第9話「堕落と再起と結婚指輪」
神の名のもとに悪魔を祓う“シスターズ・ジム”本部──
そこに、災厄は姿を現した。
「久しぶりやなあ、ジムの諸君♪」
リング中央に仁王立ちするリリリリスが、唇を歪めて笑う。隣には、全身から禍々しい魔力を放つペルフェコール。
「妻をここまでコケにしてくれた礼をしたいところだが……人間らしく、ちょっとした“余興”を楽しもうじゃないか」
ペルフェコールは指を鳴らすと、ジムの四方を魔力の結界で封じ込めた。
「勝負をしよう。そちらから代表を一人選び、我が妻・リリリリスと戦ってもらう。お前たちが勝てば、我々は器を解放し地獄に帰ろう。だが──リリリリスが勝てば、ここにいるお前たち全員、まとめて堕落していただく」
あまりにも理不尽で傲慢な“悪魔の契約”。
だが──誰一人、シスターたちは怯まなかった。
「……私が行きます」
名乗り出たのは、ジムのサブリーダー・ノエル。屈強な体と冷静な判断力を併せ持つ、ジュリアに次ぐ実力者だった。
「よろしい。ほな始めましょか──ノエルちゃん」
リリリリスがイヴの肉体を駆り、本気の構えを取った瞬間、空気が変わった。
彼女の周囲の床が割れ、空間が歪む。それはまさしく、地獄の王妃の帰還。
戦いが始まった。
数分──
それは、戦いではなかった。
一方的な“処刑”だった。
ノエルの拳は全く届かず、その都度リリリリスの拳が鳩尾を穿ち、顎を跳ねる。
「せやせや、そう言えばあんた、悪魔祓いのときにこう言うたんやろ?」
リリリリスは鼻で笑いながら、イヴの記憶をなぞるように罵倒の言葉を並べ立てた。
「“下劣な悪魔にはこの拳がお似合いだ”──はあん? そのセリフ、今どんな気持ちで聞いとんのやろなぁ!」
泣き崩れるノエル。
だが、リリリリスは許さない。
「ほれ、立ちな。」
髪を掴み、ノエルの体を引きずり起こす。
「まだ終わってへんよな?」
リングサイドのペルフェコールが、静かに頷いた。
そのとき、リリリリスの口調が変わる。
「ノエルぅ……助けて……お願い……!」
イヴの口調だった。
ボロボロになったノエルが、反応する。
ヨロヨロと、立ち上がったその瞬間──
「ウッソー♪」
リリリリスの拳が顔面を穿ち、鼻が派手な音を立てて潰れた。
ノエルは崩れ落ちる。
静まり返るジム内──そこに、ペルフェコールの魔力が満ちる。
「契約、成立だ」
青白い魔力が宙を満たし、シスターたちの身体を呑み込んでいく。
信仰の灯が弱まり、皮肉な微笑と喘ぎが混じる──堕落が始まっていた。
【ジュリア視点】
「……ひどい顔ですね、メイ様」
まるで人形のように、感情を閉ざして椅子に座り込むメイ。
ジュリアはその手をそっと握った。
「私たちの敵は悪魔です。イヴではありません。……だから私は、彼女を必ず助けます」
返事はなかった。けれど、ジュリアは続ける。
「そして、私自身も堕ちません。どんなに打ちのめされても、最後の一線を絶対に越えない。──それが、シスターとしての誇りです」
ジュリアは、ふところから小さな箱を取り出した。中には、メイの結婚指輪が入っていた。
「これ……“ボクシングの邪魔になるから”と外した指輪、覚えてますか? あの時、メイ様は笑って『今は戦う時間ですもの』と仰いましたね」
メイの瞳が、かすかに揺れる。
「でも──戦いの最中に、忘れてはいけないんです。あなたは“誰のために”拳を振るっているのかを」
その言葉に、メイの手が震えた。
ジュリアの手から指輪を受け取った瞬間、涙が溢れる。
「……そうですわ。パウロ様と過ごした日々……あれは、すべて偽りなんかじゃない……」
メイは口元を震わせながら、静かに指輪をはめた。
そして──目を伏せながら、言った。
「わたくし……絶対にパウロ様を取り戻します」
立ち上がるメイ。その足取りには、かつての気品と強さが戻っていた。
「──わたくし、パウロとの“初めての痴話喧嘩”に勝って──そのあと仲良しに戻りますわ!」
ジュリアは微笑んだ。
その背中を、そっと押しながら。
(つづく)
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