第2話「命令、してみせよ」

控室のロッカーにもたれて、私はスポーツドリンクを一口。


──はあ、精神的に重かった……。


あんなに疲れた試合、初めてだった。試合内容はただの寸劇に近かったのに、観客の視線、求められる演技、そしてあのソウタって子の……あの目。


(ごめんね、ほんと)


一人反省会していたそのとき、控室のドアが叩き割れるんじゃないかって音と共に開いた。


「おいコラ、てめぇら、地獄の準備はできてんのかァアアア!!」


爆音のような声とともに現れたのは、腹筋バキバキの褐色女。髪をきつく束ね、迷彩柄のスポーツウェアを着たその人は、明らかに“普通じゃない”。


「アタシがエリカだッ! 試合に出る前に全員整列しやがれッ! 点呼すっぞ、いち! に! さん! ……声が小せぇええええ!!」


……いや、誰?


試合に出る女子選手は私含めて二人なんですけど? しかもそのうち一人はあなたですよね?


その後もエリカさん(仮)は誰もいない空間に向かって怒鳴り続け、途中で壁に向かって腕立てを始めたあたりで私はそっとスルーすることにした。


***


ところが。


リングに上がったエリカは、まるで別人のようだった。


試合開始と同時にガードを下げて、対戦相手の男子に真正面から立つ。そして一言──


「撃て」


戸惑う男子の拳が、彼女の腹に入り、頬に当たり、顎にヒットする。観客の女の子たちは大歓声。けど当の本人は微動だにせず、まるでそれを快感として受け止めているかのような顔。


(いやいや、なにこれ……)


最初のうちは優勢だった男子も、次第に疲れと混乱が混じって動きが鈍る。


「次は……アタシの番だ」


エリカが呟いた瞬間、空気が変わった。

鋭く、無駄のないジャブ。重心移動を完璧に使ったストレート。さっきまで打たれまくってたとは思えない動きで、彼女は男子をきれいに沈めてみせた。


──勝利。


でも、それだけじゃ終わらなかった。


勝者の特権として、エリカはリングの中央に寝転んだ。そして、敗者の男子に向かってこう言った。


「……アタシを、犯せ」


え、ちょ、は?


私はリングサイドから飛び出しそうになるのをぐっと堪えた。


会場のテンションは爆上がり。女の子たちはスマホを掲げて嬌声を上げる。けれど男子の方は、明らかに戸惑っていた。そりゃそうだろ、普通じゃない。


(ちょっと、マジでこの人……なに考えて……)


私は一計を案じた。

リングスタッフのフリしてさりげなく近づき、マイクを手に取る。


「本日の試合はここまでー! 選手の安全確保のため、メインイベントは中止でーす!」


ブーイングが飛んだが、私は完全に無視。なんなら照明の電源まで落として、強制終了のムードを演出。


「ほら、立って。さすがにやりすぎ」


私はエリカの手を引いて、半ば引きずるようにして控室へ向かう。


途中、ふと気づいた。


「……あれ?」


さっきまで鬼軍曹みたいに騒いでたエリカが、黙ってる。

しかも、なにかに怯えたような……そんな目。


「……大丈夫?」


でも彼女は、黙ったまま俯いて、肩だけ震えていた。

私はそれ以上は聞かずに、そっと控室の扉を閉めた。


***


「──面白くなってきたじゃないか、ねぇ?」


仮面をつけた小柄な男が、まるで遊園地にでも来た子供のような声で呟く。


「マヤ。エリカ。そして……あの子も」


その横に立つ、黒いドレスの女は静かに微笑む。


「ええ。盤は整いました。すべては、あなたの“計画”通り」


観客の熱狂を背に、地下リングの闇は、さらに深く濃くなっていった。


(つづく)

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