第12話 裏切り者討伐
人間領南部――王都アルトリア。
聖堂に響く鐘の音が、朝霧を切り裂くように鳴り渡っていた。
勇者レオンは、聖光の甲冑をまとい、玉座の前に跪いていた。
その瞳は冷たく、かつて仲間に向けた温かさなど、もはや微塵も残っていない。
「魔族に寝返った“裏切り者”カイル・アーデン。……奴を生かしておくことは、人間の恥だ」
玉座の上の国王がうなずく。
「勇者レオンよ、神の名においてその任を授ける」
「承知しました。必ずや、この手で奴を討ちます」
聖堂の扉が開かれた。
白銀の騎士団が整列し、祈りの言葉とともに出陣の号令が響く。
――人間領最大の討伐軍が、魔王国を目指して動き出した。
その先に待つのが、かつての仲間との再会とも知らずに。
◇
一方その頃――魔王国ヴェルデア。
赤黒い塔が連なる軍中枢都市では、異様な緊迫感が漂っていた。
「勇者軍の遠征部隊が動いたそうだ」
報告を受けたカイルは、長机に地図を広げる。
魔力で描かれた立体地図が、光の線を走らせながら地形を映し出していた。
「目標は……魔王領の第七防衛線。まっすぐこちらに向かってきてるな」
「ほう。ずいぶんと強気な連中だ」
隣で腕を組んでいるのは、黒衣の吸血鬼リリア・ヴァルメリア。
いまや彼女は前線部隊長として名を馳せ、同時にカイルの“後ろ盾”でもある。
「勇者軍の数は約三万。対してこちらの前線兵力は……」
「一万五千。しかも補給路がまともに機能していない。兵の魔力残量も均一じゃない」
「非効率、か」
カイルはため息をついた。
魔王軍は確かに強大だ。しかし、それは“力”という一点に偏った強さだった。
組織として見れば、連携不足、補給の混乱、そして指揮系統の曖昧さ――。
それらの欠点が、彼の目にはあまりにも明確に映っていた。
「魔王陛下に進言を」
「うむ。お前の考えを、直接伝えるがいい」
リリアの言葉にうなずき、カイルは魔王の玉座へと向かった。
◇
漆黒の大広間。
玉座に座す魔王ゼルファードは、静かな眼差しでカイルを見下ろしていた。
「人間よ。貴様の分析の正確さは既に聞き及んでいる。……だが、いまや敵は“勇者”だ。手加減は無用だぞ」
「心得ております、陛下。ですが――」
カイルは一歩前に出た。
視線が交錯し、重い沈黙が落ちる。
「今のままでは、我々は負けます」
玉座の間が一瞬ざわめいた。
左右に控える参謀官たちが眉をひそめ、怒りの声を上げる。
「無礼者! 誰に向かって――!」
「黙れ」
魔王の一言で、空気が凍った。
「……理由を言え」
カイルは深く息を吸い、地図の魔力投影を展開する。
光の線が走り、補給路と防衛拠点が浮かび上がった。
「この国の補給線は、軍の規模に対して細すぎます。しかも、各部隊が独自に物資を運用している。
このままでは、勇者軍との長期戦で確実に兵糧が尽きる」
「……ほう?」
「さらに連絡体系が部族ごとにバラバラ。
伝令に三倍の時間がかかり、命令伝達が混乱しています。
――このままでは、勇者軍のような統率力に太刀打ちできません」
魔王は沈黙したまま、顎に手を当てた。
やがて重い声が響く。
「では、貴様の策は?」
「補給線の統一、通信符号の共通化、そして戦略本部の一元化。
魔族の“力任せの戦い”を、組織的戦闘に変える必要があります」
参謀官たちが再びざわめく。
「人間の戦法など信用できるか!」
「そもそも我らは千年、こうして戦ってきたのだ!」
カイルは一歩も引かず、静かに言い放った。
「千年も“勝てなかった”ということですよね?」
その瞬間、空気が裂けるように張り詰めた。
リリアが思わず息をのむ。
だが魔王は――笑った。
「……面白い。よかろう。貴様の言う通りにやってみろ」
「陛下!?」と参謀たちが抗議の声を上げる。
しかし魔王は片手でそれを制し、鋭い眼光をカイルへ向ける。
「ただし、結果を出せ。魔族は“言葉”では動かぬ。“成果”だけが信用だ」
「承知しました」
カイルは深く一礼し、背を向けた。
その背に、魔王の声が低く響く。
「……人間よ。貴様の知恵、見せてもらおう」
◇
作戦室に戻ると、すでにリリアと部下たちが集まっていた。
壁一面に広げられた地図、山のように積まれた報告書、
そして膨大な魔力通信記録。
「補給路の再編は最優先です。各部隊が自前で運んでいる物資を、中央管理に統合します」
「統合? そんなこと、魔族が言うことを聞くと思うのか?」と副官が不満げに言う。
「思いません。でも、彼らが“得をする”形にすれば動きます」
カイルは地図の一点を指差した。
「このルートを整備し、運搬部隊を共通化すれば、燃料と時間を三割削減できる。
つまり、前線に届く食料が増える。腹が満たされれば、文句は減る」
「……理屈はわかるが」
「それに、勇者軍は遠征で長期戦になる。奴らは“信仰心”で動くが、現実的には物資が限界だ。
補給で勝てば、戦わずして勝てる」
リリアが小さく笑う。
「……お前、やっぱり怖いわね。血を流さずに勝とうとするなんて」
「できるなら、そのほうがいいでしょう? 死者が少ないに越したことはない」
「そうね。……人間らしい考えだわ」
短いやりとりのあと、部屋に活気が戻る。
カイルの指示に従い、魔族たちは慣れぬ資料と格闘し始めた。
その姿を見て、彼はふと遠い過去を思い出す。
――勇者パーティーで、誰も彼の言葉を聞かなかった日々。
「お前の分析なんて役に立たない」と笑われた夜。
だが今、彼の言葉で軍が動く。
力の種族が、彼の知恵に耳を傾けている。
ほんの少しだけ、胸が温かくなった。
◇
数日後。
再編成された補給路が初めて稼働した。
結果は、驚くほど明確だった。
「報告! 第七防衛線への食料到着、予定より半日早く完了!」
「通信符号の共通化により、伝令誤差が激減!」
作戦室に歓声が上がる。
リリアが満足げに腕を組み、カイルの肩を軽く叩いた。
「やるじゃない。これが“人間の戦略”ってやつ?」
「ただの効率化ですよ。誰にでもできることです」
「誰にでも、ね。……あんた以外には無理だと思うけど」
照れ隠しのようにカイルは肩をすくめ、地図に視線を戻した。
「補給は整いました。あとは、“戦わずして勝つ”ための条件を揃えるだけです」
「戦わずして?」
「ああ。勇者軍は“討伐の名誉”で動いている。
ならば、彼らに“勝つ価値がない戦場”を作ればいい」
その言葉に、リリアは一瞬だけ息をのんだ。
それは、彼が初めて“戦略家”として本当の意味で動き出した瞬間だった。
◇
夜。
塔の上から眺める魔王都の灯りは、どこか穏やかに揺れていた。
リリアが隣に立ち、月を見上げる。
「……勇者軍、本当に来るのね」
「ええ。すでにこちらへ向かって進軍中です」
「怖くないの?」
カイルは少しだけ笑った。
「怖いですよ。でも、それ以上に――勝ちたいです」
「勝ちたい?」
「勇者としてじゃなく、人間として。
俺を“無価値”と切り捨てたあの人間たちに、知恵の価値を見せたい」
リリアは静かに目を閉じ、赤い瞳を伏せた。
そして小さくつぶやく。
「……なら、私はその戦いを支えるわ。参謀殿」
風が吹き抜ける。
夜空に浮かぶ月が、二人の影を長く伸ばした。
――次の戦いが、すでに始まっている。
その中心にいるのは、“かつての勇者の仲間”と、“魔族の吸血姫”。
そして、彼らの戦いは――世界の形を変えていく。
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