第7話 前編「嫉妬の鐘が鳴る午後」

【パウロ視点】



──俺は、また悪夢を見た。


 


 妻のメイが、遠くの向こうで泣いていた。

手を伸ばしても届かない。

声を上げても聞こえない。

俺はただ、彼女が小さくなって消えていくのを見ていることしかできなかった。


 


 夢から覚めたとき、頭に鈍い痛みが残っていた。


 


「……またか……」


 


 夢の内容は、現実の出来事じゃない。なのに、どこか“思い出”みたいな妙な実感があった。

その上、ここ数日感じている違和感──メイとの間の距離、そしてペルフェコールの力が、なぜかまた強くなっている感覚。


 


「メイが……遠い」


 


 このところ、彼女はやけにストイックになっている。

朝も昼も夜も、ひたすらトレーニングばかり。俺の顔を見ても、一言二言の挨拶しか返してくれない。


 


 もちろん理由はわかってる。

俺の中にいるペルフェコールを祓うため、彼女は本気で向き合ってくれている。

その真剣さは痛いほど伝わる。


 


 だけど──寂しいと思ってしまうのは、俺のワガママなんだろうか。


 


 そんな気持ちを抱えたまま、庭の縁側でぼんやりとしていたら、不意に誰かが声をかけてきた。


 


「──よっ、顔色悪いじゃん、旦那さん」


 


 イヴだった。

トレーニング用の軽装に身を包み、いつもの軽い笑みを浮かべている。

だが、頬に青あざが残っているのを俺は見逃さなかった。


 


「……それ、ジュリアに?」


 


「あー、見えちゃう? ま、折檻ってやつ?」


 


 軽く笑う彼女の態度に、俺はため息をついた。


 


「……あの時のことだけど、気にしてない。むしろ助けられた。でも──」


 


 俺は、しっかり彼女の目を見て言った。


 


「俺は、既婚者だ。だから、ああいうのは……やめてくれ。頼む」


 


 一瞬だけ、イヴの表情が止まる。

だが次の瞬間には、ニヤリとした笑みに戻っていた。


 


「……あたしも、自分で自分がよく分かんねーんだよね」


 


「え?」


 


「シスターとしての誓い? 清貧? 純潔? そういうの、守んなきゃいけないってのは分かってんのにさ……

アンタのこと見てると、なんか……胸の奥がチリチリするんだよね」


 


 まるで誰かに仕込まれたようなセリフ。

俺の中の“何か”が、イヴに引き寄せられている。そんな奇妙な感覚が、胸の奥で蠢いた。


 


(……これも、悪魔の……?)


 


「パウロ様!」


 


 その時、振り向けば、そこにいたのは──メイだった。

タイトなトレーニングウェアに身を包んだ彼女は、まるで冷気を纏うかのような視線で、イヴを睨みつけていた。


 


「……貴女、また夫に手を出すつもりですの?」


 


「うわ、怖っ」


 


「わたくしがパウロ様を救います。貴女は引っ込んでいなさい!」


 


 ビシッと指を突きつけて断言するメイに、俺は一瞬、言葉を失った。

その目には、はっきりと敵意が宿っていた。──俺に向けられたものじゃない。

でも、彼女の中に“壁”ができてしまったのを感じた。


 


(……メイ……お前まで、遠くに行くのか)


 


 胸が、締めつけられる。


 


 そんな俺の心情を嘲笑うように、イヴは笑った。


 


「へえ……“旦那が自分以外の女に助けられて、心まで持っていかれるのが怖い”ってやつ?」


 


「……っ!」


 


 メイの顔に、朱が差す。

その頬の火照りは、怒りか羞恥か──あるいは、両方。


 


「……いいでしょう! どちらがパウロ様を救うに相応しいか、リングで決着をつけましょう!」


 


「上等!」


  


【メイ視点】


 


「仮にもイヴは共に悪魔に立ち向かう仲間です。潰し合いをしてどうするんですか!」


 


 ジュリアさんは、珍しく声を荒げていた。

でも、今のわたくしには──もう引き返すことができません。


 


「あの女の顔を見るたび、胸の奥がぐちゃぐちゃになるんです。

……このままでは、気が狂ってしまいますわ」


 


「メイ様……」


 


「だからこそ、決着をつけるのです。この嫉妬に、終止符を」


 


 


 リング上で、わたくしはイヴと向かい合った。


 


「ルールはどうする? 普通にダウン制?」


 


「構いませんわ。勝負に勝った者が正しいとしましょう」


 


「なら、ついでに提案。

“負けた方は、勝った方の命令をなんでも一つ聞く”ってのはどう?」


 


「……受けて立ちます!」


 


 パウロ様とジュリアさんが心配そうにこちらを見つめる中、

わたくしは拳を構え──そして、ゴングが鳴った。


 


(つづく)

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