第10話「無敗の拳と囚われの少年」

【マヤ視点】


地下リングに鳴り響くゴング。スポットライトに照らされ、異様な熱気と共に始まった継承トーナメント。私の初戦の相手は、“アサミ”という女だった。


見るからにケバいメイクに、衣装も挑発的。観客席からもヒューヒューと下品な声が飛び交っている。リングインするなり、アサミは腰をくねらせて観客に投げキスを送りながら、私のほうをチラリと見てニヤリと笑った。


「へぇ〜? あんたが無敗の拳とか言われてる子? ま、私はねえ、無敗の“股”ってとこかしら。男、ン十人はこのリングで泣かせたわよォ? んふふ……奪った童貞の数、数えてみる? 私のパンツに刺繍してあるのよ♡」


……吐き気がした。


あのときのエリカの、苦悩に歪んだ表情が脳裏に浮かぶ。


「……黙れ」


低く呟いて、私はグローブを構える。


「へぇ? 本気の顔になっちゃって〜? でもアンタ、女の敵ってやつだよ? 楽しいことも悪いこともぜ〜んぶ男のせいにしとけばいいのに!」


その瞬間、私は一歩踏み込んでいた。


――ドンッ!


打ち下ろすような左ボディブロー。ミットじゃない、生身の腹部にめり込む感覚。アサミの目が見開かれ、声にならない悲鳴とともに、膝から崩れ落ちた。


「う……ぐぅゥッ……!」


フラフラと立ち上がろうとするも、身体が言うことをきかない。私はその顔を見下ろして言った。


「……あなたがこれから、男たちに叩き潰されるのは当然の報い。だけど。法の裁きが少しでも軽くなるように――エリカが味わった苦しみの、ほんの少しでも背負ってから、立ち去りなさい」


何も言わず、私はくるりと背を向ける。後ろから、また別の声が響いてきた。


「……やめてっ、お願い! 誰か止めて――!!」


試合に敗れた者に待つ“罰ゲーム”――それは、リングの裏で繰り広げられる地獄。私は拳を握り締めた。見たくなかった。耳も塞ぎたかった。だが、リングの上にいる限り、これは現実。


私は、自分の勝利を誇ることもなく、静かにリングを降りた。


---


【ソウタ視点】


目の奥がズキズキする。口の端が切れたのか、鉄の味がする。


逃げようとして黒衣の女に叩き伏せられたあの瞬間から、何時間が経ったのか――わからない。


両手両足を拘束されたまま、ソウタは冷たいコンクリ床に転がっていた。


「……っくそ……っ、マヤさん……」


呟く声は、誰にも届かない。無力さが腹の底に重くのしかかる。けれど次の瞬間――


「おやおや。ずいぶん暴れたみたいだねぇ?」


――あの声が、降ってきた。


金属の靴音がゆっくりと近づく。薄暗い部屋に仮面の男が現れる。アングラ卿だった。


「お前……っ!」


「まぁまぁ。そんなに怖い顔しないで。せっかく“特別なお客さま”なんだから、僕が自らおもてなししないとねぇ?」


アングラ卿はそう言って、壁のスイッチを押す。無機質な音と共に、天井から吊るされたスクリーンが下りてくる。


映し出されたのは――さっきマヤさんにKOされた女だった。今度は男と戦わされている。グローブをつけた男が無言で迫り、女が逃げようとした瞬間――鈍い音と共に拳が飛んだ。


「や、やめろっ! やめろって!!」


ソウタが叫ぶ。女の表情が苦痛に歪む。彼女がどんな悪事を働いてきたかなんて関係ない。これは違う。こんなのは、違う。


「何が……これのどこが“トーナメント”なんだよ! どうしてこんなことをするんだッ!?」


怒鳴り返すソウタに、アングラ卿はくるりと振り返って――にこりと微笑んだ。


「ぜ〜んぶ、君のためだよ?」


その言葉に、ソウタは一瞬、言葉を失った。


「……は? ……俺の、ため……?」


子どものようなトーン。悪気のかけらもない声音。


でも、その“無垢”こそが、一番の悪意に思えた。


「……お前、何が……言いたいんだよ……?」


ソウタの声が、震える。


アングラ卿はそれに答えるでもなく、ただ画面を見上げながら楽しそうに笑っていた。


部屋の隅に、不気味な機械音が響き渡る――。


(……わからない。あいつは、何を考えてる……?)


マヤさんに勝つ。それだけが、自分の目標だった。


だけど今――その意味さえも、揺らいでいた。


(つづく)

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