第10話 魔王の眼

 戦いから数日後。

 カイルたちは勝利報告のため、魔王城ヴェルデアへ帰還していた。


 漆黒の大理石で造られた謁見の間は、昼でも薄暗い。

 高座の玉座に座る魔王ゼルファードが、静かに彼らを見下ろしていた。

 その瞳は、深紅の宝石のように冷たくも美しい。


「報告を聞いた。――お前の策で、聖騎士団の二部隊が壊滅したそうだな」

 低く響く声に、カイルは片膝をついて頭を下げた。

「はい。リリア隊の奮戦あっての勝利です。私はただ、状況を読み取っただけで」


 ゼルファードの口元がわずかに動いた。

 笑ったのか、あるいは試しているのか。


「謙遜は嫌いではない。だがな――」

 その声が、わずかに重みを増す。

「“読む”だけで戦局を変えられる者を、私は初めて見た。お前の頭脳は、戦場そのものを変える」


 玉座の間にざわめきが走った。

 将官たちが顔を見合わせる。

 人間に、魔王が賞賛の言葉を贈るなど――聞いたことがない。


 ゼルファードは続けた。

「リリア・ヴァルメリア」

「はい」

「この人間の保護と監督を引き続き任せる。……同時に、もしこの力が“誤って使われた”時は――」

 その紅い瞳が、ゆっくりとリリアを見た。

「お前の手で止めろ」


 謁見の間に、張り詰めた沈黙が落ちる。


「……承知しました」

 リリアは静かに頭を垂れたが、その指先は微かに震えていた。



 謁見が終わり、廊下に出たカイルは、長い息を吐いた。

 リリアが隣に並び、ぼそりと呟く。


「魔王様に褒められるなんて、そうそうないわよ。……けど、同時に監視対象にもなったわね」

「分かってます。力を持つ者は、いつだって恐れられる」

「怖くないの?」

「怖いですよ。けど――怖がってるうちは、まだ人間です」


 リリアが一瞬だけ笑った。

「やっぱり、変わってる」

「それ、褒め言葉ですよね?」

「さぁ、どうかしら」


 二人の笑い声が廊下に消える。

 しかし、その背後では、別の影が静かに蠢いていた。



 同じ頃――。

 ヴェルデア城の上層、闇に包まれた円卓の間。

 複数の魔族将官が密かに集まっていた。


「魔王陛下は、あの人間を評価しすぎだ」

「人間など、我らを裏切るために存在する生物だ。いずれ牙を剥く」

「リリア・ヴァルメリアも、最近はあの男に心を許しすぎている。あれは危うい」


 ひときわ低い声が、闇の中で響く。

「……ならば、先に手を打つしかあるまい」


 その瞬間、蝋燭の炎が一つ、音もなく消えた。

 まるで誰かが、その言葉に同意したように。



 その夜。

 カイルは執務室の机に地図を広げ、静かに《分析》を起動した。

 見えるのは戦場ではない――この国の中に流れる、目に見えぬ“対立の線”だった。


「……戦場よりも、ずっと複雑だな」

 彼は苦笑し、窓の外の月を見上げた。


 その光は、どこか冷たく、そして美しかった。

 まるで魔王の眼のように――彼を、じっと見つめていた。

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