第二章 7
3
冬休みになった。
今年のサークルの冬は、四泊五日でスキーである。去年は一週間だったが、暦の関係で四泊となった。
「もう滑れるもんねー」
「おう、じゃあいきなり上級者コース行っても平気だな」
霧亥がにやにやと笑う。
「ええーそれはちょっと」
「今年はもっと難しいとこ行こうぜ」
「勘弁してよー」
毎年違う場所に行くので、今年も知らない山のコースのはずだ。未知の空間である。
「先輩と滑れないかなー」
「相手は一級だぜ。無理無理」
どの世界でもそうだが、一級というのは格が違う。速さ、技、力。すべてにおいて抜きん出ているのだ。
「霧亥は一級取ろうとか思わないの」
「思わねえな。そんな技量ねえもん」
「でも二級は取れたでしょ」
「その間に大きな大きな壁があんだよ」
彼曰く、二級の検定と一級の検定では滑走やターンに加えてジャンプなどがあり、加点の方法なども違ってくるのだという。
「一級受かった人の採点表見せてもらったけど、きびしーの。もう、別世界」
「採点なんかされるんだ」
「されるされる。みんなで順番に並んで、下で教官が待ってて、合図されるとそこから一人ずつ滑ってくの。それを採点されんだよ」
「ふうん……」
そんなのはできないなあ、と凜はしみじみ思った。
現地に着くと、一年ぶりの雪である。
「身体が覚えてるだろうから、もう教えねえぞ」
「えーそんなあ」
「じゃあ上まで行こうぜ」
と、いきなり頂上まで連れて行かれ、凜はひいひい言いながら滑った。
今年の冬は寒いので斜面も凍っていて、滑っていてがりがりと音がして何度も転びかけた。
「ひえええ霧亥いい」
「転んでも死なねえよ」
夜になっても霧亥は滑り足りないようで、
「おい、疲れてるか」
「ううん、別に」
「じゃナイター行くぞ」
「ふえ?」
「着替えてこい」
と連れ出され、夜のゲレンデに付き合わされた。
凜はまさか日が落ちても滑ることになるとは思わず、前を行く霧亥を必死で追いかけたものである。
「ふえ……やっぱり夜は寒いね」
「でも人がいないから、静かだろ」
それに、彼は言った。
「それに、夜になると木に積もった雪が映えて、きれいなんだよ」
じっと前を見つめるその目につられて虚空を見ると、確かに闇に一面、ぽつりぽつりと白いものが広がっていた。
「ほんとだ……」
「でもやっぱり、ちょっと寒いな」
「そろそろ戻ろっか」
「そうだな」
旅館に帰ると、南先輩と仲代先輩と行き会った。
「あ、先輩」
「お、お二人さん。ナイター?」
「はい。戻ってきました。お風呂ですか」
「今上がったとこ。これから相模さんの部屋でみんなで飲むんだけど、後で来ない?」
「行きたいです」
「じゃあ待ってるよ。部屋、わかるよね」
先輩たちが行ってしまうと、凜はほっと息をついた。
「肌の手入れしてけよ」
「わかってるよ」
南先輩が絡むと、凜の表情はひと際明るくなる。まるで、ひまわりが咲いたように。霧亥の心は、その陰でそっとしぼむ。失意のあまり、うつむいてしまうのだ。
その夜は、相模先輩の部屋で遅くまでゲームをした。凜は南先輩の様子が一時は変だったと言っていたが、この夜はそんなことはなく、明るく、真面目で、人気者の、いつもの南先輩だった。
次の日、凜はなかなか起きられず、調子もいまいちだった。
「完全な寝不足だな」
「んーなんか滑る気分じゃない」
「もったいねえな。せっかくの雪なのに」
「んーじゃあさ」
「あ?」
「かまくら作ろうよ。雪遊びだよ」
「けっ。ガキかよ」
「楽しいよ。なかに入って、みかん食べようよ」
霧亥は渋々だったが、凜は大乗り気で雪山を作り始めた。そこから穴を掘って固めて、なかに人が入れるようにした。
「せめえよ」
「んーやっぱりちょっと無理があったかなー」
「みかんはどうした」
「ジュース持ってきた」
「ショボいな」
文句を言いながらも、霧亥は出されたジュースを飲んだ。汗をかくほどの重労働であったから、渇いた喉に沁みた。
「ねえ霧亥」
「あん?」
「すきな色はなに?」
「みどり」
「ふふ。やっぱりね」
「なんだよ」
「なんでもないよ」
「言えや」
「言いませんー」
「けっ」
「いっぱい動いたから、今日はよく眠れるね。そしたらまた明日はたくさん滑れるよ」
「そうだな」
背を屈めて膝を抱えているので、身体が痛くなってきた。
「おい、出ようぜ。苦しい」
「ふふ。そうだね」
かまくらの外に出て思い切り伸びをして、冷たい空気を吸い込んだ。
「あ、見て。先輩たち帰ってきた」
「もうそんな時間か。なかに入ろうぜ」
そうして五日間を山で過ごして、東京に戻ってきた。
北国から帰ってきたら少しは気温が暖かいかと思ったのに、東京も負けないくらい寒かった。霧亥は寒い寒いと言って外に出たがらず、メッセージをしても寒いを連発していた。
年末が近づいて、凜はずっと取りかかっていたそれがようやく終わって、仕上げにかかった。それもすんできれいに包むと、大急ぎで霧亥に連絡した。
三十一日、出てこられる?
年の瀬である。忙しいかもしれない。だが、返信は意外にも早かった。
いいけど、なんだよ。
近所のファミレスまで来て。
霧亥の家の近くのファミレスに行くと、そこで彼を待った。来るかな。まだかな。わくわくしながら彼の到着を待った。
入り口で音楽が鳴って、誰かが入ってきたのがわかった。霧亥だ。手を上げて、居場所を告げた。
「こっちこっち」
「なんだよ。さみーよ」
「ごめんね忙しい時期に」
「だから、なんだよ」
「これ、あげる」
「あん?」
凜は椅子に隠し置いていた包みを出した。
「お誕生日プレゼント。今日でしょ。一年の最後って言ってたじゃん」
「――」
「なんて顔してんのよ。開けて開けてー。開けたとこ、見たい」
霧亥は茫然とした面持ちのまま、その巾着型の包みを開けた。
中身は――
「じゃーん。凛の手編みのストールでーっす。あれからあの毛糸屋さんにもっかい行って、太い毛糸と編み棒買って編んでみたんだー。糸が太いから、編むのも簡単だったよー」
「……」
霧亥はその親指くらいの太い毛糸にそっと手を置いた。暖かい。濃い緑色の、ウールの毛糸だ。
「これなら太く巻いてマフラーにもできるし、膝掛けにもできて一石二鳥ー。寒がりの霧亥にはちょうどいいと思ってねー。ずっと編み物してて手が慣れてたから、十日くらいで編めたよー」
言葉が出ない。
「ちょっと巻いてみて」
言われて、首に巻いてみた。ストールという凜の言葉通り、それは大判のものであったので、首に巻くと霧亥の顔が容易に隠れた。
「やっぱり大きいね。首に巻くときは、二つに折るといいよ。膝にかけるときはふつうに使えるよ」
「……ありがとよ」
霧亥は言った。
「俺んち、正月はおせち作るから、大晦日は戦争みたいに忙しいんだ。おせち作って、重箱に詰めて、年越し蕎麦作るだろ。それだけでもうみんなくたくたなんだ。だから俺の誕生日はいつも、正月にやるんだよ」
「そうなの? じゃあちょうどよかった。お誕生日おめでとう霧亥」
凜は笑顔で言った。
「いつもありがとね」
涙が出そうになって、慌てて鼻をこすった。
「じゃ、私もう行くね。うちもおせち作るから、手伝うの抜け出してきたんだ」
凛が帰っていくと、途端に場が寂しくなった。ぽつんとそこに残されて、帰りたくなくなった。
テーブルの上の緑のストールを、霧亥はそっと触ってみた。上質のウールが、手に暖かい。寒がりの自分のために凜が編んでくれたのだと思うと、それだけで胸がいっぱいになった。
俺、単純だな。こんなことで喜んだりして。
しかし、なによりも嬉しい好きな女からのプレゼントである。しかも、手作りだ。大切に使おう、そう思ってストールを手に取って、席を立った。
表に出ると、師走の風がいよいよ冷たい。もらったばかりのストールを肩に巻いて、背を屈めて歩き出した。
風が身に沁みる。
しかし、心はなによりも温かかった。
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