29




「茜さん、大丈夫だった?」



「ああ。横にしたらすぐ寝た」



「今日の主役なのによかったの?」



「別に大した問題じゃねえよ」




紫夕くんの顔は見れない。


必然的に、私の顔を見られることになるから、ずっと床を見つめてる。





「…七瀬くんは?」



「……茜の隣にいる」




聞かなければ、よかったのに。


聞かずにはいられない。



これで不安になるっていうんだから、自業自得もいいところ。





「紫夕くんの言う通り、帰ればよかったね」



「……」




ポロポロと、再び涙がこぼれていく。


こんな風に人前で泣くのはいつぶりだろうか。




みっともなくて、情けなくて。




「泣くくらいなら引き留めろよ」



「……」



「できねえなら、泣くな」





紫夕くんらしい言葉。


茜さんをお姫様抱っこする七瀬くんを引き留める勇気なんか私にはなかった。



それどころか、声をかけることもできなかった。




「…こういうときくらいは、優しくしてくれてもいいのに」



半分くらい冗談で、ただの軽口のそれを紫夕くんは拾ったらしい。




「例えば?」


「え?」


「どんなふうに?」




そう問われると、すぐには思い浮かばない。




「例えば……、そうだな…、なんだろ」



「……」



「大丈夫だよって優しい口調で言ったり?…とか?」



「俺が?お前に?」



「……紫夕くんは言わないよね。忘れて」





私が考えるどの優しさも、紫夕くんには当てはまらない。


いつも紫夕くんから向けられる優しさは、驚いてばかりだから想像できない。




「じゃあ、もう、帰るから」



「一人で?」



「友里に声かけて、さっき圭太くんがなんかあったら送ってくれるって言ってくれたから、一応圭太くんにも一言言わないと…」



さすがにこの速さで送ってもらうのも申し訳ないから一人で帰るつもりだけど、一応声くらいかけないと失礼だよね。




「その顔で?」



「そんなひどい?」



「……」




小さい鏡を鞄から出して、顔を確認すれば。


メイクは崩れてるし、泣いたってまるわかりの顔が映し出される。




「じゃあ、もうこのまま帰ろうかな」




変に心配かけたくないし。




「圭太くんの連絡先知ってるよね?伝えてくれる?」



「ああ」



「ありがとう」




紫夕くんには感謝しないといけない気がした。

一人で、来ない七瀬くんをずっと待つことになったかもしれないから。



ここにはもう来れないかもしれないと思うと、寂しいのか、感慨深いのか、また目元が熱くなる。




「ばいばい」



紫夕くんにも、この部屋にも。


きっとこの肌寒い建物にも。








いつの日にか教えてもらった、中の階段を使わないで外に出れる通路を通って。

真っすぐ家に帰ろうと思ったんだけど…。




「どうしてついてくるの?」



「別に」




横に並ぶわけでもなく、私を追い越すわけでもなく、私の歩幅に合わせるように、後ろについてくる紫夕くん。



意味もないことをするように、気まぐれな人じゃないことは知ってる。





「まだ日も落ちてないし、一人で帰れるよ?」



「日も落ちてないうちに、一人で帰れなくて呼び寄せただろ」



「この前は体調が悪かったからで…」



「今日も似たようなもんだろ」




この感じはやっぱり送ってくれてるんだ。

優しさが心にしみる。





「ありがとう。紫夕くん優しいね」



「てめえが優しくしろっつったんだろ」



「そうだったね」




変なこと言わなければよかった。


こんな風に帰ってくるとは思ってないくらいの軽い冗談だったのに。




「……おい」



「……」



「泣いてんじゃねえよ」



「…うん。…ごめんね」




悲しいとか、そういうのではなくて。

ただ優しさを受け止めるには、涙を出すしかなかっただけなんだけど。


たぶん、紫夕くんには伝わらない。




「七瀬のどこがいいんだよ」



「え?」



「んな泣くまで好きなんだろ?」



「今泣いたのは、そういうのじゃないから」



「……意味わかんねえ」





離しているうちにいつの間にか、隣に来ていた紫夕くん。



こんな風に紫夕くんと歩く日が来るとは思わなかった。



「七瀬くんのどこを好きかって話だけどね、」



「……」



「最初はね、七瀬くんがバスに乗れなくて落ち込んでる顔が笑顔になってくれたのが、忘れられなかったんだと思う」



あの時、偶然会っていなければ。


もしスルーしていたら。




考えても仕方のないことを何回考えただろうか。




「近くにいたら、また笑ってくれると思って付き合ったけど、思い上がりだったね」



「思い上がり?」



「…あんまり笑ってなかったかもって」




最初に会ったときみたいに笑ってくれること、あったかな?




「知らない間にどんどん七瀬くんにのめりこんじゃって、どこが好きかって言われると言葉にできないんだけど……」




優しいとか、一緒にいるとドキドキするとか、そんな口にするのも微妙な理由。


…笑っていてほしい、それも好きの理由になるのかな。




「もういい。腹減った」



腕を掴まれて、私ごとぐるっと方向転換した紫夕くん。


危なく足がもつれるところだった。




「…えっ、ちょっと待って」



「飯行くぞ」



「飯?どこに?」



「中華料理屋」




今日の紫夕くんは、私の知らない紫夕くん。

こんな風に気まぐれな感じは初めてだ。









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