弱い者イジメはニガテだから

青島シラヌイ

第1話「バイト、というにはパンチが重すぎる」

ジムのシャワー室で髪を絞りながら、私は深いため息をついた。


──また勝った。けど、そんなことじゃ何も変わらない。


リングでは無敗。それでも現実は、容赦なく数字で叩きつけてくる。毎月赤字続きの経営状況。オーナーは口では強がってたけど、あのとき私が見たのは、明らかに“終わりかけてる人の目”だった。


「で、なんで私が地下リングのバイトなのよ……」


控室の椅子に座って、濡れた髪をタオルで拭きながら呟く。


試合の直前だってのに、まったくテンションが上がらない。だって聞いた? “男女混合”に“勝者は敗者を好きにしていい”って、何そのエロマンガ? 絶対これ、女の子が晒し者にされるやつじゃん。


リングに出てくるのは、どうせごつい男で、口開けば「お姉さん、イイ身体してんな」とか言ってくるタイプでしょ?


「はぁ……せめて一発ぶち込んでやる」


着替え終えて立ち上がる。こうなったら、バイト代と引き換えに、格闘技舐めた男どもの鼻っ柱へし折ってやるだけだ。


***


リングに上がって、私は固まった。


目の前にいたのは、筋肉隆々の男──じゃ、なかった。


細っこい体にあどけない顔。どこからどう見ても、そこらの大学生って感じの男の子。しかもビビりまくってる。足元ふらついてるし、グローブの着け方すら危なっかしい。


「……は?」


リングの外は、観客席っていうよりギャルの集会所か?

キラキラネイルに派手なアイメイク、ケラケラ笑いながらスマホ構えてこっちを撮ってる。


「……え、なにこれ。まさか、晒されるのって……」


その瞬間、私の中の何かが音を立てて崩れた。


いや、違う。これ、“男子が”晒される側だ。

“竿役”って、私の方だったの?


背筋に冷たい汗が流れる。


「……はあ、マジで……」


でも、もう後戻りはできない。

私はゴングと同時にステップを踏み出し、彼──ソウタって名前だったっけ、にジャブを一発、軽く。


「うひゃっ」


情けない悲鳴を上げて下がるソウタ。うん、これは本当に素人だ。


(……っていうか、ちょっとかわいくない?)


いやいや! なに考えてんの私!


とりあえず派手に見せつつ、でも倒しすぎないように、要所でボディ、ダウン取って、カウントぎりぎりで立たせて……なんかAVの導入部分を実写でやってる気分。観客は大盛り上がり。


最後は左ストレートを軽めに当てて、スローモーションみたいにソウタが倒れる。


──勝った。


リングに響く拍手と嬌声。でも、その中には明らかに“メインイベント”を期待する声が混じってる。


「……ウソでしょ……」


勝者の特権? つまり今ここで私が彼に“乗っかる”ことで、試合が完成するってワケ?


──無理。できるわけないでしょ、そんなこと。


でも観客の視線は容赦ない。


「はああああ……」


もう、死にたい。


私はソウタの顔の横に手をついて、馬乗りになる。もちろん、その先は……やらない。やらないけど、やってる“フリ”はしないといけない。


「ねぇ……頑張ったね」


耳元で囁いて、そっと汗をぬぐってやる。どうせカメラの角度じゃ見えないし、こっちからはそう見せられる。見せられるけど……これ、めちゃくちゃ精神にくる。


「……ごめんね」


最後にそう呟いてリングを降りた。


私は知らなかった。

あのとき、ソウタの目が、明らかに何かを“誤解”したことを──。

そして、彼の中で小さく灯った火が、やがてどれほど大きく燃え上がるかを──。


(つづく)

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