9
大丈夫。
まだ自分は引き返せる。
彼に会うことがなければ、心を揺らされることもない。
そう自分に言い聞かせた。
「―――あ、この前の、」
例の公園の横を通ったとき、この前須崎くんの元まで案内してくれた人がいるのが見えた。
今日はまだ日が落ちていないから、あの時みたいな恐怖は少ないし。
それに喧嘩も起きてない。
わざわざ声をかけなくてもいいかな、と思ったけれど。
目が合った。
このまま通り過ぎてしまうのは気が引ける。
「あの、……この前はありがとうございました。」
そう口にすると、彼は顔をしかめるから。
覚えてないかも。
と、後悔し始める。
「…別に」
相変わらずぶっきらぼうな人だけど、覚えていないわけではないみたいだ。
「公園で何してるんですか?」
「七瀬を待ってんだよ」
彼から出た、須崎くんの名前。
気にしないようにしていた彼の存在を改めて、突きつけられた気分だ。
「…そうだったんですね」
さっさと立ち去ろうと思った。
須崎くんが来る前に。
「七瀬にバスのチケット譲ったんだってな」
神妙な面持ちの彼は、あまり私の行動に賛同していないようだった。
余計なことをしてくれた。
そう今にも言われそうなほど。
「……すごく、困ってるみたいだったので」
「お人好し」
割と嫌いな言葉ではないけれど。
二回目に会う人から言われる言葉としては悪意が多い言葉だと思う。
「よく知りもしねえ奴のことなんか、ほっとけばいいだろ」
「……ほっとけなかったんです」
「……」
理由を聞かれたら、曖昧にしか答えられないけど。
お人好しでもなんでも、彼のあの表情が変わればいいと思った。
泣くことよりも先に、絶望が上回ったみたいな、あの表情が。
「それに、あなたに言われたくないです」
「あ?」
「須崎くんのところまで案内してくれたでしょ?よく知りもしない私のことを」
「……」
「ほっとけばいいのに」
表情は怖いし、体格もいい所為か圧も感じるけど。
思わず、軽口を叩いてしまう。
「お人好し」
さらに眉間のしわが深くなるもんだから、言いすぎたとかも少しは思ったけど。
もう口にしてしまったものは取り消せない。
それに間違ったことは言ってないし。
「それに須崎くんのためだけじゃないんですよ」
「…他に誰がいんだよ」
「………私?」
「は?」
「こういうのって巡り巡って、自分に返ってくるって言うじゃないですか」
そう言えば、彼は呆れたように目を逸らす。
「お前は、」
少しだけ圧が無くなった。
緩んだと言ったら言い過ぎなくらいに、ほんの少しだけ表情が柔らかくなった。
「馬鹿なお人好しだな」
「…‥不名誉な称号を増やさないでください」
彼が笑っているのかは定かではないけど、からかわれているのは確か。
ほぼ初対面なのに。
ていうか名前も知らないのに。
何かを言ってやろうと、彼の方を向けば、視線のその奥に見覚えのある姿。
須崎くんだと、
すぐわかってしまうのは、どうしてなんだろうか。
「―――お待たせ、ってあれ?」
結局、会ってしまった。
もう会わないから引き返せる。
そんな考えを笑うように、この前須崎くんに感じたものがそのまま戻ってくる。
…忘れたかった感情が
「……たまたま通りがかって」
「へえ、そうなんだ」
聞かれてもいないのに。
変に思われていないかな、私ちゃんと喋れてるよね?
「でもよかった」
「え?」
「会いたかったんだよね」
「…会いたかった?」
誰に?私に?
どうして?
彼から発せられる言葉にぐるぐると目が回る。
これだから、会いたくなかった。
「ご飯食べに行こうって言ったじゃん?」
「……」
「でもまあ、また会えるとは思ってたけど」
「…どうして?」
「んー、なんとなく?」
発言すべてに踊らされているような気がする。
すべての意識が彼に注がれていくように。
「そういえば紫夕、昨日のことだけど――」
何かを思い出したかのように、話しかけた須崎くん。
聞き覚えのある名前に目を見張った。
紫夕?
この人が、紫夕?
あの時、須崎くんの顔は見えたけど、公園にあった街灯が逆光になっていて、”紫夕”と呼ばれた人の顔は見えなかった。
だけど、須崎くんと知り合うということは、そういうことだってわかっていたはずなのに。
目の前にいる、案内してくれた人……紫夕くんは優しい人だと思っていたはずなのに。
初めて見た人が人を殴る光景を思い出すと、後ずさりしたくなった。
理由もなく、殴らないかもしれない。
でも、殴るかもしれない。
「おい」
「……」
何が正しいのか判断できるほど、この人たちを知らない。
「…おい」
「……」
「……おい」
「は、はい!何ですか?」
もしこの人たちが、須崎くんが悪い人だったとして、関わりたくなくなるようなことをしていたとしたら。
関わらなければいいだけだ。
ただ、それだけのこと。
「名前は?」
紫夕くんの鋭い目線に、さっきまで何とも思っていなかったのに。
今更、緊張してきた。
「笹森、紬葵です」
「あっそ」
聞いてきたのに、興味なんかなさそうに。
そんなやり取りを見ていた須崎くんは小さく笑いながら、
「紬葵ちゃんか、じゃあ…つーちゃんだね」
「つーちゃん…」
「連絡先教えてよ」
連絡先を交換しようとポケットから取り出した携帯をいじる須崎くん。
もうここまで来たら、断れないのもあったけれど。
それ以上に嬉しい気持ちの方が大きかった。
…あんなに、考えないようにしてたのに。
関わらなければいいだけ。
何度目かわからない決意は、須崎くんの笑顔を見るたびに減りそうになる弱いものだと自覚していた。
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