第5話 雪が流れる

 もしもそうだったとしても。

 何かに、誰かにそう言われている。

 そう言われて泣いている。


 散文的な意志が私の中を蠢いている。

 誰も彼もがこうじゃないと知った時はいつだっただろう。


 あまり考えていたくはない。

 考えるということは、誰にでも許されていることなのかもしれないけれど、同時に意図的に拭えるほどに思考の網は小さくない。私はそれを放棄したい。考えたって良いことなんかない。


 この酷い雪の中にいれば、考えていたって意味はない。それもこの雪を好んでいる理由なのかもしれない。

 身体の芯から冷えてしまいそうな空気の中を進む。


 なんだかこうしてあの岩陰を目指すのも久しぶりな気がする。

 実際には5日前にも行ったのだけれど。

 はぁ。


 声にはならないため息が漏れる。

 足取りは重い。


 疲れた。

 既に疲れた。


 最近は色々あったような気がする。

 実際には特に何もなかったのだけれど。

 少なくとも私には。

 多分世界の方は目まぐるしく変化していて、私はそれに全くついて行けそうにない。次世代回復魔法


 寒すぎる。

 ここら辺の冬は長く厳しい。

 これだけ魔力文明が発展していなかったら、魔法が使えない人は住んでいられないぐらいには。


 今だってここら辺の人口は少ない。

 多分、魔力が使えない人はここを歩くことも難しいんじゃないだろうか。そんな人は少ないだろうけれど。


「ならここにいるのも」


 幸運なのかもしれない。

 私に授けられた幸運が、ここを歩くことを許してくれている。

 私の意思はここにはいないけれど。


 最近は本当に自分の意志が随分と遠い場所にある気がする。

 いや、意志というものがどこにもないと言った方がいいのか。

 少なくとも、ここにはない。それだけがわかっている。


 白い景色の中を進む。

 真っ白。私の意思のように。空虚な世界のようで。

 こういうのを心象風景というのだっけ。


 ……けれど、こんなに綺麗じゃない気がする。

 私の心象風景だというのなら。

 心がこんなに純白で綺麗だというのなら、もう少し私だって何かを為せていたかもしれない。


 私の心は空っぽなわけじゃない。

 ただ何かを思うほどの余白もないぐらい、欠けてしまっている。

 心が欠けている。

 だから、全部上手くいかない。

 何が上手いのかもわからない。


 だから、ただこうして前に進んでいる。

 前に進む?

 これは前に進んでいるのかな。

 逆走しているような。

 人生に逆走しているような。

 いやずっと同じところをぐるぐると回っているような。


 誰もがここにはいない。

 ここは皆が通り過ぎた場所のような気がする。

 みんなここから出ていった。

 私はずっと同じ場所に囚われている。


 私はここが好きなわけじゃない。

 ただここから動くための意志力がなかっただけで。


 みんなは私を置いていったわけじゃない。

 ただ私がついていけなかっただけで。

 ついていこうともしていなかっただけで。

 

 だから誰もいなくなった。

 この場所には私しかいない。

 もしかしたら私もいないのかもしれない。

 もうどこに私がいるのかわからないのだから。


 ……私。と呼んでいるけれど。

 この主体は本当にあるのかな。

 どうにもそれが希薄な気がする。

 

 でも、それはある。

 だって、こんなにも後悔の記憶が瞼の裏にあるのだから。

 これらを見たくないと思っているのは間違いなく私で。

 そうやって閉じ籠り、蹲っているのが私で。

 そして隠れているから、自分がどこにいるの変わらなくなっている気がする。


 そう言う意味では、心にも置いて行かれているのかもしれない。

 何もかもが傍から消えてしまっている。


 やっぱりこの白い世界にいると再確認する。

 私は孤立していると。

 自分という存在からすら孤立していると。

 

 私の意思はあまりにも散文的なのに。

 でも、その意思すら集団にはなっておらず、孤立している。

 どれもが、上手く思考できていない。独りだから。


 白い息をはく。

 けれど、その息はすぐに消える。

 これが私なのかもしれない。

 こうやってただすぐに消えていくようなものが。

 ……一体、何を考えているのか。

 全然わからない。


 あまりにも適当なことばかり考えている気がする。

 でも、私のいる場所にいてくれるのは。

 ずっと私のそばにいてくれるのはあの子だけ。

 イココの花だけ。

 あの子の成長を見守ることができるのなら、それだけで私は。


「ぇ」


 息が漏れる。

 瞬きをする。

 でも、視界の中の光景は変わらない。


 白い花は。

 私が生きがいだったらしい花は。

 もうそこにはなかった。

 ただ残骸だけがそこにあった。

 いつも出迎えてくれていた白い花は散らばり、雪に紛れていた。もう私にはどうしようもない状態でそこにあった。


「な」


 なんで。

 そんなのわかっている。

 ここは別に私だけが知っている場所というわけじゃない。


 この岩陰には魔物だって来るだろうし、もしかしたら他の人だって。

 この強烈な雪風だって、あの子には脅威だったはずで。


 あの子がこうなってしまう日を考えていなかったわけじゃない。

 私の唯一の趣味が、私にはどうにもならない力によって終わってしまう日を想像しなかったわけじゃない。


 でも、それが今日になるなんて。

 そんなことを考えもしなかった。


 ……でも、正直。

 あまり悲しんではいない。


 5年間も育ててきたのに。

 イココの花が消えてしまったことに、私はそこまで感情を揺さぶられてはいない。


 確かに悲しいけれど。

 でも、泣いてしまうほどじゃない。

 嗚咽を漏らすほどでもない。


 なんというか。

 こんなのもの?

 生きがいを失ったら、こんな感じ?

 あまり何も思っていない。

 

 ……別に生きがいなんかじゃなかったってことなのかもしれない。

 全然、変わらない。

 もう少しばかり私の心は反応するかと思ったけれど。

 私の心は未だに遥か遠くでただぼんやりとしている。

 やっぱり私の心には余白がない。


 ひとまず、腰を下ろしてみる。いつもと同じように。

 あの子がいなくなっても、この岩陰の様子はほとんど変わらない。

 ぼんやりと外を眺める。

 白い雪が視界を埋め尽くしている。

 流れている。一見、ずっと白いだけの景色だけれど、実際には雪が流れている。

 変化していないわけではなく、変化の末に不変の景色なっている。ならば、変化できない私は劣化という変化がおきるわけで。


 これもその一つなのかもしれない。

 今日じゃなくてもいつかはあの花も枯れていた。

 そうなればどちらにせよ私の唯一の生きる理由は消えていた。

 それを私はわかっていたから、こんな気持ちになっているのかもしれない。


 また一つ、私は自分の心の劣化を自覚しないといけないのかな。

 どこにあるかもわからないのに、酷くなっていることだけはわかるなんて、あまりにもあんまり過ぎて笑ってしまいそうになる。


 これで終わりというのなら、それで良いけれど。

 良いのかな。まぁこの雪のようにぼんやりと流れていくだけだし。

 

 近くでどさりと音がする。

 足音? それにしては何かが倒れるような音だった。

 それに風が強くて、人の足音ぐらいの音なら聞こえないはず。


 立ち上がり、周囲を見渡す。

 何かが来たのなら、あまり油断してはいられない。

 この辺りは魔物の支配領域から遠いとは言えない。

 こんなところの魔物でそこまで危険なものがいた記憶はないけれど、一応警戒しすぎるに越したことはない。


 生きがいを失ったのに。

 命を失うのが怖くて警戒?

 笑いをこらえる。

 こんなことで、笑ってしまいそうになるなんて。

 思ったよりも疲れているのかもしれない。


「ぁ」


 目を凝らしていれば、視界の端に影が見える。

 あれは……人?

 それは次第に像を結ぶ。

 同い年ぐらいの少女。薄っすらと明るい色の金髪が見える。


 どうしてこんなところに。そう考えている間に彼女もこちらに気づいたのか、何か口を開く。けれど、なんと言ってるかはわからない。


「えっと……」


 聞こえてないのを察したのか、彼女は少しばかり足を早め、この岩陰に入ってくる。


「すごい雪だね。この辺りは初めてだから驚いちゃった」


 彼女は肩にかかった雪をぱらぱらと払う。

  一応頭を軽く下げる。

 初対面っぽい。あまり顔を覚えるのは得意じゃないから、知らない人だと思っても、たまに知り合いだったりして困るけれど、今回は間違いなく初対面らしい。


「そのー、少し一緒に雨宿り、じゃないや、雪宿りしてもいいかな」

「……いいけれど」


 許可を出すことでもない。ここは別に私の場所というわけではないのだから。

 私は2歩ほど離れて座りこむ。

 警戒しなくても良さそうではあるけれど、あまり誰かと話したいとも思わない。

 なのに、彼女は私の近くに腰を下ろす。


「少し喋ろうよ。雪が止むまで」


 そして、そんなことを彼女は言った。

 にこりと笑顔を浮かべて。

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