第三章 9
秋の終わり、京美と食事にでかける約束をして、霧亥は夜出かけた。
風が冷たい。緑のストールを半分に折って、首にきつく巻いた。
「ねえ、そろそろ羽鳥君の部屋に遊びに行きたいな」
デザートを食べながら、彼女は言った。
「……え?」
別のことに気を取られていた霧亥は、なにを言われたのかわからなくて、思わず聞き返した。
「いっつも外で会うばっかりでさ。不経済だよ。私、実家だし」
京美とデートする時は、いつも外と相場が決まっていた。彼女を抱くのも、その辺のシティホテルだった。
「うち、散らかってるから」
凛以外の女を家に入れるだなんて、冗談じゃない。俺はそんなに堕ちちゃいない。
「そう? じゃ、片づいたら行くね」
幸い、京美は押しの強い女ではない。これが私が片づけてあげる、などと言われたら、その場で別れを切り出しただろう。
「そろそろ行こうか」
京美がコートを取ろうと手を伸ばした拍子に、紅茶のカップに触れて器が倒れた。そして、中身が椅子の上にこぼれ、そこに置いてあった緑のストールにかかった。
霧亥は慌ててそれを手に取って、かかった紅茶を拭き取った。
「ごめんなさい。汚れちゃったね」
「いいよ。大丈夫」
京美には触らせずに、霧亥はそこにあったナプキンで汚れを取った。
「それ、いつも使ってるよね」
外に出てストールを巻いた霧亥を見て、京美は言った。
「ん? ああ」
「大学の頃からだよね。よっぽど思い入れがあるのね」
「そうだね」
思い入れなんてもんじゃない、大切な女が編んでくれた、この世に二つとない大事なものだ。金では買えない代物だ。
俺、なんでこの子と付き合ってるんだっけ。この子といても、なにも楽しくない。実りがない。凛といた方が数倍楽しい。会話が弾む。もっといたいと思う。愛しいと思う。触れたい、抱きしめたいと思う。それは、悪いことなんだろうか。よくわからない。
冬の初め、京美は言った。
「私たち、別れましょ」
突然のことだった。
「へ……」
あまりにも思いがけないことだったので霧亥が言葉を失っていると、彼女は畳みかけるように言った。
「羽鳥君、私とは別のひとのこと考えてる。私といても、そのひとのこと考えてる。ちょっと前から気づいてた。そうなんじゃないかって。でも今日、確信したの。このままでいてもお互い幸せじゃないから、別れましょ」
さよなら。そう言うと、京美は茫然としている霧亥をそこに置いて、さっさと行ってしまった。
ようやく事態が飲み込めてくると、霧亥はずるずるとそこに崩れるように落ち、そのまま天井を見上げた。
一人ってか。せいせいした。
それにしても、俺の付き合う女ってなんでこう強いのばっかなんだろ。
携帯に着信があった。画面を見ると、凛である。凜とは月に一度の頻度で飲みに行っている。そろそろどう? という、お誘いのメッセージだ。
それに応じる返信をして、店を出た。
その日が来ると、凜はもうやって来ていた。
「よう」
「最近、どう?」
「ふられた」
「ありゃりゃ」
霧亥は飲み物を注文すると、コートを壁にかけた。
「その割に、あんまり落ち込んでないみたい」
「そんなに好きじゃなかったからな」
「そっかあ」
凜は頬杖をついて、残念そうに上を向いた。
「霧亥、もてるのにね。なにがいけないんだろ」
「灯台下暗しだな」
「え?」
「なんでもない」
「それより聞いて。今度、南先輩の携わるプロジェクトに一緒に参加することになったの。 営業事務だから後方支援だけど、一緒に仕事できるよー」
「そりゃよかったな。頑張れよ」
「うん。先輩が活躍できるように、がんばる」
ああ、笑ったな。お前が笑うと、寒くてもひまわりが咲いたみたいに明るくなる。だから、いつも笑っててくれ。そのためなら俺は、なんでもする。
酒を飲んで食事をして、身体が温まって店を出ると、外は雪でも降りそうな寒さである。
「うう、寒い」
霧亥は身体を震わせて、手袋を取り出した。
「相変わらず寒がりだね」
「冬は寒いもんだ」
「それ、使ってくれてるんだね」
緑のストールを二重に巻く霧亥を、凜は嬉しそうに見上げた。
「もう社会人なんだから、もっといいの買えるのに」
「これ、おっきいからあったかいんだよ。膝にもかけられてちょうどいいし」
「照れちゃってー。まだ嬉しいって素直に言えば?」
「へいへい」
雪が、ちらちらと降ってきた。
「あ、雪だ」
「寒いはずだ」
「次に会うのは来年だね」
「風邪ひくなよ」
「霧亥もね」
そう言い合って、その日はそれで別れた。
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