第2話 災厄の始まり
ある冬の夜。
学生の頃から付き合いのある民俗学者が、酒の席で言っていた。
「特定の動物は、神様の化身として奉られている」と。
そして、
「『蛇』は、水や雨、雪などを司る天候の神だ」と。
古来より信仰の対象となっていた蛇。
その信仰は日本だけではない。北アメリカ・ショショーニ族の神話では大蛇が天空に背中を擦り付けることで雪が降ると信じられていた。
各地に伝わる蛇信仰の中で。
特に白い姿をした蛇…『白蛇』は、とりわけ特別な存在と言われている。
「天からの使者」や「浄化の象徴」とも呼ばれる白く輝く神秘的な姿が、その所以であろう。
白蛇には、金運や商売繁盛をもたらす縁起物であるという信仰がある。
しかし、殺したり触ったりすると祟りがあるとされる伝説もそれ以上に多い。
白蛇を強く神聖な存在として敬う一方で。
仇なせば神に逆らうと同義であり、恐れ崇める側面もあるのだ。
古くは、長い年月を経た蛇は神通力を身につけ、人に化ける妖怪(蛇精)になると言う。
また、日本の民間信仰に伝わる「蛇蠱」のように、憎悪敵対する相手に蛇の霊を憑依させ苦しみを与えるという伝承もある。
他にも、葬儀の際に飾られる蛇の飾りは、次の死が訪れるものの方角を示すという迷信もある。
だが同時に、脱皮を繰り返すことから、再生や蘇り、生命力の象徴であるとも言われている。
白蛇とは、古来より伝わる神聖な象徴であり、同時に恐れ崇め奉られる厄災そのものであるのだ。
そう民俗学者が説明してくれた。
そして最後に彼は言う。
「特に腹の子卵を抱く白蛇は最高の霊力を持つ聖なる存在とされている」
「だが同時に、太古から人の現世に仇なす祟りの象徴、『厄 災 の 化 身』でもある」
と。
その日の夜。帰り道。
街にある神社に続く小道を歩いていた時。
…俺は白蛇を踏み殺してしまった。
だが。
心から誓う。
家族に。
友に。
「わざとじゃない。偶然だったんだ。」
と。
ーーーーーーーーーーーー
その冬の雪は、とにかく酷かった。
この地域は日本の中でも豪雪地帯とは言われている。
毎年、地域の山間地での雪害事故や交通障害のニュースを耳にする。
しかし、今俺が住む街は、山間地からも距離があり、雪による被害は少ない方であろう。
だが。
…今年は違った。
長年の念願叶い、新築されたマイホーム。
妻と、まだ生まれて間もない幼い息子と、そしてこれからも増えるかもしれない家族を暖かく包む、澱み一つない住居。
以前住んでいたアパートより部屋室も多く、清潔感も段違い。
新調した家具は、機能的に、かつ妻の好みに彩られ、
様々な遊具類を揃えた子供の為の部屋もある。
まさに、家族にとって理想の空間であった。
夜の闇の黒と降り積もった雪の白が、街中にモノクロのコントラストを作る中。
家族待つマイホームに向けて歩く俺の足取りは軽い。
新しい我が家で待つ家族の顔を思い浮かべれば、仕事の疲れなど吹き飛ぶというものだ。
と、その時。
ポケットの中の携帯電話が振動する。
何事かと思い、携帯電話を取り出すと、そこには『緊急速報』の文字が示されていた。
『ニュースです。本日未明、〇〇山のスキー場▲▲ホテルと連絡がつかなくなり付近の警察が助隊の協力のもと現地確認に向かったところ、スキー場・ホテルともに大規模な雪崩に巻き込まれたとのことです。今の所、ホテルやスキー場に滞在していた人達の安否確認を行なっており…』
大規模な雪崩のニュースだった。
毎年、雪崩による事故は発生している。しかし、スキー場のホテルが丸ごと雪に飲まれるなんて…。
いくら豪雪地域でも、普通なら有り得ない!
なんて事態だ。
自分もこの街に長く住んでいるが、これほどの雪害は初めてだった。
驚きに足を止めた俺は、携帯電話の小さな画面から流れる報道動画を凝視する。
その動画には、偶然にも雪崩がホテルに押し寄せる瞬間を捉えた映像が流れていた。
その映像を見て。
俺は、ふと、違和感を感じる。
雪崩がホテルを包み込む瞬間。
その押し寄せる雪が、
蛇に見えた。
大きく口を開き、ホテルを呑み込む、白蛇に見えたのだ。
それはまるで、巨大な白蛇がホテルを丸呑みにしたような…?
…。
そんな馬鹿な…。
しかし、その時の俺の脳裏に蘇るのは…。
…突然に脆く軟いものを踏んでしまった時の足の下の感触。
先日、偶然にも踏み殺してしまった白蛇。その時の記憶であった。
なお…。
雪崩で埋まったホテルに滞在していた人間の遺体はその後も見つからなかったという。
ーーーーーーーーーーーー
大規模雪崩のニュースから数日後。
今日も外は雪景色。だがまだ街の積雪は20cm程。この地域ではまだ少ない方だ。
家族で朝から出かけようと、家から外に出る。
雪は少なくとも、冷たく身を切るような寒さが身を包む。
手袋をしていても、寒さが指先に奔る。
白い息が目に眩しい。
俺は寒さに耐え手を擦りながら、車に辿り着いた。
が、車は寒さの為に凍結しており、窓も凍り真っ白になっている。
…やはり車の暖気は必要そうだ。
そう判断し、スターターでエンジンを起動させてから、俺は一旦、家に戻る。
空は晴天。
天気予報でも、今日は一日、快晴であった。
腕に幼子を抱く妻とともに、俺は新築のマイホームに置く家具を購入する為に街内の大型家具量販店に来ていた。
屋上の駐車場に自家用車を停め、店内に入る。
…「ねえ、あなた。この食器棚なんて、素敵じゃない?」
…「白と黒、どっちがいいかな?」
…「私なら、断然、白!」
…「ねえ、あなたはどう思う?」
妻は、穏やかに眠る一歳にも満たない我が子を抱っこ紐と毛布で体に抱きながら、エネルギッシュにお気に入りの家具を探し続けている。
本当に楽しそうだった。
「はいはい、お前に任せるよ。」
そう笑って、俺は笑いながら店の外に出る。
妻の買い物に付き合っていて、ちょっと疲れた。休憩しよう。
俺は、店の正面ドア付近にある自動販売機で缶コーヒーを購入すると、晴天の空の下で、暖かいコーヒーを口元に運ぶ。
暫く時間が経過した後。
「あなた、そこにいたのね!」妻が僕を追ってきた。購入カードを持っている。
どうやら購入する家具を決めたらしい。さて、荷物運びを頑張るか。
そう思い、コーヒーを飲み干す。
ふと、俺は空に目を向けた。
白いものが散らついていた。雪である
…天気予報は外れたか。
そう思いながら、俺は妻と店内に戻る。
購入した家具を車に詰め込み、さて帰ろうか。
そう車の乗り込もうとした、その時。
…異変が起きる。
違和感が、視界に入る。
雪。
雪が積もっている。
確かに、雪は降っている。積もるのも当然だ。
しかし。これは。
おかしい。
今まで俺達が買い物をしていた、大型家具量販店。
その建物に。
その建物にだけ、降り重なった雪が高々と積もっているのだ!
店外の駐車場にも雪は積もっている。吹けば舞い散る粉程度の雪が。
駐車場に連なる国道にも雪は積もっている。排気ガスを纏った雪で白線が煤ける程度に。
しかし。
その大型家具量販店の上にだけ。
雪国に住む俺でも目にしたことがないレベルで。
桁違いの雪が積もっているのだ!
その光景は、雪が積もるなんて生易しいものではない。
建物が、雪に喰われようとしている。
そんな連想を抱かせるような、異常な光景だった。
「あ…。」
先日の、異常な雪崩のニュースを思い出す。
その異様な光景から我に返った一瞬。
俺は急ぎ妻に声を掛ける。
「早く車に乗れ」と。
俺と同じ光景を見ていた妻は、素直に俺の言葉に従い、子供をチャイルドシートに預け、妻も助手席に座る。
急げ。
特にそれに理由はあったわけではない。しかし。漠然とした不安があった。
早く逃げねば。
見つからないように。
ゆっくりと、車をバックさせる。
ゆっくり。ゆっくり。
その時。
…ギシリ
何か、致命的な音が車外から聞こえた。
鉄筋をへし折るような。
コンクリートが砕けるような。
その音は、一度だけではない。
…ギシリ
…ミシリ
…メキャ
何度も、何度も、その崩壊の音が響く。
そして。
車の窓ごしに。
建物がグシャリと潰れる光景が見えた。
まだ中にいるはずの店員や客ごと。
雪の重みで。雪に押し潰されて。
その店は倒壊した。
雪の重み(雪圧)で古い家屋が倒壊するなんてニュースは、珍しくはない。
しかし、今目の前で起こったのは、それとは全く違う。
確かに、大量に雪は積もっていた。
しかし、何故かその建物の上にだけに。
しかも、頑丈に造られている建物だったはずだ。
簡単に倒壊なんて、するはずが無い。
これは…異常だ。
信じられないものを目にした。
その驚愕の中、俺はふと、隣の妻に目をやる。
目の前で起こった事故(?)に、妻は震えながらチャイルドシートの子供に目を配っている。
俺は視線を戻し、倒壊し雪の下に埋まる建物に目を向ける。
「…!」
建物を潰し小山のように盛り上がる雪の中から。
何か、折れ曲がる長細いものが見えた。
俺は一瞬ドキリとする。
それは…。
雪の中から脱出しようともがく男性の腕だった。
体を捻り、なんとか雪から身を出す男性。
しかし。
雪が、それを許さなかった。
それは、雪から生えてきた。
雪から伸び出したそれは、細く真っ白な無数の、紐だった。
上半身だけを雪から脱出させた男性。
その男性の半身が白く細い紐に捕われる。
雪から伸びた無数の紐が、男の半身に絡みつく。
そして。
男は悲鳴を挙げる時も無く。
雪に、引き摺り戻された。
…雪に喰われた。
その光景は、まさしくそれだった。
男が雪が喰われた後。
その光景を目にした人が俺以外にいるのかは不明だが、異常な倒壊事故を目の当たりにした人達の騒めきが聞こえる。
その光景を茫然と見つめる俺。
その時。
また一本の紐が、チロリと積もる雪から伸び出してきた。
俺は、その白い紐を凝視する。
「あ…。」
それは、
紐ではなかった。
紐にしては、巨大だった。
それには、真っ赤な眼があった。
それには、真っ赤な舌がチロリと覗く、口があった。
それは、雪と見まごうばかりの、純白の。
…白蛇だった。
妻には見えていない。
倒壊事故により騒めく人達にも、見えていない。
大人の身の丈はある巨大な白い蛇。
それは、尻尾を雪山に埋めたまま、ヌタリと鎌首をもたげる。
赤い目が、直径二十センチはあろうかという真紅の両の赤い眼が、俺を見つめる。
いや。睨み付ける。
ほんの一瞬。瞬きをする程の僅かな一瞬。
蛇がチロリと舌を出す。
ショロォ
閉じられた口腔から血のような紅い舌が覗いた。
…二つの赤い眼が、俺を凝視する。
観察するかのように。
確認するかのように。
そして、
俺を睨み付けながらニチャリと口を開く。
その開かれた口腔内に。
唾液を滴らせながら五十センチ程に開いた口の中に。
白い牙と牙の間に。
二つの小さな小さな瞳が見えた。
『見つけた』
その小さな瞳がそう語る。
俺とそれの眼が合った。
…見つかった。
そう俺は直感した。
直感が脳裏を奔る。
まさか…。
俺は、先日に知り合いの民俗学者が語った内容を思い返す。
『白蛇の祟り』
そして。
その夜に踏み殺した、一匹の小さな蛇。
その蛇は、自身の何倍もある巨大な重量を、その細く長い体躯に受けながら…潰されながら、
生き絶えた。
蛇の叫び声が聞こえる筈はない。
だが、確かにその時。
俺は感じた。
…空気の震える音を。その断末魔の叫びが凛とした冷気の中を伝わるのを。
俺は直感する。
あれは、あの時の、白蛇だと。
「ね、ねぇ、早く帰ろうよ。」
突然、肩を叩かれ、俺は我に返る。
俺の視界の先で。白蛇は消えていた。
事故だ! 救急車だ! 倒壊事故を目撃した人々の喧騒が耳に響く。
俺は家族に目を向ける。
そこには、事故に慄く表情を浮かべる妻と、妻の腕に抱かれた俺の宝物…我が子がいた。
「あ、ああ。うん。そうだな。」
俺は、曖昧で途切れ途切れの言葉を返事を返すのだった
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