第7話 初陣、リリア小隊へ

翌朝。

 ヴェルデア城の作戦室には、朝靄のような冷気が漂っていた。

 黒い石壁の中央に大きな地図が広げられ、その周囲を数人の将官が囲む。


 魔王ゼルファードが低く告げる。

「北東方面、聖騎士団が再び動き出した。偵察を兼ねて、戦力を確認せよ。指揮は――リリア・ヴァルメリア」


「はっ」

 リリアが一礼する。

 その隣に立つカイルは、背筋を伸ばしたまま静かに聞いていた。


「補佐には、人間の戦略官カイルを同行させる」

 室内が、わずかにざわめいた。


「魔王様、人間を前線へ? 危険では――」

「危険だからこそだ。分析の結果を、実戦で示してみせろ」


 ゼルファードの瞳が一瞬だけカイルを射抜く。

 それは試すようでもあり、信じるようでもあった。


 カイルは深く頭を下げた。

「お任せください。分析の正しさを、戦場で証明してみせます」



 その日の夕刻。

 ヴェルデア北方の草原地帯――黒い岩山の陰に、リリア小隊は布陣していた。

 総勢三十名ほどの魔族兵。

 黒い鎧に身を包んだ者、羽を持つ者、角を生やす者。

 人間から見れば“悪夢”のような光景だ。


 だが、彼らの視線はもっと別のものに向けられていた。

 ――カイルに。


「なんで人間が一緒なんだ?」

「裏切られたらどうする?」

「偵察任務だぞ、足手まといになるだけじゃないか」


 低い声が飛び交う。

 それでもカイルは動じなかった。

 彼は地図を広げ、周囲の地形を《分析》で視覚化していた。

 目を閉じれば、風の流れ、地形の起伏、足音の反響――すべてが線となって脳内に浮かぶ。


「……このあたり、何かおかしいですね」

「おかしい?」リリアが眉をひそめる。

「はい。敵が“見せている”んです。わざと、こちらに偵察線を見せている」

「囮か?」

「恐らく。――後方に待ち伏せ部隊がいます」


 リリアが息を呑んだ。

「確認できるのか?」

「ええ。《分析》が“風の途切れ”を示している。あの丘の向こう、聖騎士団の魔力が密集してます」


 兵士の一人が鼻で笑った。

「人間の勘かよ。そんなもん信じられるか」

「そのまま突っ込めば、半分は死ぬぞ」

 カイルの冷静な声に、兵士は一瞬たじろいだ。


 リリアは短く命じる。

「全隊、待機。カイルの指示を聞け」


 その声には、静かな威圧があった。

 彼女の指揮下にある者たちは、渋々従う。

 カイルはすぐに指示を飛ばした。


「右翼を後退させ、岩陰に伏兵を置く。中央部はわざと隙を見せてください」

「隙を見せる? 自殺行為だろ」

「敵は“その隙”に釣られます。その瞬間、反転包囲です」


 魔族たちは顔を見合わせるが、リリアが頷いた。

「やれ。……カイルの読みが正しければ、敵は地獄を見る」



 数十分後――。

 草原の向こうから、聖騎士団の白銀の旗が翻った。

 陽光を浴びて輝く鎧の列。

 彼らはまっすぐ、リリア隊の“隙”へと突撃してくる。


「――来た」

 カイルの呟きに、魔族兵たちの体が緊張で固まる。


 そして次の瞬間。

 突撃の先頭にいた騎士の槍が、地面の罠を踏み抜いた。

 轟音。

 地中に隠された岩弾が炸裂し、騎士たちの陣形を一気に崩す。


「今だ、反転!」


 リリアの号令で、伏せていた魔族兵が一斉に動く。

 左右から包囲し、聖騎士団を挟撃。

 混乱する敵陣に、リリアの紅い魔力が炸裂した。


 ――十数分後。


 戦場は、静まり返っていた。

 魔族側の損害、わずか二名軽傷。

 聖騎士団、ほぼ壊滅。


「……本当に、罠だったな」

 兵士のひとりが呟いた。

 そして、誰からともなく視線がカイルへと向く。


 人間。

 だが――ただの人間ではない。


 リリアがゆっくりと歩み寄り、微笑んだ。

「悪くない。“地味スキル”ってやつも、なかなか侮れないな」

「光栄です。次は、もっと確実に勝ちましょう」


 風が吹き抜け、焦げた草の匂いが漂う。

 初陣の空気は、まだ冷たいが――確かに、ひとつの信頼が芽生えていた。

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