を取り出した。桜金貨が一枚。
窓辺の光で見ると、金の黄色が夜を少し押し返す。
「王都に喧嘩は売らない。値で話す。働けば届く値で」
リシアが頷く。
「暮らしが勝つ方法ね」
ユーマは袋を閉じた。
「暮らしは勝たなくていい。続けばいい。
——続くことが、勝つことだ」
外は潮の匂い。遠くで、瓶の口を削る音がする。明日の赤を埋める音だ。
ユーマは灯を落とし、ひと言だけ残した。
「働くって、悪くない」
街はゆっくりと眠り、桜貨は静かに回り続けた。
焦らず、競わず、でも確かに前へ。
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