第11話「涙の凱歌」

【マヤ視点】


──血の匂いは、落ちていなかった。


床にはうっすらと赤黒い染みが残っている。何度拭いても、どれだけ塩素の匂いを撒いても、消えない。


(ミク……)


マヤはグローブを強く握りしめながら、対角のコーナーに立つ相手を見据えた。


「ふふっ、やっとあなたと試合ができますのね。あのときは完敗でしたけれど、今のわたくしはあの頃とは違いますのよ!」


白いリングコスチュームに身を包み、上品なお嬢様口調のまま、ミクはキリリとした表情で構える。


「……私も、あの時のままじゃない。できれば、もっとフェアな場所で決着をつけたかったけど……」


「でも、ここが今の現実。ならば、全力でいらっしゃいな!」


──ゴング。


ミクの動きは滑らかだった。バックステップ、スウェイ、鋭く放たれるジャブ。


けれど、それを受け止めるマヤの拳は、やはり一枚上だった。


応酬の末、マヤのボディブローがミクの脇腹を貫く。


「ッく……! ふふっ、やっぱり……強いですわ……」


よろけたミクに、マヤは追撃を加えず、静かに言った。


「ミク。あなたの家の影響力なら、“罰ゲーム”から逃れる道もあるはず。今からでも遅くない、どうにか逃げて」


けれど、ミクは首を横に振り、歯を食いしばりながら立ち上がる。


「これが……わたくしの、求めていた“スリル”ですのよ! 女も男も、本当に強い者しか生き残れない、この極限の世界が……」


マヤは唇を噛む。涙が一筋、頬を伝った。


「……勝ったのは、私。でも……あなたは、勇敢だった」


マヤの言葉を受け止めながら、ミクは笑顔で退場していく。マヤは震える拳を見つめながら、心の中で祈った。


(お願い。どうか、無事でいて……)


観客の喝采が、空虚に響く中。マヤはアングラ卿を見上げ、怒りに満ちた視線をぶつける。


「……自分の義理の娘にまで、こんなことをさせて楽しいかよ」


しかし、仮面の奥の表情は読めない。ただ、無邪気な拍手だけが響いていた。


──


【ソウタ視点】


拘束されたままのソウタの前に、アングラ卿がゆっくりと仮面を外す。


現れた素顔は、意外にも若々しく、無邪気で、どこか子どもじみた顔立ちだった。


「……お前、その顔……?」


ソウタが呆然と呟く。


「うん。驚いた? 君とそっくりだよね、僕の“本当の顔”。」


その言葉に、ソウタの背筋が凍りつく。


「なん、だよ、それ……」


クロウ──アングラ卿は、にこやかに続けた。


「ねぇ、ソウタくん。君に伝えたいことがあるんだ。

今回の継承トーナメントはね、“跡取り息子のお嫁さん”を見つけるためのイベントなんだよ」


「……は? 意味がわからない……」


「戸籍上の息子──つまりミクちゃんの旦那くん? あれは血のつながりがないんだ。僕としては、後を継がせる気なんてこれっぽっちもない。

一方で、君は……僕の“実の息子”だからね。血統的には君こそが、最有力の後継者なんだよ」


ソウタは呆然と立ち尽くす。


何かが、音を立てて崩れていく。


自分は誰なのか。なぜこんな場所に連れてこられたのか。全てが混線していく。


そして、クロウの眼差しが、ぞっとするほど無垢だった──。


(つづく)

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