第11話 昇進、そして不穏』
ヴェルデア城の大広間には、珍しく穏やかな空気が流れていた。
魔族たちの間に漂う殺気もなく、杯の音と笑い声が交錯している。
それもそのはず――今日は、戦略官カイル・ロウズの正式昇進式の日だった。
黒曜石の床に響く足音。
カイルは魔王ゼルファードの前に進み出て、片膝をついた。
「カイル・ロウズ。貴様の功績――北東戦線での連勝、並びに損害率の劇的減少をここに称える」
ゼルファードの声が、謁見の間に静かに響く。
その手に握られた黒い指輪が、カイルの胸元へと落とされた。
「本日より、正式に軍参謀補佐として認める」
その瞬間、場にどよめきが起こった。
魔族の軍で、人間がこの地位に就くのは史上初だった。
リリアが小さく拍手を送る。
最初はためらいながらも、部下たちも次々にそれに続いた。
かつて冷たい目で見ていた彼らの表情には、今や確かな尊敬が宿っていた。
カイルは深く頭を下げる。
「身に余る光栄です。ですが、私はまだ途中の者。
――この力で、貴国の未来を守る一助となると誓います」
ゼルファードが満足げに頷いた。
「よかろう。だが忘れるな。力とは、常に恐れを生む。……その恐れをどう制御するか、それが真の才だ」
「肝に銘じます」
⸻
式が終わったあと、食堂では小さな宴が開かれた。
リリアがグラスを掲げる。
「昇進おめでとう、カイル」
「ありがとうございます。あなたのおかげですよ」
「違うわ。あんたが結果を出したから、皆が認めた。それだけ」
淡い笑みを交わす二人を、周囲の魔族たちもどこか温かく見守っていた。
――しかし、その輪の外では。
壁際の陰に立つ、黒衣の影がひとつ。
杯に指先を浸し、静かに呟いた。
「……“人間が参謀補佐”とは、冗談が過ぎる」
その影は、闇の中へと消える。
杯に残った酒には、毒のような黒い靄が溶けていった。
⸻
同じ頃――人間領。
王都カリオンの大聖堂では、無数の聖騎士が整列していた。
壇上に立つのは、一人の青年。
金の髪、蒼い瞳、そして清廉な微笑。
――勇者レオン・アルバート。
「我らの同胞を裏切り、魔王軍に与する者がいる」
彼の声は、神殿の天井を震わせるほど力強かった。
「名は、カイル・ロウズ。
かつて我が同胞であり、今や魔族に知恵を授け、戦線を優位に導いているという」
人々の間にざわめきが広がる。
レオンは静かに剣を抜き、その刃先を天へ向けた。
「この罪、断じて許さぬ。
――我らは正義の名のもとに、“裏切り者”を討つ」
聖なる鐘が鳴り響く。
それはまるで、再び世界が動き出す合図のようだった。
⸻
その頃、遠く離れた魔王国の塔の上。
カイルは風に吹かれながら、地図を見つめていた。
「戦が、また始まる」
彼の呟きに、リリアが隣で小さく頷く。
「逃げるなら今よ」
「いいえ。逃げない。俺は、俺の信じたやり方で戦います」
風が二人の間を吹き抜ける。
その風の中に、微かに血の匂いが混じっていた。
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