第5話 拾われる
――王都の外れ。
石畳が泥に変わる裏通りを、
黒髪の少年はふらつきながら歩いていた。
主人を失い、鎖を外されたその日から、
彼はただ飢えを凌ぐために彷徨っていた。
名はない。
呼ばれたこともない。
腹を満たすために盗んだ干し肉を口に押し込み、
追い払われ、殴られ、蹴られ、それでも生き延びていた。
その夜、裏路地の奥で、彼は袋を抱えた男を見つけた。
無意識に手が伸びる。だが次の瞬間、背後から腕をねじ上げられた。
「おい、こいつ……なかなかの力だぞ」
粗野な声。
振り返ると、刃を帯びた男たちが数人、闇に潜んでいた。
目つきは獣のように鋭く、血の匂いを纏っている。
「盗みを働くガキかと思ったが……腕っぷしは悪くねえな」
「どうだ、俺たちと来るか?食い物も寝床もあるぜ」
その誘いに、少年は答えられなかった。
だが、逃げる力も残っていない。
結局、彼は引きずられるようにして連れて行かれた。
辿り着いたのは、王都の地下に広がる廃墟の一角。
そこには焚き火を囲む十数人の男たちがいた。
酒と血の匂いが混じり合い、笑い声は獣の遠吠えのように荒々しい。
「こいつ、使えるかもしれん」
男の一人が少年の肩を叩く。
「名前は?」
問われ、少年は黙り込む。名などない。
「……
笑い声が広がる。
だが、その中の一人が短剣を投げてよこした。
「“おい”こいつを殺せ」
焚き火の前に突き出されたのは、縄で縛られた男だった。
盗賊団に逆らったらしい。口を塞がれ、恐怖に震えている。
少年は短剣を握りしめた。
冷たい鉄の感触が手に食い込む。
「やれなきゃ、ここで死ぬのはお前だ」
低い声が告げる。
胸が焼けるように熱くなる。
生きるか、死ぬか。選択肢は一つしかなかった。
少年は一言も発することなく、短剣を振り下ろした。
血が飛び散り、焚き火の赤に混じる。
沈黙の後、盗賊たちの笑い声が響いた。
「いいぞ!こいつは使える!」
「今日から仲間だ!」
その夜、少年は盗賊団の一員となった。
肉を与えられ、酒を口にし、焚き火の熱に包まれながらも、
胸の奥は冷え切っていた。
――俺は、生き延びた。それだけが確かな事実だった。
翌日から、彼は盗賊団の雑用を任された。
荷を運び、血を拭き、死体を埋める。拒むことはできない。
だが、彼の腕力と耐久力は群を抜いていた。
殴られても倒れず、重荷を背負っても歩き続ける。
「おい、あのガキ……化け物じみてるな」
「ああ、妙にしぶとい」
嘲笑と畏怖が入り混じる視線が向けられる。
ある夜、頭目が彼に言った。
「お前、名がないんだろう。なら俺がくれてやる」
焚き火の炎に照らされ、頭目の口元が歪む。
「今日から“クロ”だ。黒い髪と黒い目、血に染まって真っ黒。似合いだろう?」
盗賊たちが笑い声を上げる。
少年――いや、クロは黙って頷いた。
名を与えられたことに、喜びはなかった。
ただ、これで自分が「ここにいる」と証明された気がした。
その夜、クロは焚き火の影で空を見上げた。
王都の灯りは遠く、星は霞んでいる。
――俺は、光の下には立てない。
そう悟った時、胸の奥に奇妙な熱が芽生えた。
それは憎悪か、野心か。まだ自分でもわからない。
だが確かに、彼を突き動かす炎だった。
こうして、名もなき奴隷は「クロ」として闇に生きる道を歩み始めた。
正道の栄達など望むべくもない、血と暴力の道を。
農民の少年は英雄になり、奴隷の少年は裏社会の王になる 茶電子素 @unitarte
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