第4話 魔王軍の洗礼

 ――戦場の空気は、人間のものとはまるで違っていた。


 黒い旗が翻り、魔族の軍勢が列を成す。

 空を飛ぶ魔獣の影、地面を這うゴーレム部隊、そして槍を構える魔族兵。

 その中心に、俺――カイル・アーヴィンは立っていた。


 視線が突き刺さる。

 どれもこれも冷たい。

 「人間がなぜここにいる」とでも言いたげな、あからさまな敵意。


「……おい、あれが例の人間か?」

「魔王陛下が気まぐれで飼ってるだけだろ」

「分析士だと? 俺たち魔族の戦いに、人間の理屈が通じるかよ」


 耳に入ってくる陰口の数々。

 気にしないようにしても、胸の奥で何かがざらつく。


 そんな中、ひとりだけ違う空気を放つ存在がいた。

 黒衣の吸血鬼――リリア・ヴァルメリア。


「無視していいわ。あんたが生きてここに立ってる時点で、半分は証明済みよ」

「……ありがたい言葉だ」

「ありがたがる必要はない。どうせ、これから嫌というほど“洗礼”を受けるわ」


 リリアは月のように冷たく笑った。


 ◆ ◆ ◆


 ヴェルデア南部、ラルグ渓谷。

 そこは魔王領と人間領の境界にある、戦略拠点だった。


 数日前から敵軍――人間の遊撃部隊が侵入し、小規模な戦闘が頻発している。

 そして今日、再び異常な魔力反応が報告された。


「偵察隊が壊滅しました! 敵は森の中に潜んでいます!」

「指揮官リリア様、どうなさいますか!」


 報告を受けたリリアは静かに顎に手を当てる。

 その横で、俺は地図を覗き込んでいた。


「……この地形、嫌な形ですね」

「どういう意味?」

「渓谷の中央に道が一本しかない。敵が奇襲を仕掛けるには絶好の地形です。しかも、偵察隊が壊滅……情報を遮断されてます」


 リリアが俺を見る。

 瞳の奥に、わずかな興味の光。


「なら、あなたが考えなさい。――この状況、どう動く?」


 突然の命令。

 周囲の参謀官たちがざわめいた。


「リリア様、正気ですか!? 人間に指揮を!?」

「この戦は遊びではありません!」

「裏切られたらどうする!」


 リリアは一瞥しただけで彼らを黙らせた。

 その視線には、氷のような圧があった。


「私の判断に口を出すな。責任は私が取る」


 そう言って、再び俺を見た。


「さあ、カイル。――見せてみなさい。あなたの“分析”を」


 ◆ ◆ ◆


 俺は深呼吸をして、地図に手を置いた。

 目を閉じると、脳裏に情報が流れ込む。


 地形の傾斜、風向き、残留魔力、足跡の深さ。

 すべてが《分析》の中で組み合わさり、“敵の意図”が浮かび上がる。


「……敵は三十。森の中、中央の断崖を背に布陣しています。おそらく、我々が渓谷に進入した瞬間、左右から挟撃するつもりでしょう」

「なら、どうする?」

「――逆を突きます」


 リリアの眉が動いた。

 参謀官たちも怪訝な顔をする。


「どういうことだ?」

「彼らの奇襲地点を逆に利用するんです。あえて“囮”を渓谷に進ませ、奇襲が始まった瞬間に、側面を叩く。

 敵は地形を信頼しすぎている。攻め手を逆転させれば、逃げ場を失う」


「……大胆だな。成功率は?」

「七割。ただし、指揮系統が速ければの話です」


 リリアは短く息を吐いた。

 そして――口元に小さな笑みを浮かべる。


「いいわ。採用」

「リリア様!? この人間の案など――!」

「黙りなさい。これは命令よ」


 ◆ ◆ ◆


 夕暮れ、作戦は始まった。


 囮部隊が渓谷に進入し、わざと目立つ動きをする。

 その背後では、リリア率いる主力部隊が森の影に潜んでいた。

 風が止み、鳥が一斉に飛び立つ。


 ――敵の奇襲だ。


「上空! 矢の雨!」

「左右から敵襲!」


 矢が飛び交い、爆発が起こる。

 だが、それもすべて想定内。


「今です、リリア様!」

「全軍、左翼から展開! 敵の側面を潰せ!」


 号令が響き、魔族兵が一斉に動く。

 空を切るように黒い翼が舞い、魔力が地を這う。

 そして――敵陣に突き刺さる。


 人間の遊撃部隊は完全に混乱していた。

 挟撃のつもりが、逆に自分たちが挟まれている。


 数分後、渓谷に静寂が戻った。

 残ったのは、瓦礫と、戦いの余韻だけ。


「……全敵、制圧完了」

 副官の報告に、リリアは短く頷く。

 その視線が俺に向いた。


「まさか、本当に当てるとはね」

「運も味方してくれました」

「ふふ。謙虚ね。でも、悪くない。……お前、少しは信用してやる」


 その言葉に、俺は自然と笑みを返した。


「ありがとうございます。ですが、信用は“結果”で積むものです。

 今日一度で終わりにはしません」


 リリアは目を細めた。

 その表情には、確かに“敵を見る目”ではなく、“仲間を見る目”が宿っていた。


「言うじゃない、人間。……その意気、嫌いじゃないわ」


 夕陽が渓谷を照らす。

 戦場に立つ二つの影――人間と吸血鬼。

 その姿を見た魔族たちは、初めてほんのわずかに、口を噤んだ。


 それが、俺が魔王軍の一員として“認められ始めた”瞬間だった。

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