解説:『蹄のあと』──遠野の影を踏む現代譚
この物語は、東京の馬事公苑を歩いている時に生まれました。
朝の砂の匂い、打ち水の音、遠くで蹄が砂を打つ乾いた響き。
それらが妙に人間的に思えて、ふと「この音を、誰が覚えているのだろう」と考えたのです。
遠野物語の中には「馬と女」という短い話があります。
一頭の馬が女に恋をし、やがて彼女を殺してしまうという、
たった数行の伝承です。
けれどその中には、人と動物の境界が崩れていく不思議な感覚が宿っていて、
ずっと頭の片隅に残っていました。
『蹄のあと』では、その古い話をそのまま語るつもりはありませんでした。
むしろ、現代の東京という「整いすぎた風景」の中に、
遠野の影のようなものがまだ息づいているのではないか——
そんな想像から始まっています。
馬事公苑は、自然ではなく「管理された自然」です。
水を撒き、砂を均し、時間ごとに静寂を作る。
けれど、均されるたびに何かが閉じ、また何かが開く。
その繰り返しの中に、異界との“境界”が潜んでいる気がします。
物語に出てくる黒鹿毛の馬「二番」は、
人を覚え、声を覚え、やがてその記憶と一つになっていく存在です。
それは怖い話であると同時に、
どこか救いのようなものでもあります。
誰かの声や匂い、足音を、確かに覚えていてくれる存在——
それがたとえ人ではなくても、
どこかで私たちは、そんな記憶に救われているのかもしれません。
遠野物語が語った「異界」は、
山や森の奥ではなく、
私たちの日常の“すぐ隣”にあるものとして生き続けています。
スマホの光、ビルの影、馬事公苑の砂の上。
そのどこにも、蹄のあとが、うっすらと残っている。
この物語が、そんな「現代の遠野」を少しでも感じさせるものになっていれば嬉しいです。
読んでくださって、本当にありがとうございました。
蹄のあと 彼辞(ひじ) @PQTY
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