19話 実力差/小鈴蘭丸

 合宿も四日目となり、半分が過ぎました。


 わたしの班は今日は午前中から実技レッスンです。着替えて、レッスン室に集合します。

 ただ、運営スタッフさんが来るまでの間、レッスン室内には溝が出来ていました。


「ねねちゃん、最終日のライブのユニットの件なんだけどさ」

「またその話? ちーちゃん相手でも流石に怒るよ! 〝それ〟だけは絶対ないから!」


 レッスン室の中央で、この二次審査のトップツーが言葉を交わしています。そんな二人から距離を取り、わたしを含めた八人がそれぞれストレッチをしている。


 他の班の様子はわかりませんが、この班の空気感は正直よくないです。

 というのも、あのトップツーが〝あまりにも別格過ぎた〟んです。


 初日の実技レッスンの後、ずっとこの調子。あの二人のパフォーマンスを見てから、他の人達は委縮してしまって主体性を失っています。


 ちーちゃんさんとねねちゃんさんは千葉にある有名な芸能事務所の所属らしく、ありとあらゆるスキルが一線を画していたんです。

 それがどれほどかというと、レッスン監督をしてくれている運営スタッフの方が、この四日間で一度も指摘する所がないくらい。


 わたしや他の皆さんは、こうしたらもっと良くなるとか、ここがこうなっていて勿体ないとか、そういうことを沢山言われるのに。


 悶々としているうちに運営スタッフの方が入って来て、わたし達を見回します。


「それでは、今日は課題曲を三曲全て通しでやってもらいます。苦手な曲、得意な曲、色々あるとは思いますが、これはあくまでもレッスンです。自分の可能性を探すと思って、積極的にチャレンジしてください。

それらを含めて精査し、希望がない限りは最終日のユニット編成はこちらで行いますので、そのつもりで。では、まずは鬼灯千尋さんから。他の方は壁際にお願いします」


 言われた通り壁際に引っ込みつつ、今の運営スタッフさんの言葉を頭の中で反芻します。

 これはあくまでもレッスン。そして最終日のユニット編成。

 最初はレッスンも運営スタッフさんも怖いと感じましたが、凄く親身で、例え落ちたとしても勉強になる毎日です。


 でも、そんな優しい時間も六日目まで。最終日のライブは合否の評価に直結すると初日に明言されましたし、生活の全てを管理され、スマホも没収された閉鎖的なこの状況では、他の受験者の実力に目を向けるしかなくなる。


 そして、目の当たりにする。

 楽曲が流れ始めた次の瞬間。


 のびやかに躍動する、美しく力強い、圧倒的なパフォーマンス。


 鬼灯千尋さん。日本中で最もレベルが高いと言われるこの関東地区の一次審査で首位を獲得した彼女が、レッスン室の中央で踊る。


 何よりも目を見張るのはその鍛え抜かれた身体能力です。一歩ステップを踏み込んだかと思えば、一呼吸の内に大きなストライドでスライド。下ろした足先に滑らかに重心を移してぐっと膝を折り、慣性を吸収。


 次の瞬間には片足での跳躍とターン。空中に飛び上がった身体の膝や腰、頭の軸はフロアに垂直で一切ぶれる事がなく、楽曲にぴたりとハマった拍で着地をすると、投げヒモから放たれたコマの如く更にくるくると指先まで美しく回り、抜群のリズム感でステップワークへと移行していく。


 もちろん、それらの高度で多彩なダンス技術の真骨頂は、どれだけ素早く、大きく動けるかだけではありません。


 動の振り付けの迫力に加えて、静の動きの精密性。

 楽曲のサビ、つまり見せ場が訪れると、随所でぴたりとキレ良く振りつけが止まった様に見える。

 当然、実際には一秒たりとも動きを止めてはいないんですが、完璧に作り上げた微笑みや乱れを滲ませない呼吸が振りに抜群の余裕感を与え、動きの中にはっきりと〝見やすい〟メリハリをつけているんです。


 彼女のパフォーマンスを見て思い出すのは、小さい頃に水族館で見たイルカショーでした。


 人とは明らかに違う、大きくて、けれども可愛らしい生物。

 たった少しの動きでぐんぐん水中を自在に泳ぎ回り、水飛沫を上げながら高く飛び上がる。

 けれどもそれはただの力任せではなく、飼育員さんが投げたボールをきちんと弾き返したり、他のイルカと飛ぶ高さとタイミングを合わせたりみたいな、知性を感じる明確な〝技術〟なんです。


 つまり、明らかに人よりも優れた種が、人のように鍛えられ、人がどう足掻いても及ばないような演技をしているように見えて。

 しかもそのどれもが伸び伸びとして、楽しそうなんです。


 涼しい顔で、わたし達みたいな他の子にできないレベルのダンスをやってのける。


「こんなのに、どうやって勝てばいいの」


 小声が聞こえて見回すと、鬼灯千尋さんのレッスン風景から目を逸らしている子がいました。

 わたしも正直、そうしてしまいたいです。だってこんなの、見たところで何の参考にもならない。


 こんなの、できない。

 ……でも。


 すうっと深呼吸をして、わたしは真っすぐに鬼灯千尋さんのダンスに目を向け続けます。


 わたしにアイドルの才能がないなんてことは、最初からわかっていることです。

 その上で、菖蒲ちゃんの力になる為にこの世界に踏み込んだから。


 できないことをただ受け入れるなんて、できない。


 わたしは全部ができないから。だから、一つずつでもできることを、死に物狂いで掴んでいくんだ。

 深呼吸。

 挫けそうな心を、必死に、上から塗りつぶす。

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