第12話 裏切り者討伐

 人間領南部――王都アルトリア。

 聖堂に響く鐘の音が、朝霧を切り裂くように鳴り渡っていた。


 勇者レオンは、聖光の甲冑をまとい、玉座の前に跪いていた。

 その瞳は冷たく、かつて仲間に向けた温かさなど、もはや微塵も残っていない。


「魔族に寝返った“裏切り者”カイル・アーデン。……奴を生かしておくことは、人間の恥だ」


 玉座の上の国王がうなずく。

「勇者レオンよ、神の名においてその任を授ける」


「承知しました。必ずや、この手で奴を討ちます」


 聖堂の扉が開かれた。

 白銀の騎士団が整列し、祈りの言葉とともに出陣の号令が響く。


 ――人間領最大の討伐軍が、魔王国を目指して動き出した。


 その先に待つのが、かつての仲間との再会とも知らずに。



 一方その頃――魔王国ヴェルデア。

 赤黒い塔が連なる軍中枢都市では、異様な緊迫感が漂っていた。


「勇者軍の遠征部隊が動いたそうだ」

 報告を受けたカイルは、長机に地図を広げる。

 魔力で描かれた立体地図が、光の線を走らせながら地形を映し出していた。


「目標は……魔王領の第七防衛線。まっすぐこちらに向かってきてるな」


「ほう。ずいぶんと強気な連中だ」

 隣で腕を組んでいるのは、黒衣の吸血鬼リリア・ヴァルメリア。

 いまや彼女は前線部隊長として名を馳せ、同時にカイルの“後ろ盾”でもある。


「勇者軍の数は約三万。対してこちらの前線兵力は……」

「一万五千。しかも補給路がまともに機能していない。兵の魔力残量も均一じゃない」


「非効率、か」

 カイルはため息をついた。


 魔王軍は確かに強大だ。しかし、それは“力”という一点に偏った強さだった。

 組織として見れば、連携不足、補給の混乱、そして指揮系統の曖昧さ――。

 それらの欠点が、彼の目にはあまりにも明確に映っていた。


「魔王陛下に進言を」

「うむ。お前の考えを、直接伝えるがいい」

 リリアの言葉にうなずき、カイルは魔王の玉座へと向かった。



 漆黒の大広間。

 玉座に座す魔王ゼルファードは、静かな眼差しでカイルを見下ろしていた。


「人間よ。貴様の分析の正確さは既に聞き及んでいる。……だが、いまや敵は“勇者”だ。手加減は無用だぞ」


「心得ております、陛下。ですが――」

 カイルは一歩前に出た。

 視線が交錯し、重い沈黙が落ちる。


「今のままでは、我々は負けます」


 玉座の間が一瞬ざわめいた。

 左右に控える参謀官たちが眉をひそめ、怒りの声を上げる。


「無礼者! 誰に向かって――!」

「黙れ」

 魔王の一言で、空気が凍った。


「……理由を言え」


 カイルは深く息を吸い、地図の魔力投影を展開する。

 光の線が走り、補給路と防衛拠点が浮かび上がった。


「この国の補給線は、軍の規模に対して細すぎます。しかも、各部隊が独自に物資を運用している。

 このままでは、勇者軍との長期戦で確実に兵糧が尽きる」


「……ほう?」


「さらに連絡体系が部族ごとにバラバラ。

 伝令に三倍の時間がかかり、命令伝達が混乱しています。

 ――このままでは、勇者軍のような統率力に太刀打ちできません」


 魔王は沈黙したまま、顎に手を当てた。

 やがて重い声が響く。


「では、貴様の策は?」


「補給線の統一、通信符号の共通化、そして戦略本部の一元化。

 魔族の“力任せの戦い”を、組織的戦闘に変える必要があります」


 参謀官たちが再びざわめく。

「人間の戦法など信用できるか!」

「そもそも我らは千年、こうして戦ってきたのだ!」


 カイルは一歩も引かず、静かに言い放った。


「千年も“勝てなかった”ということですよね?」


 その瞬間、空気が裂けるように張り詰めた。

 リリアが思わず息をのむ。

 だが魔王は――笑った。


「……面白い。よかろう。貴様の言う通りにやってみろ」


「陛下!?」と参謀たちが抗議の声を上げる。

 しかし魔王は片手でそれを制し、鋭い眼光をカイルへ向ける。


「ただし、結果を出せ。魔族は“言葉”では動かぬ。“成果”だけが信用だ」


「承知しました」


 カイルは深く一礼し、背を向けた。

 その背に、魔王の声が低く響く。


「……人間よ。貴様の知恵、見せてもらおう」



 作戦室に戻ると、すでにリリアと部下たちが集まっていた。

 壁一面に広げられた地図、山のように積まれた報告書、

 そして膨大な魔力通信記録。


「補給路の再編は最優先です。各部隊が自前で運んでいる物資を、中央管理に統合します」


「統合? そんなこと、魔族が言うことを聞くと思うのか?」と副官が不満げに言う。


「思いません。でも、彼らが“得をする”形にすれば動きます」

 カイルは地図の一点を指差した。


「このルートを整備し、運搬部隊を共通化すれば、燃料と時間を三割削減できる。

 つまり、前線に届く食料が増える。腹が満たされれば、文句は減る」


「……理屈はわかるが」


「それに、勇者軍は遠征で長期戦になる。奴らは“信仰心”で動くが、現実的には物資が限界だ。

 補給で勝てば、戦わずして勝てる」


 リリアが小さく笑う。

「……お前、やっぱり怖いわね。血を流さずに勝とうとするなんて」


「できるなら、そのほうがいいでしょう? 死者が少ないに越したことはない」


「そうね。……人間らしい考えだわ」


 短いやりとりのあと、部屋に活気が戻る。

 カイルの指示に従い、魔族たちは慣れぬ資料と格闘し始めた。

 その姿を見て、彼はふと遠い過去を思い出す。


 ――勇者パーティーで、誰も彼の言葉を聞かなかった日々。

 「お前の分析なんて役に立たない」と笑われた夜。


 だが今、彼の言葉で軍が動く。

 力の種族が、彼の知恵に耳を傾けている。


 ほんの少しだけ、胸が温かくなった。



 数日後。

 再編成された補給路が初めて稼働した。

 結果は、驚くほど明確だった。


「報告! 第七防衛線への食料到着、予定より半日早く完了!」

「通信符号の共通化により、伝令誤差が激減!」


 作戦室に歓声が上がる。

 リリアが満足げに腕を組み、カイルの肩を軽く叩いた。


「やるじゃない。これが“人間の戦略”ってやつ?」


「ただの効率化ですよ。誰にでもできることです」


「誰にでも、ね。……あんた以外には無理だと思うけど」


 照れ隠しのようにカイルは肩をすくめ、地図に視線を戻した。


「補給は整いました。あとは、“戦わずして勝つ”ための条件を揃えるだけです」


「戦わずして?」


「ああ。勇者軍は“討伐の名誉”で動いている。

 ならば、彼らに“勝つ価値がない戦場”を作ればいい」


 その言葉に、リリアは一瞬だけ息をのんだ。

 それは、彼が初めて“戦略家”として本当の意味で動き出した瞬間だった。



 夜。

 塔の上から眺める魔王都の灯りは、どこか穏やかに揺れていた。


 リリアが隣に立ち、月を見上げる。

「……勇者軍、本当に来るのね」


「ええ。すでにこちらへ向かって進軍中です」


「怖くないの?」


 カイルは少しだけ笑った。

「怖いですよ。でも、それ以上に――勝ちたいです」


「勝ちたい?」


「勇者としてじゃなく、人間として。

 俺を“無価値”と切り捨てたあの人間たちに、知恵の価値を見せたい」


 リリアは静かに目を閉じ、赤い瞳を伏せた。

 そして小さくつぶやく。


「……なら、私はその戦いを支えるわ。参謀殿」


 風が吹き抜ける。

 夜空に浮かぶ月が、二人の影を長く伸ばした。


 ――次の戦いが、すでに始まっている。

 その中心にいるのは、“かつての勇者の仲間”と、“魔族の吸血姫”。


 そして、彼らの戦いは――世界の形を変えていく。

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