酒浸りの元・剣聖、最強の才能を隠して生きていたら、愛剣の奪還を条件にツンデレ令嬢にダンジョン攻略を強要されました

ウツロ

第1話 剣とジョッキの重さ

「ああ、くそ。全然酔えねぇ」


 アレン・グレイブは、カウンターに肘をつき、手元のジョッキを恨めしそうに見つめた。中身は当然、キンキンに冷えたエール。朝なって間もないというのに、すでに三杯目だ。


 ここは、迷宮都市ヴェルニアでも一等地から外れた、裏路地にある『酔いどれ亭』。店名通り、朝から晩まで、人生に疲れた冒険者崩れや、ダンジョンでロクな成果を挙げられなかった連中で賑わっている。アレンもその一人。正確には、元・一人。


「アレン、朝から飛ばしすぎだろう。あんたの胃が泣いてらぁ」


 カウンターの向こうでグラスを拭いていた店主のマルクが、呆れたように肩をすくめた。


「うるせぇ。泣いてるのは俺の剣だ」


 だが、聞く耳など持たないアレンは店主の忠告を悪態で返す。


「相変わらずわけのわからねぇことを。あんたの剣はとっくの昔に質屋行きだろうが」

「……」


 だが、痛いところを突かれて、アレンはぐっと言葉に詰まった。

 そう、マルクの言う通り、かつて『剣聖』だの『斬撃の魔術師』だの、好き放題に呼ばれていた頃に愛用していた魔剣『流星』は、二年前に手放した。正確には、ダンジョン攻略の失敗で出来た借金を返すために、やむなく質に入れたのだ。


 それからというもの、アレンの冒険者としてのキャリアは急降下。もともと酒は好きだったが、気がつけば酒がないと眠れない体になっていた。一流の冒険者だけが利用できる宿ではなく、安宿の一室で、朝から晩まで酒に浸る日々。今の彼は、昔の栄光を知る者からは「酒浸りのアレン」と蔑まれ、知らない者からはただの「安酒場の客」として扱われるだけだった。


「酒は、忘れるための薬なんだよ、マルク」

「忘れてどうすんだ。あんた、まだ二十代だろ。その立派な体躯と、昔取った杵柄ってやつで、またやり直したらどうだ?」


 マルクのもっともな言葉だ。

 だが、アレンには届かない。フンと鼻で笑うと、四杯目のエールを一気に煽る。


「昔の話だ。俺にはもう、振るうべき剣も、守るべきものも、成し遂げるべき目標もない」


 自嘲気味に笑うアレンの舌には、負けを認めた苦みが、これでもかと広がっていた。


「おい、マルク。もう一杯」

「まだ飲むのか? もういい加減に……」


 マルクが文句を言いかけた、その時だった。

『酔いどれ亭』の古びた扉が、まるで嵐でも来たかのように、バァン! と勢いよく開け放たれた。


 何の騒ぎだと客たちが一斉に見つめる。すると扉の前に立っていたのは、場違いなほど鮮やかな存在だった。


 燃えるような緋色の髪。宝石のように煌めく紅い瞳。その華奢な身体に似合わない、厳めしい意匠が施された真紅のプレートアーマー。腰には、見ただけで一級品とわかる片手剣。


 年は、アレンよりも十ほど下に見える。まだ十代の後半といったところか。


 酒場の客たちは、その女が纏うオーラに、思わず息を飲んだ。彼女の装備と、何よりもその立ち姿は、彼女がただの新人冒険者ではないことを雄弁に物語っていた。


 女は迷うことなく、酒場の奥、カウンターの席に座っているアレンに真っ直ぐと視線を向けた。その紅い瞳には、侮蔑と、かすかな苛立ちが混じっている。


「……あんたが、元・剣聖アレン、ね」


 その声は、張り詰めた糸のように鋭く、店内に響いた。


「『元』をつけるな。失礼だろうが」


 アレンは、面倒くさそうに顔を上げ、女を睨んだ。この酒場に来る人間は、彼をただの酒飲みとしか思っていないか、あるいは、腫れ物扱いするかのどちらかだ。こんな風に、真正面から剣を突きつけるような視線を向けてくる者は珍しい。


「フン、あんたは今でも自分がその称号ににふさわしいとでも?」


 女は一歩、アレンに近づいた。カツ、と重厚な金属のブーツが床を鳴らす。


「うるさい。俺の勝手だ。お嬢ちゃん、ここは酒場だ。子供はジュースでも飲んでな」


 アレンはジョッキを空にし、マルクに目配せをした。マルクは困ったように眉をひそめたが、追加のエールを用意しようと身を乗り出す。


 だが、少女の行動はアレンの予想を遥かに超えていた。


 バキンッ!


 ジョッキの割れる音が店内に響いた。カウンターの上に残されたアレンのジョッキを、女は握りしめた拳で粉々に砕いたのだ。


「な!?」


ガラスの破片が飛び散り、カウンターに広がる。周囲の客たちは、あまりの出来事に言葉を失った。


「テメェ、何しやがる!」


 アレンは立ち上がり、怒鳴った。グラスを割られたことよりも、彼女の拳に反応できなかった自分にこそ腹が立った。


「何がって? いい? よく聞きなさい。あんたのその情けない生活を、このわたくしが、終わらせに来たのよ!」


 女はアレンの怒声に微動だにせず、真っ直ぐに紅い瞳を見返した。女の顔は、怒りというよりも、ある種の使命感に燃えていた。


「終わらせる? なに言ってやがる。勝手に人の生活を変えようとするな」


 失礼な女だとアレンは肩をすくめる。赤の他人、ましてや今初めて出会ったやつに言われる筋合いなどない言葉だ。


「あんただって、今の生活のままでいいと思ってないでしょ?」


 そんなセリフはもう聞き飽きた。アレンは女の話をフンと鼻であしらう。


「ツンデレの次は泣き落としってか?」

「ツ、ツンデレ!?」


 アレンの言葉に、少女の顔が一瞬で赤く染まった。怒りではなく、恥じらいの色だ。その反応に、アレンは少しだけ調子が狂う。


「ふざけないで! 私は、私はただ……あんたに頼みがあるだけよ!」

「頼み? こんな酒浸りの男に、一体何の頼みだ?」


「……『星辰の迷宮(アストラル・ラビリンス)』の、最深部攻略よ」


 女は一言一句、噛み締めるように言った。その迷宮の名前を聞いた途端、アレンの酔いは一気に冷めた。


『星辰の迷宮』。それは、世界でも屈指の難易度を誇り、未だ誰もその最深部に辿り着いた者がいない、伝説的なダンジョンだ。そして、そこは――。


「あんたの愛剣、『流星』が眠っている場所でもあるわ」


 その一言は、アレンの胸に、かつてないほどの衝撃を与えた。砕かれたジョッキの破片のように、彼の荒んだ心に、鋭利なカケラが突き刺さる。


「……なんだと」


 アレンの愛剣『流星』は質に入れたはずだ。それがなぜ、迷宮の中に?


「そんなこと、どうでもいい。私の名は、リリアナ・クレス。あんたに、もう一度剣を振るってもらう。私と共に、迷宮の最深部を極めるために」


 リリアナと名乗った女は、緋色の髪を揺らし、挑むようにアレンを見つめた。


「さあ、元剣聖。酒を飲み続けるか、剣を振るって、もう一度最強の座に戻るか。選ぶのは、あんたよ」


 女の瞳は、アレンの魂の奥底を覗き込むように、力強い光を放っていた。それは、酒で濁ったアレンの目に、二年ぶりに、剣を振るうという衝動を呼び起こさせるに十分な輝きだった。

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