第4話 遺されしもの
礫と灰の匂いだけが漂っていた。
世界が息を潜めたかのように、夜風すら止んでいる。
アシェルは膝を震わせながら、仰向けに大の字で倒れる守護者のもとへ駆け寄った。
「おいっ!! しっかりしてくれ!」
必死の声に、兜の奥でわずかに光が瞬く。
焦点の合わぬ瞳が、それでも少年を捉えた。
「……無事だったか、少年……」
「喋るな! 今、助けを――!」
その言葉を遮るように、守護者は震える腕を持ち上げた。
掌には、戦いの果てに残された漆黒の霊鋼が握られている。
かつて災魔将だったものの、燃え尽きぬ魂の欠片。
「……これを、持っていけ……災魔将の霊鋼だ……強き鎧を生む、糧になる……」
アシェルは戸惑いながらも、両手でそれを受け取る。
焼け付くような熱が皮膚を焦がし、それでも手を離せなかった。
指先から伝わる脈動が、生きているように熱かった。
「それと……俺の荷を……」
視線が、炎に呑まれかけた革袋を示す。
アシェルはすぐに駆け寄り、袋を拾い上げた。
中には大小さまざまな霊鋼の欠片が詰められている。
血と汗で濡れ、ずしりとした重みがあった――命の結晶のようだった。
「それは……俺が討った災魔の霊鋼だ。……錬金術師に、届けろ……」
「錬金術師……?」
問い返すアシェルの胸元に、守護者が紙片を押し込む。
震える指が、それでも確かに意志を持っていた。
「この地図と……名前を頼れ……その女が……新しい鎧を作る……次の……守護者を……」
アシェルは紙を広げた。
そこには簡素な地図と、一つの地名――〈ルーテシア〉。
そして、ただ一人の名が記されていた。
「……リィナ……?」
「ああ……あの女なら……必ず……」
守護者の呼吸が浅くなる。
アシェルはその手を握り、声を震わせた。
「待ってくれ! お前は……お前はどうするんだよ!!」
守護者――ギルバートは、わずかに笑った。
血に濡れた唇が震え、低く、しかし確かに言葉を紡ぐ。
「……俺は……もう魂が尽きる直前だった。
討伐の旅の果てに……ここまで来た……」
声は細く、だが穏やかだった。
その瞳には恐れも迷いもない。
「最後に……お前を救えて、良かった……」
その言葉が、静かに夜へ溶けていった。
後悔も無念もなく、ただ“救えた”という一点の光だけが残っていた。
アシェルの胸に熱いものがこみ上げる。
「そんな……そんなのって、あるかよ……!」
叫びは嗚咽に変わる。
それでもギルバートは、首を横に振り、わずかに笑った。
ゆっくりと鎧に手を当てると、その全身が淡い光に包まれた。
鎧が鳴動し、低い音が夜を震わせる。
「最後に……名を告げよう……」
消え入りそうな声。けれど確かに届いた。
「俺の名は……ギルバート。“大地を抱く熊”と呼ばれた……守護者の一人……」
「ギルバート……!」
その名を呼ぶ声に応えるように、鎧全体が脈動する光に包まれた。
一瞬、世界が息を止めたように静まり返る。
次の瞬間――肉体は光の粒となって消え、鎧は収束し、
熊を象った霊鋼の塊――鎧魂核へと変じた。
アシェルの前に残されたのは、脈打つ鎧魂核と革袋、そして一枚の紙。
命も声も消え去ったが、その意志は確かにそこに宿っていた。
「ギルバート……っ!」
喉から絞り出すように名を呼ぶ。
母も、妹も、村も、そして最後の守護者すら失った。
残されたのは、重すぎる遺志と、この両手に抱える小さな光だけ。
アシェルは膝をつき、鎧魂核と霊鋼を胸に抱きしめた。
涙で視界が霞み、心は空洞のように虚ろで――
それでも、胸の奥に残る言葉だけは消えなかった。
――最後に、お前を救えて良かった。
炎はやがて燃え尽き、夜の闇が村を包み込む。
その中心で、少年は震えながら、失われたすべてを抱きしめていた。
――やがて訪れる朝を、まだ知らぬまま。
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