第2話  星辰の迷宮と、緋色の信念

 リリアナ・クレスの宣言は、酒場の空気を凍りつかせた。アレン・グレイブの心臓に、二年ぶりに氷の破片が突き刺さった。


『星辰の迷宮(アストラル・ラビリンス)』。


 それはアレンが二年前、自身のすべてをかけて挑戦した迷宮だった。

 だが、結果は失敗。その際できた莫大な借金返済のために、アレンは愛剣『流星』を質屋に預け、これまでの生活から目を背けたのだ。


 アレンは、カウンターの上のガラスの破片を見つめた後、リリアナに向き直った。


「……テメェ、頭がおかしいんじゃないか?」


 低い声が喉から絞り出される。


「星辰の迷宮の最深部だと? 俺の『流星』は、とっくの昔に質屋の担保だ。迷宮にゃ関係ねぇ」

「その認識が、あんたの二年間を象徴しているわ」


 リリアナの冷たい視線がアレンを射抜いた。


「あんたが質屋に預けた『流星』は、とっくの昔に転売されたわ。借金が払えなくっちゃ当たり前よね。そして、それを手に入れたのが……私の兄だったのよ」


 酒場が、ざわめきに包まれた。


「兄は、あんたの剣聖としての実力に心底惚れ込んでいた。だが、あんたの失敗を知って、ひどく落ち込んだわ。でも、兄は気持ちを切り替えた。だったら俺が『流星』を継いで、こんどこそ星辰の迷宮を攻略すると言って準備を始めたわ」


 リリアナは、焦燥と、悲痛な決意を込めた目で続けた。


「そして、三日前。兄は、『流星』と共に、星辰の迷宮の最深部を目指した。でも、失敗した。パーティーは全滅に近い状態で、兄と『流星』だけが第五十階層に取り残された」

「取り残された……?」


「ええ。兄のパーティーの生き残りが、命からがら持ち帰ったのがこの地図よ」


 リリアナは一枚の羊皮紙を取り出した。そこには迷宮の地図が描かれており、大きな文字で『第五十階層の特別区画、星屑の祭壇』と記されていた。


「兄の安否は……わからない。地図を持ち帰った仲間も、兄が生きている可能性は低いと言ったわ」


 リリアナは、ぐっと唇を噛みしめた。しかし、彼女の紅い瞳には、揺るぎない光が宿っていた。


「でも、私は信じている。兄は、まだ『流星』と共に、迷宮で生きている。そう簡単に死ぬ男じゃないわ。兄は、最期まで戦い抜く人間よ」


 その言葉に、アレンは息を飲んだ。リリアナの信念は、彼女の命を懸けた賭けだった。


「一刻の猶予もない! お願い! 兄を助けるために私に手を貸して」


 リリアナは、プライドをかなぐり捨て、強烈な意志をアレンにぶつけた。


「なぜ、俺なんだ?俺は見ての通り、酒浸りのダメ男だぞ」

「うるさい!あんたが、酒に溺れているのは知っているわ!でも、私の父が言った。『流星の真価を引き出せるのは、この世でアレン・グレイブただ一人』だと。兄を助ける、ただ一つの可能性が、あんたの剣なのよ!」


 リリアナは、カウンターを叩いて力説する。


「私が頼んでいるのは、元・剣聖アレンじゃない! 『剣を振るう才能を世界で最も持っている男』よ! この契約には、あんたの再起と、兄の命、そして『流星』の回収がかかっているのよ!」


 アレンは、リリアナの信念に打たれた。


 リリアナは、懐から取り出した羊皮紙を、カウンターにピシャリと置いた。


「成功報酬は、五千万ゴールド。そして、あんたの愛剣『流星』の返還。ただし、迷宮で手に入れたアイテムの所有権は、すべて私にある。兄を救出できれば、その時点で報酬を支払う」


 アレンは、リリアナの真っ直ぐな紅い瞳をじっと見つめた。


「わかったよ、緋色のツンデレ嬢ちゃん」


 アレンは、カウンターから立ち上がった。


「その条件、飲んでやる。ただし、一つだけ条件がある」


「……何よ?」リリアナは警戒した。


「俺が、酒を飲んでる間に失った筋力、剣の感覚、魔力(オーラ)の練り方。そのすべてを取り戻すための訓練に、お前が付き合え。俺は、酔った状態でダンジョンに入るほど、落ちぶれてはいない」

「当然よ。私がアンタを最高の状態に戻すって言ったでしょう?覚悟しなさい。私の訓練は、迷宮より遥かに過酷よ。兄の命のために、猶予は三日よ」


 二人の間に、契約の炎が燃え上がった。


「よし、マルク」


 アレンは、店主に向き直った。


「すまねぇが、今日の酒代はツケだ」

「……今日もだろ?」


 マルクは、やれやれと首を振った。


「こまけぇことはいいんだよ。金が入ったらツケもまるごと清算してやらぁ」


 アレンそう言うとは、リリアナに向き直った。


「さあ、緋色のツンデレ嬢ちゃん。最高のリスタートとやらを、始めようじゃねぇか」

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