第12話 前編「奥様、押し倒す。」

【メイ視点】


 リングの上。

 そこに立つ彼──いえ、パウロ様の肉体に巣食う悪魔ペルフェコールを見つめながら、わたくしは拳を握り締めていました。


 


 ――最強の悪魔祓いの技。

 それは、かつてジュリア様から耳打ちされた、最も屈辱的な“浄化”。


 


(わたくしがパウロ様を押し倒して陵辱すれば、悪魔は祓える……)


 


 思い出した瞬間、顔が熱くなりました。

 ジュリア様に聞いた時も動揺しましたけれど、今はもっと恥ずかしい。


 


 だって、今ここにいるのは――夫なのですから。

 あの優しくて、気弱で、ちょっと情けなくて、でもわたくしを一番に想ってくれる……わたくしの、最愛の旦那様。


 


 だけど、立ち止まるわけにはいきません。

 この拳は、愛のためのもの。

 わたくしの“初めての痴話喧嘩”に勝って、仲直りするための試合ですのよ!


 


 


「我が名はペルフェコール! 大地を焼き、聖人を堕とす最凶の大悪魔!

 器が華奢な男とはいえ、人間の女に負けるなど──有り得ぬ!!」


 


 ペルフェコールの咆哮と共に、第一撃が飛んできました。


 


「──ッ!」


 


 グローブが頬をかすめ、わたくしの髪がふわりと宙を舞います。

 でも、怯まない。避けながら、わたくしは構えを取りました。


 


「……随分と、口が達者ですわね。悪魔の割に余裕がなさそうですこと」


 


「小癪な……!」


 


 お返しに、わたくしの拳が腹部に入りました。

 ぺたりと汗が散り、ペルフェコールが一瞬眉をしかめます。


 


 その反応を見て、確信しました。

 ――効いている。

 わたくしの作戦は、間違っていませんわ。


 


「そういえば、召喚されたときお気づきになりませんでした?

 この魔法陣──どこか、雑じゃありません?」


 


 ペルフェコールが一瞬、動きを止める。


 


「……なに?」


 


「召喚の術式、敢えて粗雑に組んでいるんですの。

 生贄も捧げていませんし、魔法陣の構造も古文書通りにはしていませんのよ?」


 


 その瞬間、ペルフェコールの顔が強張りました。


 


「まさか……この儀式で、我を弱体化させたというのか……!?」


 


「ええ、まさにそれですわ。

 文献を読み漁った甲斐がありました。大雑把な召喚では、悪魔は力を振るえない。

 ですから、あえて“適当に”儀式を行ったんですのよ!」


 


 言い終えるや否や、わたくしの拳がまた彼の腹に沈み込みます。


 


「が……ッ!」


 


 たしかに、ペルフェコールはパウロ様の身体を使っています。

 ですが、今の彼は悪魔。容赦なんて必要ありません。


 


 ジュリア様が教えてくれた通りに。

 “屈辱を与えるほど、悪魔の力は弱まる”――そう、ジュリア様は言っていた。


 


「ねぇ、貴方。ずっと奥様を探していたんですってね。

 やっと再会できたっていうのに、もう離れ離れになってしまって……

 実は、すごく……心細いんじゃありませんの?」


 


「なッ……!」


 


 図星。目が泳ぐ。

 さらに追い打ちです。


 


「わたくしとパウロ様が、どれだけ一緒のベッドで眠れなかったか、分かってますの?

 貴方のせいで、ずっと、別の部屋にいたんですのよ。

 それに比べて、貴方は……奥様と離れてまだ10分も経ってませんわよね?

 ……悪魔のくせに、人間より堪え性がないんですの?」


 


 さすがの大悪魔も、唇を震わせて言葉を詰まらせます。


 


(ああ、だんだん……慣れてきましたわ)


 


 殴ることに。

 戦うことに。

 そして、“愛する人を取り戻すこと”に。


 


 胸が苦しい。

 でも、それ以上に胸が熱い。


 


 わたくしの頬は紅潮し、息は荒くなる。


 


「いきますわよ……!パウロ様を、返していただきます!!」


 


 連撃。連撃。連撃。

 そして渾身のボディブローが、ペルフェコールの胃の奥に深々と突き刺さった。


 


「ぐはぁあああっ……!」


 


 仰向けに倒れたパウロ様の身体──いえ、ペルフェコール。


 


 その上に、わたくしはゆっくりと、跨がった。


 


 目の前には、愛しい夫の顔。

 けれどその中には、邪悪なる大悪魔が潜んでいる。


 


「トドメを、刺させていただきますわ──」


 


 顔を真っ赤にしながら、わたくしはそう宣言しました。


 


(つづく)

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