第5話 神殺し
俺とユガミは、S県K市にあるという、神社に向かっていた。
「今から向かう神社は、その…白蛇児と関係があるところなのか?」
「まぁ…そんなところだ。」
懺悔の為に一生を祈祷に捧げた農夫。
そのイメージが俺の脳裏に浮かぶ。
電車に揺られる数時間。
相席に向かい合う俺とユガミは、無言だった。
もともと気に合う性格ではないし、オカルトに傾倒するユガミと俺に、会話の接点もない。
そんな俺の逡巡に気が付いているのか、ユガミも無言のままだ。
乗客もまばらで、車内も空いた席が目立つ。
ふと、電車の窓から流れる景色に目を向ける。
都会から離れた電車の窓には、薄く雪の積もる田畑の長閑(のどか)な光景が映っていた。
…家族は、元気してるだろうか?
白蛇児が巣食う住居から離れたのだ。暫くは大丈夫だろう。そう信じたい。
俺が家族に会えるのは、暫く先になるかもしれない。
暫く…か。
俺は一体どれほどの期間を祈りに捧げなければならないのか…。
家族から遠く離れた俺の胸に、ちくりと痛みが奔る。
それは、孤独の痛み。
愛する者と別れた、孤立の痛み。
…そういえば、目の前に座るユガミには家族はいるんだっけか?
確か同級会の時、独り身だと言っていた気がする。
だったら尚の事、俺の気持ちなんて解るわけがないよな…。
俺は溜息をつく。
ガタン
…電車が揺れた。
駅に停車したようだ。
俺は何気無く、田畑に積もる雪の絨毯に目を向ける。
その時。
ゾクリ
背筋に悪寒が奔る。
車内の暖房で寒さを感じることはない。そのはずなのに、俺の全身が寒気に襲われる。
俺の視線の先。雪に中に。
白蛇児が、いた。
曇り空だが陽はまだ高い。
その明かりの中で。
白蛇児の姿が、克明に、俺の目に映る。
真っ白な蛇。
今その白蛇は大きく鎌首を擡(もた)げ、その巨大な口をパカリと開いていた。
その開き方は、もしそいつが生きた蛇であったなら確実に顎が破壊される程だった。
その真っ赤な口の中には、紅い舌がダラリと力無く覗いている。
…だが、口から出ていたものはその真っ赤な舌だけではなかった。
違うものが、生えていた。
子供だった。
子供も姿をしたモノが生えていた。
蛇の口から、子供が生えているのだ。
真っ白な肌を持つ裸の子供が生えているのだ。
その姿は悍ましく…。
上半身は裸の幼子…下半身は蛇。…そんな不快で恐ろしい姿をしていた。
裸の子供が、その真紅の瞳で、俺を睨みつけてる。
恐怖に駆られながらも、俺は納得する。
…これが、『白蛇児』。
蛇の口の中に見えた赤い瞳は、この裸の子供の眼だった。
俺は、こいつに見られていたのだ。
家族に纏わりつく白く細い手は、こいつのものだ。
俺達家族は、こいつに狙われているのだ。
ガタン
電車がゆっくりと動き出す。
その途端。白蛇児は、スゥッと消えた。
俺も我に返る。
そして。
車内に他の乗客がいることなど気にする余裕もなく。
白蛇児の悍ましい容姿を目にした衝撃で。
恐怖から解放された、その反動で。
「わーーーーーーーーーーーーーーーーー !!」
叫び声を挙げた。
一頻り声を出した後。俺は項垂れる。
乗客も、俺に怪訝な視線を俺に送る。
項垂れる俺に、ユガミが、ポツリと囁く。
「白蛇が…見えたのか?」
俺は視線を上げると、
「………ああ。」
やっと、その一言を返す。
そんな俺に、ユガミは、
「好都合じゃないか。これからアイツを祓うんだから、ついて来てくれた方が都合がいい。君は、家族を守るんだろ?」
と、淡々と口にする。
「ふざけるな!!」
そんなユガミの言葉に、俺はキレた。
「祟りだか神様なんだか知らないが、そんな奴らに家族を狙われている俺の気持ちが、お前に解るか!」
俺は激昂する。
だが、そんな俺の怒声を浴びた後でも、ユガミの表情は変わらない。
「…。」
ユガミが、ポツリと呟いた。
「…君は、神を信じるか?」
「は?」
こいつはいきなり、何を言ってるんだ?
ユガミの言葉は続く。
「僕は、神を信じない。」
…ユガミのその言葉は、意外だった。
呪いだ祟りだと喚くこいつが、神を信じない?
ユガミが、ポツリ、ポツリと語り始めた。
自身に舞い降りた…神の、最悪の奇跡を。
「5年前。僕は結婚していた。僕の妻は根暗で鬱陶しい糞真面目な僕とは正反対の、できた奴だった。」
…こいつにも家族がいたのか…。
「だが。死んだ。事故だ。飛行機事故だ。君は旅客機事故の確率を知ってるか? 0.0009%だ。仮に80歳になるまで毎日飛行機に乗り続けても0.02%だ。まさに奇跡の確率だ。その確率を妻はたった一回で…引き当てたんだ!」
「え…。」
…ユガミに表情はない。
しかし堰を切ったかのようなその言葉に、俺はユガミの中の静かな怒りを感じ取る。
「以前。先輩に再婚を勧められたよ。このままじゃ幸せになれないと。」
「…。」
「違う。僕は独りでいい。幸せになんかなりたくない。妻を死なせた奇跡も信じない。だから…」
「…。」
「だから僕は神を信じない。憎んですらいる。」
「…。」
俺に、返す言葉がなかった。掛ける言葉も思いつかない。
それ以降、車内で俺たちの会話は、今度こそ、途絶する。
目的の駅から歩いて一時間ほど。
俺たちは、豪奢な鳥居のある神社に到着した。
「どうする? 神主でも訪ねるか?」
俺はユガミに問う。
だが当のユガミは、「少し待て」と返事を返すのみ。
俺達二人が、鳥居を跨いだ。
その時!
俺の脳裏に強い痛みが奔る。
なんだこれは?
眩暈とも違う、奇妙な感覚が俺を襲う。
俺は瞬間的にきつく眼を閉じた。
…視界が闇に閉ざされる直前。
神社の名が記された木彫看板が目に入る。
その木板に刻まれた、神社の名は…。
『鷲護ノ宮』…。
夢を見た。白昼夢、というものか。
その夢の中で、
巨大な白蛇と、同じく巨大な鳥…鷲が、闘っていた。
その鷲は、黒く巨大な翼を広げ、触れれば切れる鋭い爪を蛇に向け、鋭利な嘴で蛇を貫こうと縦横無尽に空を舞う。
対して白蛇も巨体をもたげ、鷲に食いつこうと鎌首を上げる。
だが、本来、蛇は鷲などの巨大な猛禽類に捕食されるが運命。
その食物連鎖の鎖から逃れることは出来ず、蛇の体躯が鷲の爪に捕獲される。
蛇は最後の抵抗とばかりに頭上の鷲に食いつこうと迫る。
だがその瞬間、鷲の爪が万力にように蛇を締め上げ…蛇は絶命する。
鷲はそのまま中空で蛇の身体を捩切り、放り出す。
地面に墜落する白蛇の血塗られた亡骸。亡骸を啄ばむ猛禽類の王者。
俺の夢の中で。
その蛇と鷹の勝敗は、完全に決した。
は!
俺は、夢から醒めた。
辺りは既に薄暗い。
「大丈夫か?」
ユガミが俺に尋ねる。
「…夢を見た。」
「どんな夢だ?」
「鷲が、白蛇を、殺す夢…。」
「そうか。」
ユガミが口元に手を当てる。
何かを考え込むような、その仕草。
しかし。
「そうか。そうか。はは。ははっはは。はははははははは!!」
考え込んでいたのではない。
ユガミは、笑っていたのだ。
まるで長年の鬱憤を晴らすかのように。
ユガミの高笑いが夕暮れの神社に響く。
そんなユガミの姿を目にして、俺は混乱する。
「な、なんなんだユガミ。何がおかしいんだ?」
俺のその声で、ユガミはやっと笑いのを止めた。
その顔も、いつもの無表情に戻っている。
やっと笑い声を止め、ユガミが俺に顔を向ける。晴れ晴れとした顔をしている。
「君に謝ることがある。」
「…は?」
「僕は君に嘘をついた。ここは白蛇を祀る神社ではない。」
「へ?」
「ここは『鷲護ノ宮神社』。」
「どういうことだ?」
「ここでは、蛇の天敵である猛禽類の神…『神鷲』を祀っているんだ。」
「は?」
「僕はこの神社で『神鷲』と君に取り憑く『白蛇児』を邂逅させた。その結果は、君が夢に見た通り。さすがの白蛇児も天敵を祀るここでは満足に力を発揮できない。僕の予想通りだったよ。」
「…神鷲。」
…それが夢の中に出現した巨大な鷲なのだろうか。
「神同士にも相性がある。それは生物の生存に関わる絶対条件…弱肉強食。食物連鎖。蛇の天敵たる鷲をもって、白蛇児を滅ぼしせしめた。」
…確かに、夢の中で蛇は鷲に殺されていた。
「神をもって神を殺す。ここに僕の『神殺し』は成就した。…君の協力のおかげでね。」
俺は言葉を失う。
…だが、辛うじて、一言だけ、ユガミに問う。
「…もし、失敗していたら?」
「怒りに駆られた白蛇児によって、君の家族を含め一族全て皆殺しだろうな。それほどに白蛇児は強大だ。」
…俺はこいつの実験台だった。そういうことか。
「…なぜ、こんな事をした?」
「言っただろう。全ては『神殺し』の為。僕の『神殺し』を成すためだ。」
ユガミは、完結明瞭に、己の理屈だけを優先した答えを俺に告げる。
「その結果、君は助かった。良かったじゃないか。」
俺は、瞬間的にユガミの胸ぐらを掴んだ。
「お前に俺の気持ちがわかるものか!」
一歩間違えれば、全てが終わっていたのだ。こいつの願望のために。
許せない!
だが、襟首を掴まれたまま、ユガミは表情を変えない。
「神殺しだと!お前はそんなにも神が憎いのか!」
「ああ!憎いよ!」
即答だった。
そして絶叫だった。
ユガミの表情が、ぐしゃりと歪む。
「僕は家族を奪われたんだ!たった0.0009%なんて奇跡の確率に! まさに神の奇跡に!」
…その時。俺は気付いた。
「だから僕は奇跡なんて信じない。神様なんて信じない!」
…無表情じゃない。
「君の気持ちがわかるかだって? そんなものわかるわけないだろ!」
…耐えていたんだ。
「今日は妻との結婚記念日だ。だが死者に命日以外の記念日はあるのか? 君と会うまで僕は今日が結婚記念日だと思い出すことも無かった。忘れていたかった! それで良かったのに! 妻の亡骸は今でも海の底だ。はっ! 家族を守れる君が本当に羨ましいよ!」
…表情が変わることを、必死で耐えていたんだ。
「君に僕の気持ちがわかるわけがない! だって君にはまだ家族がいるんだからな!」
「ユガミ…。」
「…そうだよ。よく考えろよ。君は助かったんだ。もう白蛇児に怯えることはない。これで君は家族と再び暮らせる。万々歳の結果じゃないのか!」
…その通りだ。
俺はユガミから手を離す。
全部、ユガミのおかげだ。
…けれど。
「なぁ、ユガミよぉ。」
「なんだよ。」
そう言葉を返すユガミの顔は…先程の激昂が嘘だったように無表情に戻っている。
「お前…。本当は寂しいんじゃないのか?」
「…ふん。余計なお世話だ。」
家族と再び暮らせる喜び。
そして、一時とは言え憎しみすら抱いてしまったユガミへの感謝を持って。
俺達は帰路に着いた。
…念の為、『鷲護の宮神社』でお祓いを受け、お守り代わりの護符も貰ってから。
地元の街に着く頃には、もう朝だった。
駅で別れた俺達は、別の方向に歩き出す。
「…。」
朝焼けに染まる駅前には、まだ誰もいない。
「なぁユガミ。」
「今度はなんだ?」
「今度、うちに来て飯でも一緒にどうだ?」
「ははは。やなこった。」
そう言いながらも、ユガミの顔は憑物が落ちたように晴々としたものに見えた。
家族が帰ってきた。
我が家に。
妻の明るい笑顔が眩しい。
幼い息子の泣き顔が心地いい。
俺の宝物。一生の宝物。
俺は、それを、取り戻した。
そう。俺は、一人じゃない。
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