第二章 5
「あーあ、お金ないよ。どうしようかなあ」
涼子が悩まし気に両手の肘をついてため息をついたので、凜は思わず食べる手を止めて彼女を見た。
「どしたの。珍しいじゃん」
「うん。もうすぐ彼氏の誕生日なんだけどね。彼がほしがってるプレゼントにあと三万、どうしても足りないのよ」
「三万かあー」
「限定モデルで、もう手に入らないんだよね」
「もういっこバイト増やしてみるとか」
「二つやってて、もうぎちぎち。手いっぱいでこれ以上増やせない」
「親に借りるとか」
「頼んでみたけど、だめだった」
「うーん」
凜は腕を組んで、考えに考えた。が、いい案は出なかった。
「やっぱりだめか」
涼子はスマホをぶらぶらと振って、もう一度ため息をついた。
「しょうがないな。最終手段だ」
「なんかいい手があるの」
「ん。まあ、あんまり気は進まないけどね」
やってみる、と言って、涼子は立ち上がって行ってしまった。それと入れ違いに霧亥がやってきて、その背中を見て、
「どうしたんだ」
「なんか、お金のことで大変みたい」
「実家暮らしだろ」
「彼氏にプレゼントしたいんだって」
「ああ……」
霧亥は納得したように言って、箸を割る。
「そういうのも大変だな」
「私は先輩にしすぎないようにしてる。あげすぎても相手が迷惑だし」
「その心がけは立派だな」
「あ、南先輩だ」
凜の視線を追うと、向こうの方に南先輩がいる。隣には、いつものように仲代先輩が座っていた。
「なんか南先輩、最近様子変なんだよね。おかしいというか」
「なんだよそれ」
「前みたいな余裕がないっていうか。仲代先輩ともいつもより一緒にいなくなったし」
「そうか? 俺には変わらなく見えるけど」
「ううん、違うよ。どこがどうとは言えないけど、なんか、違う。前の先輩とは、どこか別人みたいになってる」
「ふうん……まあ、お前がそう言うのならそうなんだろうな」
そんな会話を交わして、金曜日になった時のことである。
三時限目が終わり、食堂で霧亥と話していると、硝子が慌てふためいて入ってくるのが見えた。
「凛、涼子知らない?」
「涼子? 見てないよ。どうしたのなんかあったの」
「やばいよあの子とんでもないことしようとしてんだよ」
凜は霧亥と顔を見合わせた。硝子は言った。
「彼氏に限定モデルの靴買ってやるのにあと三万足りないからパパ活するって言って、サイトで知り合ったオヤジとこれからホテル行くってメッセージがあったんだよ」
「えっ」
「そんなの大学にばれたら退学になっちゃうよ」
「ホテルってどのホテル?」
「わかんないけど、ここの近くだって言ってた」
「だったら新宿だろう。会社帰りのおっさんが使うのに好都合だ」
霧亥が立ち上がって鞄を持った。
「霧亥、どこ行くの」
「止めるんだろ。ほら、行くぜ」
「あっ待って」
凜は立ち上がり、慌ててコートを羽織った。
一方で、南は突然渡辺から連絡が来て仰天していた。
メッセージにはこうあった。
いつもの場所に、三時
それだけだった。それは、バイトの時間と重なる。行けない、とは言えなかった。会える。会えるのなら、会いたい。会って、抱かれたい。
熱い想いが迸るように滾って、気がついたらバイト先に電話して熱があるので休みますと言っていた。
急いで身体を洗って、いつもの場所へ行った。彼はまだ来ていなかった。
廊下を歩く足音が聞こえてきて、はっと顔を上げた。カチャ、と鍵を開ける音がして、扉が開いた。
南は立ち上がって、入ってきた男に飛びついた。
燃えるような情事の後、南は言った。
「急に、どうしたの。嬉しかったけど」
渡辺は黙って煙草を吸っている。
「明日もいつもみたいに会える? 俺は平気だよ」
表を見ると、もう暗い。今日は、二回もしてくれた。いつもは一回だ。どうしたんだろう。なにかいいことでもあったのかな。
煙草を吸い終えると渡辺は立ち上がり、服を着て部屋を出て行ってしまった。
いつもとは違う、それでいていつも通りの彼の仕打ちに、南は戸惑いを隠せなかった。
仕方ない。帰ろう。
南が外へ出て通りに出た頃、凜は涼子を探してあちこちを歩き回っていた。
周囲はカップルばかりで、それらしき影はない。
涼子、どこにいるの。パパ活なんて絶対にだめ。
息が切れる。着ているコートが暑くて、汗が出てきた。涼子は臙脂色の膝丈のコートを着ているはずだ。
臙脂色、臙脂色……
凜は必死になって、臙脂色を着ている女性を探した。茶色、白、黒、黄色。臙脂色はどこにもいない。
涼子、どこ。どこ行っちゃったの。
ふとビルの陰に、中年男性に肩を抱かれて建物に入ろうとする臙脂色のコートが見えた。
――あれだ。
「涼子」
凜は叫んだ。びくり、臙脂色の肩が持ち上がって、ゆっくりとこちらを振り返った。
凜は涼子の側まで駆け寄って、腕を掴んだ。
「凛?」
「涼子、帰ろ」
「ちょっと、なによなにすんのよ」
「あれれー? お友達ー? 二人いっぺんに相手はおじさんはちょっと無理だなあ」
「パパ活なんてだめ。絶対にだめ。そんなことしたら、絶対に後悔するよ」
「ほっといてよ。お金が要るのよ」
「もっと自分を大切にしてよ。自分を大切にしなかったら、相手にも大切にしてもらえないよ。彼氏がこのこと知ってプレゼントもらって、ほんとに喜ぶと思う? 自分が自分のこと大切にしなかったら、誰が涼子のこと大切にしてくれるのよ」
「――」
「ちょっとちょっとお、ここまで来ておいて、今さらやめるつもりー? それはないでしょー。おじさんは、こっちの君でもいいんだよお」
涼子と肩を組んでいた男性が、凜の手を掴んだ。
「やめて」
「ちょっと放しなさいよ」
「どっちでもいいからね、行こうねー」
物凄い力で引っ張られて、引きずられた。
「やめて」
誰か、助けて。誰か。
「おっさん、やめとけ」
その時霧亥がそこへ割り込んできて、男性の手を掴み上げた。
「な、なんだお前は」
「買春容疑で通報すんぞエロじじい」
「霧亥」
霧亥は凜と涼子をちらりと見ると、男性を突き飛ばして言った。
「次見たら金玉ねじり上げるからな」
行くぞ、霧亥は凜と涼子に言って歩き出した。
それを、南は偶然物陰で見ていた。凜の言葉も、はっきりと聞いていた。
「……」
明日、いつもの部屋で六時
渡辺からのメッセージがスマホにあった。
それを見て、あることを南は決意していた。
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