第二章 4



 毎週土曜日に、あの男は南を呼び出した。

 渡辺、と男は名乗った。

「ねえ、なにをしてるひとなの」

 ベッドの上で煙草を吸う渡辺に、南は尋ねた。まだ余韻が残る身体は火照っていて、身体が疼く。一度では、足りない。

 その腕に指を這わせて、南は言った。

「教えてよ」

 渡辺は煙を吐き出した。

「自衛官」

「自衛隊のひとなの。どおりで」

 渡辺の肉体は、鋼のように鍛えられている。南とて鍛錬している方だが、まるで身体つきが違う。

「ねえ……」

 南は甘えるように渡辺の肩にもたれかかった。

 しかし、彼は吸っていた煙草を灰皿に押しつけると、立ち上がって服を着た。

「もう行っちゃうの」

「また連絡する」

 さっさと支度を終えると、足早に部屋を出ていった。

 いつもこうだ。

 一抹の寂しさを覚えながら、南は起き上がる。仕方がない。元はといえば、一夜限りの相手だ。それがたまたま、連続して会えるようになっただけ、ましだ。

 服を着て部屋を出る。もう秋だから、日が落ちるのが早い。

 渡辺と会うようになって、南は土曜日のバイトの時間をずらすようになった。家族には、そのままバイトだといって帰宅している。

 家に帰ると、母親が食事を作って待っていた。

「あら、お帰りなさい。ごはんあるわよ」

「うん。着替えてくる」

 煙草のにおいが移っているのを家族に感づかれるのはまずい。だから、帰ってきてから最初にすることは着替えだ。土曜日なので、家族が揃っている。

 兄は既に家を出て、一人暮らしだ。平凡などこにでもある、ふつうの家庭。

 父も母も、彼が人一倍よくもてることをよく知っている。成績優秀でスポーツに秀で、それでいて謙虚で友人に恵まれていることも。

 誰も彼の秘密を知らない。知る由もない。人知れず抱えている悩みすらも。

 箸を止めて、両親の顔を見た。

 今ここで、俺が俺の秘密を暴露したら、このひとたちはどんな顔をするだろうな。

 驚き? 発狂? 恐怖? それとも拒否? どうだろう。どれも違うようで、どれもそうであるような気がする。ごく平凡な、ふつうのひとたちだ。息子がひとと違うことを、受け入れられるかな。

「どうしたの夏輝」

「ん、なんでもないよ」

「大学の方はどうなんだ」

「楽しいよ。専門課程に入ってきたから、経済学の勉強がよくできるし。時間も空くから、バイトやサークルも充実してるしね」

 だからその分、渡辺に会う時間も割けるというわけだ。

「そうか。しっかりやれよ」

 南は食べ終わって食器を片づけ、二階に上がった。

 ベッドに横になって、先ほどまでの情事を思い出す。そうすると、身体が熱くなって火照り、どうしようもなく渡辺に会いたくなる。

 スマホを取り出して、彼にメッセージした。

 『次はいつ会える?』

 返事はなかった。

 三年生になると専門課程の授業が増え、必修科目がほとんどなくなるため、履修の授業数は減る。しかしその分内容が濃密になるため、一度授業を逃すとついていくのが大変だ。

 水曜日、南は一日授業がないためバイトの日に充てている。木曜日は、二時限から四時限まで大学だ。

 金曜日の朝、南の心はざわつく。明日は週末だ。彼から連絡はあるだろうか。明日は会えるだろうか。

 抱いて、くれるだろうか。

 そわそわそわそわ、そればかりを考える。

「よう、なんか落ち着かないな。なに考えてんの」

 仲代が隣にやってきて、そんなことを尋ねてくる。

「なんでもないよ」

 かつては彼に恋焦がれていた時期もあったというのに、今ではそんな気持ちもとうに薄れてしまっていた。渡辺の、あのじりつくような愛撫、舌の動き、律動する身体の熱に比べれば、彼への恋心などまるで子供のそれのように幼いものだった。

 金曜日の授業が終わると、スマホに着信があるのに気づいて、心臓が高鳴った。震える指で確認すると、

 明日六時。いつもの場所で

 とだけあった。

 会える……

 ため息をついて、スマホを胸に押し抱く。

 土曜日、バイトに行く前に念入りに入浴して、身体を洗っておいた。抱かれる前の心がけというやつだ。そしてバイトに行って少し早めに上がって、部屋へ行く。

 南が早く着いていることもあれば、彼が先に来ていることもある。

 もどかしいように唇を合わせ、服を引きはがし、身体を重ねる。

 渡辺が早く帰るのは門限があるからだと気づいたのは、最近のことだ。

「もうちょっと早目に会おうよ」

 もっと彼を知りたい、そう思った。

「一緒に昼ご飯とか食べて、ゆっくりしてからにしない?」

 こういう時、渡辺はほとんど口を利かない。というより、南と彼は会話というものをしたことがない。

 渡辺はこたえずに、立ち上がって服を着ると部屋を出ていった。南はそっとため息をついた。だめか。

 どうしたら、振り向いてくれるんだろう。女のことならわかるのに、相手が男となるとなにもわからない。初めての経験だ。

 週明け、一年生に呼び出された。またかと、うんざりする。

「あの……私と付き合ってもらえませんか」

 それで、いつものお決まりの台詞を言った。

「ごめん。今は決まったひとは作らないことにしてるんだ」

 そこまで言って、はっとした。

 今まで自分は、数えきれないほどの女たちを袖にしてきた。

 今自分が渡辺にされていることは、そのまま自分が女たちにしていることではないか。

 これは、因果だ。

「先輩?」

「あ、いや。そういうことだから、ごめん」

 なんてことだ。なんてことだ。なんてことだ。

 逃げるように、足早にそこから去っていった。

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