03「ダーリン、お前のせいで何人の女が泣き濡れたか! 地獄で作法を請うがいい、その手が罪以外を知るまで何度でも! 」前
◇
ILY4EVAは束縛癖の恋人に似ている。超集合都市オルドポルターのいち自治区にあたるILY4EVA地区は、その都市建築においても自治法においても画一的かつ統一的にデザインされた法秩序の街である。高層ビルディングはハーフミラーに偽の青空を映し出して冷然と立ち並ぶ。セキュリティ管理は最適化され、その治安の良さはオルドポルター内随一と呼べた。市民は皆、厳正な秩序によって縛られている。
ILY4EVAは、ダーリンがもっとも活動に難儀する地区と言っていい。
———ILIFT24/7。それはILY4EVA地区のオフィス街区域を示す地名だ。立ち並ぶビルディングの足元に直線的な公道が地を張り巡る。オフィスビルの下層部には、ガラス張りのカフェからビジネスパーソンがノートパソコンを打ち込む姿が覗いている。彼の着席するよりもさらに奥。カフェスペースの角に、二人組の男女がテーブルに向き合っている。
男はセラドン・グレイのイギリススーツに身を包んでおり、眼鏡の奥から及ぶ刺すような視線に神経質そうな印象を受ける。
「———それが本件の『報告』か。ディアクイーン。」
メシャク・バッドベスト。それがAg:47組織に属する彼のフルネームだった。手元の小ぶりのカップがエスプレッソが濃厚な芳香を放っている。
「素敵な
女は黒のコートワンピースから伸びる脚を組んで男を見遣った。警戒心の強いまなじりが猫のような印象を受ける。女はコートのポケットから二つ折のキャプション紙を取り出して顔の横へと擡げている。
ラケル・ディアクイーン。先日、彼女がBID_R!D_;)オークション会場へ視察した際の報告がこのカフェで行われていた。ラケルの収入源は二つ。一つは事件現場清掃員。二つ目は、情報譲渡による小銭稼ぎ。メシャクとラケルは、二つの経路で接点を持つお得意先である。
「……証拠の有無は要点ではない。
メシャクは紙を受け取りながらも女へ向ける視線を逸さなかった。彼のまなざしは、明確な成果だけを求めている。取引相手、ラケルはこの交渉に僅かな不穏を感じ取っていた。
「断言はできない。ただ、限りなく『あり』に近いとは言っていい。
メシャクの一瞥がキャプション紙へと向けられる。字列をなぞり終えるとその紙を卓上へ伏せて突き出した。
「確実な決定打がない。二万ウナだ。」
「勘弁。限りなく確実に近い可能性だって部分が聴こえてない? それじゃあ
議題はすでに値段交渉へと突入した。確実性の不在を理由に二万ウナで情報を買い取ろうとするメシャク。可能性の濃厚さと物的証拠を理由に五万ウナで売ろうとするラケル。二人の視線はテーブルを挟んで対立する。テーブルの上では二つ折りに畳まれた紙を指先で牽制し合っている。いずれも、紙の上から指さきを離さない。
「お前の情報には核心部分が欠けていると言っている。三万ウナ。」
危うい綱引き。僅かばかり紙がメシャクの側へと引き寄せられる。
「それを補う証拠があるって言ってんの。四万五千ウナ。」
指圧によって紙はふたたびテーブル中央へと引き戻される。
戦場とされた紙に皺が寄る。これ以上争えば、軽薄な悲鳴と共に引き裂かれる可能性がある。メシャクは卓上の戦況を見下ろすと、嘆息に次ぐ一声でこの交渉を終わらせようとした。
「四万ウナだ。それ以上は譲歩できない。」
「オッケー、バッドベスト。BID_R!D_;)の情報提供代として負けておいてあげる。」
そこでようやく、交渉相手の女は紙から手を離した。メシャクとラケルは利害関係である。組織に属する者と組織に属さない者で交わされる非公式的な繋がり。しかしそれは、友好関係という意味ではない。
「それにしても、先の一件で一つ気に掛かってる。監視を受けていたあの人影は、私に『
お前にはわかる?
それは拘束されていた人影の発言である。ラケルには知れない発言も、ダーリンと対峙する最前線に身を置くメシャクであれば検討がつくかも知れない。そんな何の気とない雑談だった。
「ならば、その人影はファタールだろう。契約したダーリンと人間、……ファタールはその瞬間に運命共同体となる。契約した者たちにとってダーリンとファタールは、一対の存在だ。」
メシャクはブレストポケットへ紙を差し込みながらそう言い放った。メシャク・バッドベスト。彼はAg:47に入隊して五年が経過する。数ある民間組織のなか桁違いに高死亡率となる組織で、いまだ存命を成し得ている職員の一員である。
その時、腕時計式端末が振動し通知を示した。
ILY4EVAは比較的犯罪率の少ない地区とされる。しかし、確率はゼロではない。メシャクは足元に置かれたトランクケースへ目を遣る。外回りを兼ねた待ち合わせと怠らず、念の為と備えていて正解だった。なぜなら、このケースに入っているのは電子機器でも金銭でもない。
端末はこのように警告している。
———市民よりダーリン発見の通報あり。
直ちに現場へ向かい、職員と合流せよ。
「対価はいつもの口座で構わないな。急用だ、ディアクイーン。悪いが退席させて貰う。———
Ag:47はダーリン関連の通報があれば昼夜を問わず駆け付ける。それはさながら、恋人からの連絡を受けて深夜に駆けつける従順な男のように。
◇
———人集りの前に斜角のバイクが急停車する。砂煙の中から現れたのはラケルとメシャクだ。オフィス街の公共広場から裏道へ入る狭まった小道に、不穏な気配が漂っていた。人集りの奥にはキープアウトのテープとAg:47職員が区画一帯を囲っている。人々のどよめく音とと物々しい空気が、この場の事件性を語る。
「死ぬのは入金してからにしてよ、職員さん。」
「感謝する。任務の終わり次第早急に手続きをしよう。」
メシャクは脱いだヘルメットをラケルへと渡して人集りの前へ進む。赤銅色のコンクリートブロックを革靴が踏み鳴らす。後方でエンジンの発進音が聞こえたが、やがて遠のいて行った。同僚の一人に声を掛け、メシャクは戦況の把握に努める。
市民として紛れていたダーリンが脱走。市民に危害を加えたことで目撃者が通報。今現在も逃亡中であるという。
「ダーリンの異能種別は? 」
メシャクが同僚へ問いながら周囲を見渡す。同僚は答えた。
「目撃者によれば攻撃系の異能だと。仕組みは不明だけどね。突然なにかに苦しみ出して異能が暴走、市民へ被害が及んだみたいだ。」
「おおかたダーリン特有の苦痛だろう。苦痛に疲弊していれば、弱っている可能性がある。」
「弱っているか、かえって強く抵抗するかの二択だね。ダーリン側の敵意は不明。異能の発動も故意ではない様子だったという証言だ。まあ、まずは捕獲かな。頼めるか? 」
メシャクの片手にはトランク型のガンケースが携えられている。メシャクが使用するのは中・長距離武器である。ダーリンとの戦闘を想定するならば連携の取れる近接タイプの戦闘員が欲しい。
「シンプルで助かる。戦闘員は誰がいる? 」
挙げられたネームは職員・組織管理ダーリン合わせて三名。緊急収集にしてはよく集まった方だ、とメシャクは思案した。片耳へ装着したインカムのマイクを下ろす。
「メシャク・バッドベスト、只今到着した。これより後方指揮を執る。定時までに報告書の作成を済ませたければ、速やかに対処しろ。」
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