第3話 酒を抜いて、迷宮へ

 路地裏にある、リリアナの父が使用していたという古びた倉庫。『魔力調整室(マナ・アジャスト・ルーム)』。


 アレンは、設定された高温多湿の部屋で、丸一日、ひたすら素振りと汗出しを行った。リリアナは、時折、制御盤を操作して温度を上げ、アレンを怒鳴りつけるだけだった。


「遅い!その汗に混じって、二年間分の怠惰を全て絞り出しなさい!」

「うるせぇ!もう酒は完全に抜けた!これ以上絞り出したら、俺の魂まで抜けちまうぞ!」


 一日かけて、アレンは文字通り酒と惰性を身体から追い出した。翌朝、彼は、二年ぶりに頭がスッキリとした感覚で目覚めた。筋肉は悲鳴を上げていたが、剣を振るう感覚は、驚くほど急速に戻っていた。


「さあ、緋色のツンデレ嬢ちゃん。もう充分だろう。訓練場へ行こうぜ」


アレンが安宿の扉を開けると、そこにはすでにリリアナが立っていた。彼女はいつもの真紅のプレートアーマー姿だが、その背中には大きな革製のリュックサックが二つ、積み上げられていた。


「もう訓練は終わりよ」


 リリアナは、ツンと鼻を鳴らした。


「あんたは、酒を抜いただけで剣聖に戻れる男。その才能を信じて、これ以上の時間の無駄はしないわ」

「ほう。随分と大胆だな」


「大胆じゃない。切迫しているのよ! 一刻も早く、兄を助けたいの!」


 リリアナは、二つの巨大なリュックサックを指差した。


「これから、星辰の迷宮に挑むための資材の最終チェックをするわ。あんたの分も用意してあるけど、あんたが本当に動けるか、私の目で確かめる。ついてきなさい!」


 アレンは、リリアナの後に従い、迷宮都市ヴェルニアの賑やかな大通りを歩いた。リリアナが向かったのは、高級冒険者御用達の『錬金術師の店、通称賢者の石』だった。


 店内には、高価な回復薬や、魔力を帯びた巻物、特殊な照明具などが所狭しと並んでいる。


「まず、回復薬ね」


 リリアナは、腰のポーチから、白く輝く金貨をいくつかとりだした。

 この白い金貨は白金貨だ。一枚で金貨百枚の価値がある。


「あんたの分も含めて、上級回復薬(ハイポーション)を三十本。怪我はすぐに治しなさい。それと、上級魔力回復薬(ハイマナポーション)も三十本。あんたは魔力制御がまだ不安定だから、いざという時のバックアップよ」


「ハイポーション三十本……一本が金貨十枚以上だろ。ずいぶん気前がいいな」

「五千万ゴールドの契約よ。兄を助けるためなら、この程度、惜しまないわ!」


 リリアナは、大量のポーションを、アレンのリュックに無造作に押し込んだ。


 次に、リリアナが選んだのは、照明具だった。


「星辰の迷宮は、深層に行くほど魔素が濃くなり、通常の松明や魔導ランプはすぐに消える。これよ」


 彼女が手に取ったのは、水晶に複雑な魔導文字が刻まれた、『永久輝石ランプ』だ。


「特殊な鉱石に、強力な光の魔法を封じたものよ。二つ買うわ。一つは兄の場所を見つけるための目印に使う」

「気が利くな。迷宮じゃ、光は命だからな」


「当然でしょう!あんたと違って、私は計画的なのよ!」


 リリアナは、再びツンデレ口調に戻りながらも、アレンの必要とする資材を正確に把握し、購入している。その行動力と判断力は、アレンが知っていたどの冒険者よりも優れていた。


「さて、最後よ。食料と水。二週間分確保するわ」


 リリアナがレジに白金貨を置いて会計を済ませると、アレンはリリアナの顔をのぞき込んだ。


「なぁ、緋色のツンデレ嬢ちゃん」

「何よ?」


「お前、本当に強いんだな。装備も、資金も、判断力も。俺とじゃなくても、第五十階層に挑めたんじゃないか?」


 リリアナは、アレンの問いかけに、ふっと目を伏せた。その表情は、一瞬だけ、ツンデレの鎧が剥がれた、普通の少女の顔に見えた。


「……無理よ」


 リリアナは、静かに言った。


「私の剣と魔法は、防御とサポートに特化している。兄のように、魔剣を振るって敵の群れを一人で薙ぎ払うような、圧倒的な攻撃力がないの」


 彼女は、アレンの胸元を指さした。


「だから、必要なの。あんたの『剣聖』の才能が。私と兄しか持っていないような、破壊の力がね」


 その言葉は、アレンの胸に響いた。彼女は、自分の弱点を理解し、それを補うために、プライドを捨てて落ちぶれた元剣聖に頭を下げたのだ。


「フン。わかったよ」


 アレンは、リリアナの頭を、ぐしゃぐしゃと乱暴に撫でた。


「お前の兄貴は、お前の信念が呼んだ剣聖が、必ず助けてやる」

「ちょ、ちょっと!触らないで!私の髪が乱れるでしょう!まったく……」


 リリアナは、顔を赤くしてアレンの手を振り払ったが、その表情は少しだけ嬉しそうだった。


 資材準備を終え、二人は迷宮の入り口へと向かう。


「さあ、元・剣聖アレン」


 リリアナは、星辰の迷宮の巨大な石造りの門を前に、足を止めた。


「二年のブランクを、迷宮の魔物で埋めるわよ。あんたが振るうのは、ジョッキじゃない。剣よ!」

「ああ、知ってるさ。俺が振るうのは、緋色のツンデレの信念を乗せた剣だ」


アレンは、ニヤリと笑った。彼の背中にあるリュックサックには、数百ゴールドの価値があるポーションと、リリアナの兄の命と、そして、彼自身の愛剣『流星』を取り戻すための希望が詰まっていた。

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