第二章 The Keeper of Stillness【蜜蝋の主人】

邸の奥は、まるで時が止まっていた。

蝋燭の炎がぼんやりと漂い、空気の層を淡く撫でている。窓は閉ざされ、夜も昼もない。

息をするたびに冷えた蜜蝋の匂いが肺の奥深くまで沈んでいくようだった。

白い床に、薄いシルクの靴音がこつりこつりと響く。男は、ゆっくりと歩を進めていた。

背後にいる執事は、蝋燭の灯りを持つだけ。

それ以上の音は、この部屋には許されていなかった。


円形の祈りの間。壁沿いに踊り子たちが輪を成して並んでいた。

すべて、白いトゥシューズ。白いドレス。

一人一人が美しいポーズをとり爪先立ちのまま、指先を宙に伸ばし、まばたきひとつしない。


否——できない。


瞳は透き通ったガラスの光。

頬には淡い血色が塗られ、唇には光沢がある。

まるで今しがた幕が上がったばかりの、舞台の永遠の一瞬。

蝋燭の光がかすかに揺れるたび、少女たちの影が壁に重なり、まるで踊っているように見えた。彼は立ち止まり一体の踊り子の頬に指を滑らせる。

ほんのわずかに、肌はあたたかい。

ただの蝋ではない、生身が、蝋に塗りこめられていた。若く鍛えあげられた踊り子の、生ける美しい肉体が、そのままに。

男は彼女たちを見て、微笑んだ。


「君たちは、美しい」

囁く声は、祈りのようだった。

「老いず、腐らず、朽ちることもない。私の舞踏会は永遠に…終わらない」


部屋の奥、舞台のように少し高くなった円卓には、一人分だけ、空席があった。

彼はそこを見上げ、静かに呟く。

「……あとひとり。ジゼルの夜を、完成させよう」


蝋燭がひとつ、パチリと弾けた。

一瞬、影が長く揺れ、少女たちの瞳がこちらを見たような錯覚が走った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る