第3話 魔王軍、初会議

 目を開けると、視界のすべてが“黒”だった。


 硬い石の天井、重苦しい空気。

 どこかで金属が擦れる音がする。

 俺――カイルは、薄暗い牢の中で目を覚ました。


 鎖は外されていたが、周囲には結界が張られている。

 触れた瞬間、軽い電流のような衝撃が指先を走った。


 ――魔術結界。

 人間を逃がさないための、魔族の拘束技術だろう。


 「……ようやく起きた?」


 声に顔を向けると、鉄格子の向こうに黒衣の少女――リリア・ヴァルメリアがいた。

 昨日、俺を捕らえた張本人。


 彼女は腕を組み、退屈そうに壁に寄りかかっている。

 それでも、周囲の魔族兵たちは彼女を見るだけで姿勢を正していた。

 どうやら相当の地位らしい。


「ここは……?」

「魔王国ヴェルデアの首都よ。人間がここに入るのは、たぶん史上初ね」


 リリアは軽く笑う。

 その表情には皮肉も、嘲りもない。

 ただ、純粋な興味だけが浮かんでいた。


「魔王陛下がお会いになるそうよ。準備なさい」


 そう言って、彼女は結界を解除する。

 柔らかな光が瞬き、檻の扉が開いた。

 俺は立ち上がり、深く息を吐く。

 恐怖よりも、妙な高揚感があった。


 ――この目で、“魔王”を見ることになるとはな。


 ◆ ◆ ◆


 魔王城ヴェルデアは、まさに異界の宮殿だった。


 黒曜石のような城壁が空を覆い、空中には魔力の光が漂う。

 空飛ぶ魔獣が哨戒を行い、街の通りには翼を持つ魔族や角を生やした民が行き交っている。

 恐ろしいはずなのに、不思議と秩序があった。

 まるで、一つの“国家”として完成されている。


 リリアに案内され、俺は玉座の間へと進む。

 そこにいたのは――


「来たか、人間」


 重厚な声が響いた。

 巨大な玉座に座る男。

 燃えるような紅い瞳と、黒い双角。

 その威圧感だけで、空気が震える。


 魔王ゼルファード。

 伝承に語られる“破滅の支配者”その人だった。


「こいつが、例の《分析士》か」

「はい。勇者パーティーの一員でしたが、追放され、辺境で発見しました」

「……ふむ」


 魔王は俺を一瞥した。

 その視線だけで、膝が震えるほどの圧がある。

 だが、不思議と逃げたいとは思わなかった。


「人間ごときが、魔族の領に足を踏み入れるとはな。……だが、リリアが珍しく“面白い”と言った。お前、何者だ?」

「分析士カイル・アーヴィン。……ただの敗残者ですよ」

「敗残者が、リリアの攻撃を避けたか」


 魔王の口元がわずかに動く。

 笑ったのか、嘲ったのかはわからない。


「では――試してやろう。お前の《分析》とやらがどれほどのものか」


 魔王が指を鳴らすと、宙に光の板が浮かび上がった。

 そこには地図、軍勢の配置、魔族と人間の戦況データが映し出される。


「これは最近の戦場の記録だ。南方のオルステ平原での戦闘。

 魔族第七軍が人間軍と衝突した結果、我々は敗北した。原因は諸説ある――お前の目で見てみろ」


 挑戦的な言葉。

 だが、俺の中の《分析》がすでに反応していた。

 情報が脳に流れ込む。

 位置、地形、陣形、風向き、視線、士気。


 すべてが“見える”。


「……この戦闘、敗北の要因は正面突破を狙った突撃です」

「ほう?」

「敵の第二陣は“偽装部隊”だった。表面上は軽装歩兵ですが、後列に魔導砲兵が隠れている。

 第七軍が突撃した瞬間、側面からの砲撃で崩壊。……それが原因です」


 会議室に、ざわめきが走る。

 魔族の将校たちが顔を見合わせ、リリアも息を呑んでいた。


「……そんなこと、なぜわかる?」

「地面の損壊の方向。倒れている兵士の分布。

 衝撃の向きがすべて“側面”からなんです。……戦闘記録から導ける範囲ですよ」


 沈黙。

 やがて、魔王がゆっくりと笑った。


「面白い。……では、この映像の“次”を予測してみろ」


 光の板が切り替わる。

 次なる戦闘――現在進行形で進む戦場のリアルタイム映像。


「東の前線か」

「そうだ。今まさに第九軍が人間軍と交戦中だ。……結果はまだ知らぬ」


 俺は一歩前に出て、映像を凝視する。

 魔力の流れが見える。兵の動きが連鎖する。

 わずかな陣形の歪みが、“未来”を示していた。


「……十五分後、第九軍が後退を開始します。

 理由は――敵の翼竜部隊が上空から奇襲。中央突破を狙う。

 ですが、北東の丘にいる狙撃兵を移動させれば……逆に勝てる」


 魔族たちは目を丸くした。

 リリアも、息を飲んで言葉を失う。

 そして数分後――


 側近が駆け込んできた。

 「報告! 前線より通信! 敵翼竜部隊が奇襲を開始! だが第九軍、北東の狙撃隊を展開し、反撃成功とのこと!」


 玉座の間に、静寂が訪れた。

 それは一瞬の後、歓声に変わる。


「まさか……本当に当てたのか」

「た、ただの偶然だろう?」

「いや、偶然でこうはならん」


 リリアが、静かに俺を見た。

 その紅い瞳に、先ほどまでの冷たさはなかった。

 ただ純粋な“評価”の光。


 魔王ゼルファードはゆっくりと立ち上がり、玉座の階段を降りる。

 その影が俺を覆った。


「人間――カイルと言ったな」

「……はい」

「お前、気に入った」


 その声は低く、だが確かな威厳を帯びていた。


「殺すのはやめだ。この男を――戦略部に預けよう」


 どよめく魔族たち。

 リリアが一歩前に出る。


「……それなら、私が監視役として預かります。責任は取ります」

「ふむ。リリア・ヴァルメリア。お前がそう言うなら構わん」


 魔王はゆっくりと頷いた。


「よかろう。人間、今日からお前は魔王軍所属だ。

 裏切れば殺す。だが、力を示せば、生かしてやる」


 ――魔王軍勤務。

 人間として、ありえない決定。


 だが、俺は口元をわずかに緩めた。

 敗北と追放の果てにたどり着いた場所が、まさか“敵の中枢”とは。


「……了解しました。分析士カイル・アーヴィン、全力を尽くします」


 リリアが横で微笑んだ。

 その瞳の奥に、わずかな期待と――奇妙な親しみがあった。


「いい返事ね、人間。

 あなたがどう動くか、楽しみにしてるわ」


 こうして俺は、魔王軍の一員となった。

 そしてこの日から、魔族たちの戦略を変える“新たな戦い”が始まったのだった。

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