ジゼルの祈り

縞りん

第1章 After the Curtain Falls【舞台の幕は降りて】


舞台が終わる。

喝采に包まれて、エトワールは優雅に礼をする。

カーテンコールは三度。

呼び戻されては鳴り止まない拍手、

彼女はまだ「ジゼル」という芸術の中にいた。


誰かが彼女に小さな花束を投げる。

彼女の初主演を記念するならば、

とても珍しい事だ。

彼女は花束を丁寧に拾い

そして一礼する。


おざなりに彼女を讃える者など誰も居ない。

舞台の注目は全て今宵のエトワールに。

彼女の努力はいま実を結び、

舞台は、成功したのだ。


 

緞帳が降りるまで彼女は「ジゼル」だった。

セリーナの身体には踊りの熱がまだ残っている。指先まで火が通ったように痺れて、演目後の陶酔感に満ちていた。

(今日は最高に踊り切れた。嬉しい。私、もっと踊りたい。もっと——)

セリーナは息を整える。

神に感謝の祈りを捧げようとした。その背後から床を鳴らして、硬い靴音がする。

「セリーナ」

荒い息のまま呆然と舞台端に立ち尽くす彼女に、支配人が声をかけてきた。

 

 やめて。いまはまだ「ジゼル」なの。

 

「……待たせておいてください」

セリーナのつっけんどんな言葉に支配人はあからさまに嫌な顔した。しかし今日の花形を無下にする訳にもいかなかった。支配人は気迫めいた彼女に気圧され、下がろうとする。すると背後の仕立てのいい燕尾服に肩がぶつかった。


「つれないじゃないか」

燕尾服の男は自分を上から下まで眺めて満足そうに笑う。

「素晴らしい踊りだった。私のジゼル」

 

——嘘つき。

 

セリーナは、エトワールの神聖な、儀式めいたひとときに支配欲を振りかざし立ち入ってきたこの男を、酷く憎んだ。

足元の床は、静かに冷えていった。

さっきまで舞台の熱に包まれていた世界は一瞬で色を失っていく。セリーナは小さな花束を胸に抱き、男を睨んだ。自身の最大の「支援者パトロン」を。


この男にわかるはずがない、何も。

私の、芸術を。


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