8




「自転車来てるぞ」



「え?」




二人乗りの自転車が私の横をスレスレに通りすぎる。


危ない、ところだった。




私のことを今にも殴りそうなくらい、睨んでいるのに。


その人の思わぬ優しさに、目を丸くした。




「あ、ありがとうございます」



そう言うとその人は、私の鞄を離して歩き始める。



髪の毛も黒くて、学ランも普通に着てる。

この人は普通の人なのかもしれない。




…顔はちょっと怖いけど。

学生証をずっと持っているのも、結構な額のおつりを持っているのも、良くないよね…。





「――あの」



「……」




その人は変わらず機嫌が悪そうな表情で振りむいた。

振り向いてくれるだけ、優しいのかもしれない、と。


そんなことを思いながら。





「須崎七瀬さんに会いに来たんですが、」




「あ?」




そう告げれば、目の前の人はより一層、目を細くした。




「帰れ」



「え?」



「七瀬の追っかけなら他所でやれ」



「…追っかけ?」



「毎日毎日鬱陶しいんだよ」




さっきまでの優しさが、ひっくり返ったように。

いや、表情通りになったのかもしれない。




「あの、私はそういうのじゃなくて」



「……」



「ただ渡したいものがあるだけで」



「……」




追っかけに相当こりごりしているのか。


信用されていないみたい。



「須崎くんの学生証とお金を預かってるんです」



「……」



「それさえ渡したら、すぐに帰るので」




この機会を逃したら、たぶん私にはここに来ることはないだろうと食い下がる。


目の前のこの人がどんどん顔が険しくなっていってる気もするけれど。




「……ついてこい」



私の言うことを信用してくれたのか、それとも面倒くさくなったのか。


どちらにせよ、とてもありがたい言葉だったのには違いない。








随分と自由な校風なんだな、と。


中に入っても、外からの印象からはさほど外れない。




放課後だというのに、割と校内に人は残っていて。


何だか視線が私の前を行くこの人に集中している気がする。



それに飛び火して、私もジロジロと遠慮のない視線が寄せられる。


あんまり気持ちの良いものではない。




「……森山が女と歩いてる」



どこからともなく聞こえた声に、なんとなく前を歩く彼との距離を開けた。


結構、目立つ人なのかも。



と。




教室の前で立ち止まった彼が見つめる先へ視線を移す。




「……」



「あれ?帰ったんじゃなかったの?忘れ物?」




あの時とはまた違う表情。


案内してくれた人とは友達なのかな?

この人に見せる表情は何だか楽しそうで。



あの時のような、悲しい表情をしていなくて、何だかちょっと安心した。




「てめえに客だよ」



「ん?」




須崎くんと目が合う。



心臓が少しだけざわついた。

…私のこと、覚えててくれてるかな?




忘れられてたら、少し残念。




「……学生証とお金を返しにきました」



「……」






しばらく、目が合ったまま。


須崎くんは何も言わない。





……本当に忘れられてるわけじゃないよね?





鞄の中に入れていた学生証とお金を差し出し、無言で訴えかける。



「……あの?」



笑顔もなく、真顔で差し出した学生証をじっと見つめてから、また私へと視線が戻る。







「……ほんっっとに、ありがとう」





受け取ってもらえると思った彼の手に包まれる。


彼の冷たい手にギュッと握られたのにびっくりして、彼の顔を見れば。




あの時みたいに穏やかに笑っていて。



自分の心臓がいつもと違う感じで動いた気がした。







「……返せて、よかったです」



「ねえ抱きしめていい?」



「え?」



「感謝の印に」






突拍子もない彼の言葉と勢いに思わず、一歩後ろに下がる。


人との距離が割りと近い人なのだろうか。






「抱きしめる…とかはちょっと、」



「ごめん、ごめん。冗談だから」





なんだ冗談か。


本気にしてしまったのが少し恥ずかしい。





「……アホか」




隣にいる案内してくれた彼は呆れてるような表情。




「本当にありがとう」




こんなにも、感謝されているのがわかるのは初めてだった。


真っすぐに私の瞳を見ているから…なのかな?



長い間、私の瞳から逸らすことなく、微笑む彼。




…なんとなく。


私から逸らしてしまうのはもったいないと思った。






「帰る」




案内をしてくれた彼は、ため息をつきながらそう一言だけ口にした。


結局、その声に反応して逸らしてしまっただけど。




何も言わないまま目を合わせてるのも、不審がられるだけだよね。






「あの!案内してくれてありがとうございました」




「……」




もうすでに歩き始めてしまった彼の背中に向かって、声を張って感謝を口にしたけれど。


特に反応があるわけでもなく。



どんどん距離が離れていく。




「家まで送ってくよ。どっち方面?」



「大丈夫です!」



「ダメだよ。この学校も、この街も、危ない奴ばっかりなんだから」




優しい言葉に甘えてしまっても、良いのだろうか。


と。

思いながらも隣でニコニコしている彼の提案を断ることができなかった。









「―――へえ。じゃあ最近こっちに引っ越してきたんだ?」



「そうです。二週間前くらいに」



「じゃあ今度美味しいご飯屋さん案内してあげるね」



「え、あ、はい、ありがとうございます?」




感じがよくて、話しやすくて、雰囲気が柔らかい。

少なくとも彼は、あの夜中の公園で殴りあっていた紫夕という人の知り合いだというのに。


この人からは暴力とか素行不良とか、そういうのを一切感じない。





「今、何年生?」



「高2です」



「なんだ同い年じゃん。敬語やめようよ」



「……うん、わかった」




本当は学生証を預かった時に、同い年だって知っていたけど。

なんとなくすぐにため口になるのは気が引けて。


だけど、こんな風にやめようと提案されると断る理由もない。



急に敬語をやめるのは、なんだか照れ臭い気分になる。




「ご飯、何食べたい?」



「…えー、何だろう」




そう聞かれると、ぱっとは思いつかない。




「まあ、ゆっくり考えといてよ」



そう微笑んだ笑顔に、思わず見惚れてしまいそうになり、すぐに視線をはずした。


本当に綺麗な顔してる。




「あっ、この辺で大丈夫」




例の公園についた。

あと少しの距離はきっと大丈夫なはず。

知り合ったばっかりの人に家まで送ってもらうのは気が引けるし。




「そっか」



「送ってくれて、ありがとう」



「ありがとうはこっちのセリフだから」




また笑った。

笑顔が見れた。


あの時の悲観的な顔じゃない。




「じゃあ、またね」



「うん」




踏み込むことが怖くて。

踏み込んで、引き返せなくなってしまうことが目に見えて。




だけど、それと同時に。

もう結果は目に見えているよう。


ただ、認めたくないだけで。








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