くつした
沙華やや子
くつした
中学3年生の
かつてはスナック
現在のスナック波音のママさんはおばあちゃんの娘、つまり緋菜代の母親である
おばあちゃんもママも若い頃に離婚しているので、おじいちゃんもお父さんもいない家族です。
「お母さん、イカ焼きもう1つ!」お店と繋がっている自宅の扉があき、ママがおばあちゃんに注文します。「もうっ!つい今片付けちゃったじゃないか」イライラ……
おばあちゃんは……緋菜代と仲が悪ければママとも険悪な仲。
いつからこうなっちゃったんだろ。
緋菜代とママは仲良しです。
「ハ~、あたしゃ召し使いかよ!」いつものようにひとり言を吐き散らかすおばあちゃん。
その時は、忙しそうにしているおばあちゃんが可哀相に感じ「いいよ!あたしやる!」と緋菜代。「ああそうかい?悪いね!頼むよ」
若いころ芸者さんだった粋で美人のおばあちゃんです。ママも若々しく美麗です。
波音は大繁盛。
おばあちゃんもママもふぐ調理師免許を持っていて、旬の頃にはてっさやフグ鍋なども店で出されます。
「よ~し、目をくりぬいてっ、足を抜くっと……」さっさと手際よくイカをさばき丸焼きを調理してゆく緋菜代。焼き上がれば、きゅうりとたっぷりのレタスとレモン、マヨネーズを添えます。
緋菜代は……ゆっくりと家族でごはんが食べられる日曜日が大好きです。
平日はママがバタバタと入浴し、お化粧をし髪の毛をブローし、ドレスに着替え店へ出て行く。
その前にサササササーッとごはんを掻きこむママ。でも忙しいだけじゃなく、おばあちゃんと一緒に居たくないからなのです。
緋菜代も神経質でヒステリックなおばあちゃんが嫌。
お掃除を頼まれればダメ出しばかり言って来る。少し緋菜代の部屋が散らかると「今すぐ片付けなさい!」と激怒する。
そんな塩梅で、おばあちゃんは毎日家じゅうをピッカピカにし、洗濯物が乾けば、角と角をピシッとそろえ綺麗にたたむ。完璧です。非の打ち所がない。
緋菜代は息苦しさを感じていました。早朝から何時間も家事をしているおばあちゃん。
だんだんキッチンドランカーになって行ったおばあちゃん。
管を巻くうるささに緋菜代はいつもガンガンに音楽をかけ凌いでいます。
でも……それでもなんで日曜日のごはんが楽しみかというと、波音の定休日で、先に述べた通りママがせかせかしていない、それだけじゃなく……おばあちゃんも何故だか日曜日は穏やかなの。
緋菜代は学校であったことを日曜日にはゆっくり話せるし、つけているテレビを観ておばあちゃんもママも笑顔で華やぐのです。
日曜日は簡単だからとだいたい焼き肉。
ホットプレートで何でも焼けちゃいます。お肉だけじゃなくお野菜もたっぷり。
〆はホットプレート上の焼うどんに目玉焼き。それをおばあちゃんの作った自家製焼き肉のたれで戴くのです。おばあちゃんの作ったたれはニンニクが付け込まれ、絶品だ!
ホットプレートの肉汁が麺に沁み込み、美味しいのなんの。
「緋菜代は美味しそうに食べるんだよね~。ほんとうに、美味しそうに食べる」
これはおばあちゃんの口癖です。
この言葉を聴くと、すっごくおばあちゃんに褒められている気分になり、モリモリ食べちゃう!
ちょっぴりダイエットが最近では必要かな、エヘ。
あたしは口やかましいおばあちゃんを嫌い……。だけど、おばあちゃんはきっと……こんなあたしでも愛してくれているのかな。
「ごちそうさま。あたしゃ先に風呂に入るよ。あんた達ゆっくり食べな」ニッコリ。いつもこうだと嬉しいのに……おばあちゃんが、笑っててくれたらうれしい。
ある平日のお夕飯時「お母さん! この肉じゃが甘すぎるよ?」と言うママ。「……あんたはいっつもいっつも、甘い甘いってあたしの料理にケチをつけて!」
「お母さんの血圧も心配してんの! 甘くないほうが美味しいから正直に言ってるだけじゃない」小競り合いが始まる。
そして急いでママが席を立ち2階へ上がりシャワーを浴びる準備をします。
あたしはおばあちゃんのお料理はなんでも美味しいと感じる。少し甘い時もほんとうにおいしいよ。
「洗い物、今日もあたしがするね、おばあちゃん!」
「そうかい、ありがとうね。緋菜代は本当にきれいに洗うからねー」
確かにあたしは、我ながら手際よく、なおかつすごく綺麗に食器が洗えます。
おばあちゃんに褒められるとくすぐったいけど、やっぱり嬉しい。
しかし、大喧嘩になると「くそばばあ!」などと平気で言っちゃう緋菜代なのです。
もちろんそんな時はおばあちゃんは黙っていなく「なにーっ?!」と掴みかかってくる事もある。ママが止めに入ります。
やがて年月が経ち……。
中学を卒業し飛び出すように実家から大都会へと巣立った緋菜代は、男の子の赤ちゃん
おばあちゃんのひ孫です。
緋菜代の息子が1歳になったある日、一本の電話が入りました。
「もしもし。ああ、ママ、どうしたの?」「緋菜代! 緋菜代! おばあちゃんが、倒れたの! 脳梗塞って先生が!」
緋菜代はすぐに田舎へ夫とともに息子を連れ帰りました。何百キロも離れた故郷。実家へ辿り着いたのは夜でした。
ICUまで息子を連れて行くと、「赤ちゃんは入れませんので」と言われた。
夫に息子を預け、ICUへ入った緋菜代。
おばあちゃんはベッドに横たわり、喋らないし、目も閉じている。緋菜代は泣くのを堪え話しました。おばあちゃんの手を握る。そんなことしたの生まれて初めてかも知れない。
「おばあちゃん、緋菜代だよ。おばあちゃん、元気になって! お願い! ……廊下にね、1歳になった聡も居るんだよ。みんながおばあちゃんが元気になるのを待ってるんだよ! おばあちゃん!」
すると、微動だにしないおばあちゃんの左目から涙がツーッと流れました。
「おばあちゃんっ! わかってくれてるんだね!? おばあちゃん」薄い掛け布団をかけ直してあげる緋菜代。
そして腕や肩を撫でていると、気づいたのは裸足の足です。おばあちゃんはいつも短いくつしたをお部屋でも履いていた。くつしたカバーのようなものです。
足をマッサージしてあげた。(冷たい!)
「おばあちゃん、待っててね。あとでいつものくつしたを持ってきてあげるよ。ね! 足、寒いよね……待っててね!」
あまり長い時間居ることは許されず、緋菜代とママは退室した。
家に帰ると、『せっかく緋菜代たちが帰ってくるのだから』とママが焼き肉の準備をあらかじめしておいてくれた。
(ここにおばあちゃんが居て欲しい)と思った。
初めての赤ちゃんで、なおかつ発達障害のある聡のお世話にとっても手間取る緋菜代。
(とにかくはやく、聡をお風呂に入れてやり寝かせてあげないと……)焦るようにそう思うのでした。
お風呂を上がり、聡にオムツをしてあげている時自宅の電話が鳴りました。
ママの、うなだれた表情。
「……ママ?」
「うん、おばあちゃんが……さっき亡くなったって」
いやだ! おばあちゃんにもう会えないの、イヤッ! ……緋菜代は、おばあちゃんにくつしたを履かせてあげられなかった事も凄く悲しい。
焼き肉なんかゆっくり食べなきゃよかった、と思った。あたしが聡のお世話をもっと上手にできていたなら、と思った。
「くつした……」と緋菜代はつぶやいた。
あれから20年経ちました。
聡はいま立派な大学生です。
緋菜代は、性格の不一致で夫と離婚しました。旨く行かないことだらけ。職場で失敗も沢山しました。それでも緋菜代という女性は何事にも後悔をしないたちです。
すべてのトラブルや、悲しい事があってこそ、自分が成熟してきたからです。
でもたった一つ、おばあちゃんの最期の日に、くつ下を履かせてあげられなかった事だけ、悔やんでいます。
今でも焼き肉を戴くたび、おばあちゃんとたべたい。ユーモアがあり、笑わせてくれる日曜日のおばあちゃんが懐かしい。
ここのテーブルにおばあちゃんが居て欲しい、と思うのです。
おばあちゃんの笑った顔、美しいんだ。
くつした 沙華やや子 @shaka_yayako
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