第4話 追放者レナ
風の音が変わった。
森の奥に流れる空気が、ざわりと波打つ。
それは獣の気配ではない。
もっと乾いた、硬質な音――金属の擦れる音だった。
「……人間だ」
俺の“聴覚網”が捉えた。
四人。鎧を着け、槍と弓を携えている。
足取りは慎重だが、迷いがない。
明らかに、ここを目指して来ている。
『人間って……まさか、村の……?』
レナの声が震えた。
小さな肩がわずかに強張る。
「ああ。おそらく、レナを追ってきた」
昨日、ウルク狼の群れを撃退した後、
俺たちは森の奥に小さな拠点を作っていた。
木の枝と蔦を使って組んだ簡易の小屋。
雨露をしのげるだけの場所だが、
レナは嬉しそうに「ここ、家みたい」と笑っていた。
――その穏やかな時間が、長く続くとは思っていなかった。
『どうして……どうして追ってくるの?
私はただ、彼らを守りたかっただけなのに……』
レナが拳を握りしめる。
指先が白くなるほど強く。
「詳しく聞かせてくれ。お前が村を出た理由を」
少しの沈黙のあと、レナは静かに語り始めた。
『……村に、魔獣が現れたの。
でも、私は“声”を聞いた。
その魔獣は人を襲うつもりじゃなかった。
ただ、子を探してただけ……』
「お前には、魔物の声が聞こえるんだな」
『うん。昔から。だから止めたの。
でも、みんな私を“魔に魅入られた”って言った。
……“声を聞く娘”は、不吉だって』
レナは唇を噛んだ。
その瞳に浮かぶ悔しさは、かつての俺の記憶を呼び覚ます。
異端として恐れられ、排除される――どの世界でも変わらない構図。
「つまり、今追ってきてる連中は……」
『きっと、“処分”するため』
その言葉は、あまりにも静かで、
だからこそ残酷に響いた。
俺は決意を固める。
「レナ。お前はもう追放者じゃない。
俺が“居場所”にすると言ったろ」
『……でも、戦えば……!』
「戦うさ」
幻声体の輪郭が、蒼く揺れる。
空気が低く震え、声の粒子が集まり始めた。
「今度は、奪われる側じゃない」
森の奥から、四人の人影が現れる。
光を反射する鎧。
その先頭に立つ男は、かつてレナの村の兵長だった。
「……やはりここにいたか、レナ」
低い声。
だがその裏には、迷いのない冷たさがあった。
『隊長……どうして……』
「村の決定だ。
“声の魔”に取り憑かれた者を放置すれば、災いが降る」
槍を構え、彼の目が鋭く光る。
その視線がレナを通り越し、俺の幻影に止まった。
「……これが“魔”か」
俺は一歩、前へ出た。
足音はない。
だが、空気が震え、男たちの肌を打つ。
「“魔”かどうかは、俺が決めることじゃない。
お前たちが決めることでもない」
「喋るのか……!」
弓を構えた兵士が叫ぶ。
矢が放たれ、空を裂いて飛ぶ――が。
音が、止まった。
俺が発した“声”が、空気の振動そのものを掴み取る。
矢は空中で静止し、次の瞬間、音を弾けさせて逆方向に吹き飛んだ。
「――なっ!?」
男たちが怯む。
俺の声が森全体を震わせる。
「帰れ。これ以上、レナを傷つけるなら……声の森がお前たちを拒む」
低く、深く響く声。
地面が微かに震え、木々の葉がざわめく。
それはまるで森そのものが言葉を発しているようだった。
だが兵長は退かない。
槍を構え、目を細める。
「“魔の力”を使い、人を惑わすか。
――やはり、滅すべき存在だ」
鋭い叫びとともに、突きが放たれた。
その瞬間、レナが動いた。
『やめてッ!』
彼女の叫びに反応するように、俺の中の力が溢れた。
音が重なり、空気が爆ぜる。
兵長の槍が軌道を逸れ、地面に突き刺さった。
蒼い光が爆ぜ、幻声体の輪郭が一瞬、鮮烈に輝く。
空気が弾け、男たちが吹き飛んだ。
静寂。
舞い上がる土煙の中で、俺は声を潜めた。
『……セイル、やりすぎた?』
「殺してはいない。
ただ、音で気絶させただけだ」
レナが安堵の息を吐く。
彼女の頬に一筋の涙が流れた。
『ありがとう……本当に、ありがとう』
「礼はいらない。
お前が守りたいものを、俺も守りたい」
森の奥から、鳥の鳴き声が再び戻る。
世界が静かに呼吸を取り戻す。
『セイル……私、もう逃げたくない。
この森で、生きていきたい。』
「なら決まりだ」
幻の手を差し出す。
光でできた掌が、レナの小さな手を包み込むように揺れる。
「ここが“俺たちの居場所”だ。
誰にも奪わせない」
その瞬間、森の奥から柔らかな風が吹いた。
木々の葉がざわめき、まるで祝福するように光が差し込む。
そして、レナの肩越しに見た空が、
ほんの少しだけ――広く見えた。
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