第3話 狙われた家族
俺が家具店で白蛇を見かけた次の日から。
俺の家に、家族に、災厄が訪れた。
当たり前にある家族
当たり前の温もり。
当たり前の日々の幸福。
それが脆くも崩れ去る日が来るなど、想像もしていなかった。
家が、軋んだ。
ギシ…ギシ…
家鳴りという現象は、比較的新しい住居にもあり得る。
主に木造の建築物が湿気で伸縮し、結果、ギイギイとした音を立てる現象である。
だが、その軋み音は家鳴りなどの比では無かった。
まるで、家全体を何か巨大な物が包み込んで締め付けている、そんな音だった。
その証拠かどうかは不明だが、家の外壁に、何か巨大なものが這い回ったような擦り傷ができていたのを見つけた。
冷たい汗と共に、嫌な予感が背筋に走る。
そんな俺の姿を見て、妻は怪訝な表情を浮かべていた。
蛇の件は、妻には言っていない。
「キャ!」
夕闇が訪れる頃。
外から妻が叫び声が聞こえた。
駆け付ける俺。
妻は軒先にペタリと腰を落とし、震えていた。
涙を流しながら妻は言う。
ゴミを出すために外に出た時、庭の暗がりから強烈な視線を感じて、妻はその方向に目をやった。
その時。
四つの赤い瞳が自分を睨み付けていた、と。
「襲われるかと思った」
そう言いながら、妻は泣いていた。あんな恐ろしい経験をしたのは初めてだ、と。
…蛇に睨まれた蛙…。
そんな言い伝えを、俺は思い出す。
真新しい木材の香り芳るベビーベット。
その柵の中で、息子はスヤスヤと寝息を立てている。
俺と妻は、リビングでソファーに座り、テレビを見ていた。
テレビからは、数日前、この街で発生した幼児の死体遺棄事件が報道されていた。
凄惨な事件であるが、犯人は捕まったらしい。
嫌な事件ではあった。しかも遺棄されていたのは俺が白蛇を踏んでしまった神社の近くだ。余計に気が滅入る。
しかし、今の俺にそれを気にしている余裕はない。
…もし。もし仮に、このニュースの亡くなった子供のように、息子に何かあれば…。俺の家族に何かあれば…。俺はどうしたらいいんだ!
悩んだ末、俺は何気無い風に装いながら、
「実はさ…」
と、妻に向かって重い口を開く。
だがその時、
天井の蛍光灯が、瞬いた。
買ったばかりのはずなのに…。
数秒の間、室内が暗闇に包まれる。
その僅か数秒の間、俺と妻は見た!
息子の眠るベビーベットの上の天井から、
白い手が蛇のようにぶら下がっているのを!
「ヒぃ!!」
妻が短い悲鳴を上げた。
暗闇であるにも拘らず、いや、暗闇であるからこそ、その白い手は尚の事、克明に見えた。
枝に絡み付く蛇が体躯をくねらし獲物に巻きつこうとするように、その白い手が、息子に向かって伸びてくる。
「やめろーーーーー!!」
俺はベビーベットに駆け寄り、息子を抱き寄せる。
妻は口に手を当て声もなく震えている。
天井の明かりが灯る。
気付いた時には、その蛇のような白い手は、消えていた。
ホッとした俺は、息子の顔を覗き見る。
その時、俺は息を飲んだ。
息子の首に、痣があった。
小さな人型の、五本指。それが並んで二つ。
まるで、首を絞めたかのような痣の痕。
その痣を見て、妻がまた嗚咽を漏らす。
蛇のような白い手は、その後も何度も現れた。
真夜中、家族が眠っている時。
妻が息子から目を離した時。
家事育児に追われる妻がうたた寝をしている時。
日も時も関係なく、白い手は現れる。
天井から垂れ下がり。
ベッドの柵に巻き付いて。
時には既に布団の中に。
執拗に、息子に向かってくる。
結果、我が子を守る為に、妻の眠りは奪われた。
影に怯えて。
白い手に怯えて。
起きてる時の息子は泣き通しだった。
空腹で泣くのではなく。
不快で泣くのではなく。
理由も解らず、ただただ、泣き続けていた。
妻の精神は、更に追い詰められていく。
俺も、仕事が休みの日には妻に代わり家事育児をするが、その程度では妻の疲労は癒せない。
ある日。
息子が泣くのをピタリとやめた。
胸を撫で下ろす俺と妻。
災禍は去ったのか?
違った。
息子は、泣かなくなった。
一切泣かなくなった。
それどころか、笑いもせず、声を上げる事さえしなくなった。
泣きもしない。笑いもしない。一切の無表情。
起きて、眠るだけ。
食べるだけ。排泄するだけ。
心なしか、目が赤い。
時々、小さな口を開け、小さな可愛い舌をチロリと伸ばしている。
それはまるで…。へ…び…に似ている?
ふざけるな! そんな事があり得るか!
…ともかく、息子は変わってしまった。
医者にも診せた。
だが、身体的な所見は見つからなかった。
息子の変化は、器質的な変化によるものではないのだ。
だが息子の変貌を目の辺りにして、妻は平常心を失いつつあった。
一ヶ月後。
声一つ上げない無表情な息子を腕に抱きながら、ブツブツと何事かを呟き続ける妻。
目は充血し真っ赤。化粧気はなく、顔色も悪い。むしろ蒼白。
俺は決心し、蛇を殺した事を妻に告白した。
今、家族に降りかかっている災禍の原因が自分であるかもしれない事を、告げた。
正直、妻は激高するかと思っていた。俺を罵ると思っていた。
だが、違った。
話を聞きながら、妻は力なく言葉を発する。
「一人で苦しんでいたんだね」と俺を元気づける。
「もう一度、幸せなあの頃に戻りたい」と、俺に願う。
そして最後に、
「私は、あなたを信じている」と呟いた。
…信じていなかったのは、俺の方だった。
俺は、決心する。
何が何でも、家族を守ると。
その為に必要なのは、医者ではない。
俺は妻と息子を田舎の両親に預け、会社に休暇届を出す。
理由は、妻と息子の療養のためとした。
だが実際は違う。
家族を守るために、俺がすべきことは…。
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