第2話 守護者
炎と瘴気が村を呑み込み、家々は次々と崩れ落ちていく。
黒煙が空を覆い、昼なのか夜なのかさえ判別できなかった。
地面は赤く脈打ち、焦げた木々が呻き声のように軋む。
その地獄の只中――ただ一人、災魔の群れと対峙する影があった。
熊を象った重厚な鎧。
炎の光を背にしてもなお、その姿は揺るがない。
両肩の咆哮する熊の意匠。分厚い籠手。
腰に構えた両手剣は、大地そのものを断つために鍛えられたようだった。
その男――守護者は、燃える村の中で静かに立っていた。
炎を恐れぬ瞳が、黒き群れを射抜く。
「――退けぇぇぇッ!!」
咆哮とともに、剣が空を裂いた。
轟音。爆ぜる火花。
衝撃波が走り、前方の災魔たちがまとめて吹き飛ぶ。
黒い肉体が裂け、瘴気が霧散する。
風が一瞬だけ清らかになり、燃える瓦礫が舞い上がった。
アシェルはその光景を呆然と見つめた。
現実とは思えなかった。
――これが、守護者。
噂でしか知らなかった存在が、いま、目の前で“神話”を現実にしている。
胸が高鳴る。
恐怖と興奮が入り混じり、喉が焼けるほど息が熱い。
「おい、少年!」
守護者が振り返り、兜の奥から声を放つ。
炎の光を反射して、瞳がギラリと光った。
「生きている者がいたか……! いいか、すぐに離れろ! 生き延びるんだ!」
「で、でも……母さんとアリアが……!」
声が震えた。
それでも、守護者の返答は雷のように鋭かった。
「探すのは俺が抑えてからだ! 走れッ!」
その一言に、抗う余地などなかった。
アシェルの足がすくむ。
恐怖ではない。彼の背に宿る“覚悟”の重さに、胸を押し潰されそうだった。
災魔の群れが、四方から襲いかかる。
四足で地を駆ける獣。
炎の空を滑る翼ある怪物。
そして、地を這う影のような異形――どれもこの世の理から外れた存在だ。
裂けた口から黒煙を吐き、地を腐らせながら迫ってくる。
誰もが正気を失う光景。
だが守護者は一歩も退かない。
「どけぇぇぇッ!!!」
大地を割るような一閃。
炎が押し広がり、瘴気が風に裂かれる。
飛び散った黒い血が、火の粉のように夜空を舞った。
一瞬だけ、夜空が紅く花開く――それは美しく、そして儚かった。
上空から飛行型の災魔が急降下する。
守護者は顔を上げ、逆手に持った剣を真上へ突き上げた。
刃が災魔の胴を貫き、裂けた腹から光が漏れる。
焼け付くような断末魔が、空を切り裂いた。
「まだだッ!」
左右から獣が迫る。
守護者は左腕の籠手で一体を殴り飛ばし、右手の剣で別の一体を真っ二つにした。
黒い血が地を濡らし、炎に触れて蒸気のように消える。
そのたびに地面が悲鳴を上げ、鉄と血の匂いが濃くなる。
アシェルは息を呑んだ。
目の前の戦士は、絶望を押し返す“盾”そのものだった。
だが――戦況は変わらない。
倒しても倒しても、災魔は湧き出る。
どこかで聞こえる悲鳴。
燃え落ちる屋根。
風が鉄の味を運び、空気は焦げついていた。
「なんで……こんなに……!」
アシェルの声は震え、息が白く乱れる。
そのとき――地鳴り。
ズシン……ズシン……。
世界が、重く軋んだ。
炎と煙の向こう、巨大な影がゆっくりと現れる。
牛のような頭部。ねじれた二本の角。
黒曜石の外殻が光を吸い込み、赤く濁った双眸が世界を睥睨する。
その視線だけで、心臓が凍る。
「……まさか……災魔将クラスか……!」
守護者の声が低く、かすかに震えた。
それを聞いたアシェルの背筋に、氷の刃が走る。
「災魔将……?」
「群れを束ね、土地を腐らせる最悪の災魔だ!」
守護者は歯を食いしばり、アシェルへ怒鳴った。
「少年! 生き延びろ! お前まで巻き込むわけにはいかん!」
熊の幻影が立ち上がり、炎の中で咆哮を上げる。
その咆哮はまるで、大地そのものの祈りのようだった。
アシェルは、知らぬうちに拳を握っていた。
胸の奥で、何かが叫んでいる――“逃げるな”と。
だが、その想いを飲み込み、唇を噛む。
彼の中で何かが、静かに燃え始めた。
守護者が巨獣へと突進する。
黒き爪と剣がぶつかり合い、轟音が村を揺らす。
火花が飛び、瘴気が波のように吹き荒れた。
「すげぇ……でも……!」
アシェルはただ立ち尽くす。
その隙間を埋めるように、燃えた梁が崩れ落ちた。
逃げ惑う村人たちは、炎と瘴気に飲まれて消えていく。
母も、妹も――まだ見つからない。
「アリア! 母さん! どこだ……!」
叫びは炎にかき消され、空に散った。
――そして、世界から音が消えた。
焦げた空気の中、ただ炎だけが、ゆらりと生を謳っていた。
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